第14話 もう一人の独りぼっち



「遅い。」


 夜の鴨は、腕時計を見ながら苛立って呟いた。モノノケダンスフロアはとっくに開店しており、店内はバラードの曲に合わせてモノノケ達がゆったりと踊っていた。その様子を見たお糸が煙管の煙を吐いた。


「茉莉のことかい?」


「ああ。いつもなら6時までには帰ってきているはずだ。しかし、今日は遅すぎる。一体、どこをほっつき歩いているんだ…。」


「もしかしてぇ、化け猫に食べられちゃってたり!?」


 アッカが素っ頓狂な声を上げて、ムンクの叫びのような顔を作った。彼女の発言に鴨は眉をひそめたが、そこにコック帽を取った骸田が歩み寄ってきた。


「それは違うよ、アッカ…。」


「どういう意味だ?骸田さん。」


 鴨が骸田を見つめると、彼は肩を落として深呼吸して口を開いた。


「黙っとけって言われてたんですけど、実は昨晩墓地で見かけた不審者が茉莉ちゃんの先生だったらしくて、今日その人に問い詰めるってあの子が…。」


「なんだって!?どうして早くそれを…。」


 鴨が骸田に詰め寄ったとき、常連の一人である豆腐小僧が彼のスーツを引いた。


「ねぇ、オーナーさん。上であんたに会いたいっていう奴がいるよ。至急ね。」


「っち、こんな忙しいときに…。」


 鴨は襟元と帽子を整えると、ダンスフロアを抜けて階段を上っていった。そして、地上にいた待ち客にあっと声の上げたのだった。


「君は…。」



「ん、ここは…。」


 鈍い痛みとともに茉莉は目を開けた。辺りを見回せば何が置いてあるかも分からない闇の部屋であり、自身は椅子に括り付けられていた。今までにない不穏な状況に、彼女は小さく悲鳴を上げて動かない腕をあちらこちらに揺らした。そのときだった。


「目が覚めた?四辻さん。」


 冷えた宮木の声が響き、パッと照明がつけられて部屋が明るくなった。一瞬、茉莉はその眩しさに目が眩んだが、すぐにその部屋の有様に驚愕した。


「なによこれ!?」


 部屋には、小動物の虐待を収めた写真がそこら中に貼りだされていた。どれもこれも惨たらしく、胃液が思わずこみ上げそうだった。


 宮木は茉莉の目の前に姿勢正しく座っており、気味の悪い笑みを浮かべていた。彼女は部屋の写真を見回すと、茉莉に向かってウィンクした。


「可愛いでしょ?どの子も。」


「信じらんない!こんなの狂ってる!?」


「ひっどーい、あなたまでそう言うの?」


「っひ!?」


 茉莉は、今まで普通に接してきた担任の本性に震えが止まらなかった。まさかこうにも歪んだ為人だったとは。宮木は膝の上に頬杖をつくと、茉莉を見つめた。


「ねぇ、誰にも理解されない苦しみって分かる?」


「はぁ?」


「私ね、動物が大好きなの。本当に。でも、同時に壊したいとも思うの。愛したいのによ?愛したいのに壊しちゃうの!」


 そう言うと、宮木は立ち上がって壁に貼られている写真を荒々しくむしり取り頭を掻きむしった。茉莉は教師の奇行を黙って見ているしかなかった。


「誰も理解してくれなかった。親や友達も。だから、ずっと“独りぼっち”だったの。独りぼっちでただ動物を愛しては傷つけてきたの。誰にも理解されずにね?」


 そのとき、茉莉は宮木が落とした写真のなかに二匹の猫が映ったものを目に止めた。それは少女であった宮木に抱えられ、幸せそうに笑う生前の又三郎と雪次郎であった。茉莉は、確信した。


「17年前、二匹の猫を殺しましたよね?又三郎と雪次郎っていう猫たちを…。」


 茉莉が尋ねた途端、宮木は途端に顔を曇らせた。急に弱々しくなったのだ。


「雪次郎と又三郎、うん、最初に殺した子たちだ。実家で可愛いがっていた。あの子たち、本当に私に懐いていた。でも、衝動を止められなかったの!!結局傷つけて、怖くなったから道路に置いてそのままだった。そのあと、父の転勤が決まってすぐに地元を離れてここに来た。」


 宮木の吐露に、茉莉は漸く犯人を見つけられたと満足感がこみ上げた。しかし、すぐに怒りが襲い掛かってきた。


「ふざけないでください!あなたのせいで、又三郎達は今でも人を襲い続けているんですよ?あなたのせいで、なんの罪もない人間が死んでるんです!」


「襲う?何のことを言っているのかしら?」


 そこで茉莉は宮木にはモノノケの存在が理解不可能だと気づき、悔しさで歯を食いしばった。それからは苛立ちの言葉しか出てこなかった。


「クソっ!なんでこんな酷いことを!あなたは人間じゃない!」


 その茉莉の言葉に、宮木は眉をぴくっと動かした。


「四辻さんまで私を認めてくれないの?独りぼっちのあなたなら、理解者のいない私のことも分かってくれるって信じていたのに!」


「あなたと一緒にしないで下さい!第一、私には既に_。」


 何にも代えがたい仲間がいる。鴨に、お糸にアッカ、骸田にモノノケダンスフロアの客達。もう茉莉は独りぼっちではないのだ。


 それは憎き仇であったかもしれない。しかし自身が知ろうとしなかっただけで、モノノケ達は普通の人間と変わらない感情を持っていた。いや、むしろ人間の方が恐ろしいのかもしれない。目の前の人物を見れば、尚更そんな感情が湧いてくる。


 宮木は茉莉の言葉を聞くや否や、奇声をあげて顔を搔きむしった。


「あぁぁぁぁぁ!だぁれも分かってくれないのぉぉ!ひどいよぉ!もういいわぁ!」


 そこで宮木は椅子元に置いてあった金槌を手に取り、茉莉に振り上げた。


「あなたもうちの子達みたいにしてあげるわ!」


「っひ、嫌だ!助けて、“マスター”_。」


 ちょっと変人で、でも面倒見がよくて誰よりも優しい人。彼女の脳内には、鴨公宏の姿が浮かんでいた。幻影の彼に向かって手を伸ばす。あと少しで届きそうだが、彼は離れていく。茉莉は遠ざかる彼に向かって、せめてもの別れの言葉を送った。


 あの月夜の晩、私の手を取ってくれてありがとう。私を独りぼっちにしないでくれてありがとう。私に居場所を与えてくれて、ありがとう。


 誰にも伝えられない遺書を思い浮かべ、茉莉は安らかに目を閉じた。そのまま、あの世行きの痛みが来ると思った。が、彼女には何も当たらなかった。


「だ、誰よ?あんた!」


 宮木の声に目を開けると、そこには彼女の手を掴む鴨の姿があった。


「マスター!?」


彼は仮面越しに宮木を睨むと、その手を捻り上げた。宮木は金切り声を上げて、うずくまった。


「いたぁ!何なのよ、あんた!どこから入ってきたの!?」


 すると鴨は両手を払いながら、軽く答えた。


「いやぁ、ワタシの連れに全身バラバラになれる骨人間がいてね。彼に換気扇の外側から入って、開けてもらったんだ。」


「なんですって!?」


 謎の第三者の登場に唖然とする宮木をよそに、鴨は茉莉を見ると真っすぐこちらに向かってきて彼女の縄を解いた。茉莉は何といえばよいか分からず、鴨を見つめた。しかし、次の瞬間には頬を軽く打たれていた。


「えっ?」


 突然の出来事に頭が真っ白になる茉莉だが、その次には鴨に抱きしめられていた。


「この馬鹿!心配したんだぞ?勝手なことをして!」


 鴨は茉莉の肩を掴み、一心に彼女を見つめた。


「ワタシ達は、モノノケダンスフロアの皆は君の仲間だ!隠し事も無茶もするな!」


 鴨の言葉に、茉莉は自然と涙が出てきた。そして、ただ「ごめんなさい。」としか言えなくなった。鴨は溜息をつくと、彼女に手を差し伸べた。


「早くこんな悪趣味な部屋から出よう、皆が待ってる。」


「はい…、マスター、危ない!」


 その瞬間、鴨の背後に宮木が金槌を片手に襲い掛かった。しかし、その次には宮木は糸でグルグル巻きにされていた。その糸は天井まで続いており、そこにはお糸が煙管を吹かしながら張り付いていた。


「お糸さん!?」


「犯人さんや、虐待の次は緊縛の趣味なんてどうだい?」


「なに、この糸?か、体が動かない!」


 鴨はそこで胸元から、眼鏡を取り出して宮木にかけてやった。そこで、彼女はお糸の姿を射止めると、悲鳴を上げた。


「マスター、あの眼鏡は?」


「モノノケが見える術をかけた代物だよ。あれなら一般人でもモノノケが視認可能だ。」


「マスターってなんでもできますね…。」


 そのとき、二人の間から何かがすり抜けてきた。盥を持ったアッカである。


「ねぇ、おばさん!とびっきり美味しい垢、食べさせてあげようか?」


 アッカはそう言うと、自慢の長い舌で宮木の頬をひとなめした。宮木は恐れをなしてのたうち回った。その際、背に固い物が当たった。


「ばあ!」


 ばっと振り返ってみれば、そこにはバラバラになった全身の骨の上に頭蓋骨を乗せた骸田がいた。どうやらモノノケダンスフロアのメンバーも助けに来てくれたようだ。茉莉は安堵のせいか目じりに雫が溢れそうになった。対して宮木は大粒の涙をためると、何度も床に頭を打ち付けた。


「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!なんでもする!だから殺さないでぇ!」


「その言葉、真実と取ってよいか?」



 鴨はしゃがみ込んで、宮木を見つめた。彼女は大きく首を振った。


「ええ!ええ!本当に!」


 宮木の必死な様子に、鴨は頷くと指を鳴らした。


「よし、ならば貴方にはある場所に付いてきてもらいたい。」


 鴨はそう言うと、部屋の窓をガラッと開けた。するとそこに闇夜の月光に照らされてカラス天狗が羽ばたいていた。


「全く、人使いが荒い連中だぜ。」


「後で千葉県産高級ピーナッツをやる。兎に角、この女性を連れて阿弥陀商店街の路地裏まで連れて行ってくれ。」


「あいあい、マスター。」


 そう言うとカラス天狗は身を窓辺に寄せた。モノノケ従業員たちは宮木を引きずって飛び乗った。その時、茉莉は不意に体が浮くのを感じた。否、抱き上げられたのだ。その実行犯は不敵な笑みを浮かべていた。


「か、鴨さん!?な、何をするんですか?」


「ミス・マリ、君は怪我をしているじゃないか。そんな満身創痍で動かれちゃあ、またあの夜みたいに落ちかねない。」


「もう!子供扱いして!」


 茉莉が睨むと、鴨は快活に笑った。


「ハハハ!失敬な、ワタシはレディをもてなしているだけだよ。」


 それだけ囁くと、彼は窓辺から飛躍した。二人の体は、煌めく夜空を背景に刹那の宇宙旅行を享受した。茉莉には月夜に照らされる彼に目が眩んで仕方なかったのだった。




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