モノノケダンスフロア
渋谷滄溟
モノノケダンスフロアへようこそ
第1話 モノノケダンスフロアへようこそ
「死のう。」
決断は早いか、遅いか。十六歳の乙女、四辻茉莉は延々と溜め込んできた希死念慮を解放するかのように一歩前へ踏み出した。空には明かりなんていらないくらい三日月が煌めいていて、星の欠片を導いている。廃墟ビルの屋上で彼女はたった今、その身を地にぶつけようとしている。風が彼女の長髪を揺らす。空に投げ出された少女は、そのまま目を閉じ、重力に身を任せ、真っ逆さまへと…。
「うへぁ!?」
落ちなかった。茉莉は何者かに右手を掴まれ、体を反転させられ、屋上へと戻された。その何者かは彼女の左手を取ると、そのままお互いに目を合わせた。まるで社交ダンスの一場面ようだ。
「だ、誰?」
茉莉は怯えて、相手を見上げた。彼女を救ったのは、シルクハットの紳士だった。彼はオールバックの黒髪をそれで隠し、顔には白を基調とした仮面をつけていた。身体は深紅のシャツに烏色のベストを着こなし、広いマントを首から下げている。
茉莉は男の現代日本に似合わぬ奇妙な服装に首を傾げた。しかし、彼は茉莉の問いに答えず、身を動かした。
「ちょ、ちょっと!」
男は片手を茉莉の背に回して、滑らかに回転した。これはパーティーダンス?茉莉が口を開こうとすると、その唇に男の指が添えられた。
「し、ワタシに身を委ねなさい。」
「いや、そんなこと言われても!」
茉莉は身じろぎをするが、今度は背が仰け反るポーズを取らされた。仮面越しに男の鋭利な瞳が見え、彼女は頬を赤らめた。やがて身が起こされ、ダンスが再開すると、周囲に四つの碧色の焔が出現した。
「っひ!」
茉莉が青白い顔になると、男が耳元で囁いた。
「君、この焔達が見えるのかい?」
男の問いに、茉莉は恐る恐る頷いた。見えるも何も、この焔達の存在こそが彼女を死に追い込もうとした“原因”である。彼は満足そうに微笑み、胸元から札を四枚取り出すと焔にそれぞれ投げ飛ばした。すると焔は札に吸い込まれるように、消えていった。
男は漸く茉莉を解放すると、散らばった札を回収し始めた。彼女は謎の仮面男の出現に、自殺の続きも逃亡もせず、ただ困惑した。
「あのぉ。」
茉莉が口を開いた途端、男がぴっと彼女に人差し指を向けた。
「合格だ。」
「は?合格って__。」
「君を、ワタシが経営するモノノケ専用ダンスクラブ『モノノケダンスフロア』の従業員にスカウトしたんだ!」
へ?モノノケ?ダンスフロア?意味不明な単語の羅列にハテナを出現させた茉莉へ、男は札を拾い終えると近づいてきた。
「分からないかい?君は選ばれたのだよ。」
男は彼女の手を取った。
「さっきの焔達は人魂といって、まぁ謂わばモノノケの一種だ。常人には視認どころか接触も不可能。が、君は見えていた!これはもう運命じゃないか!」
男の雄弁に、茉莉は延々と首を傾げていた。しかし、彼は続ける。
「丁度、うちのスタッフが一人辞めてしまってね。代わりを探してたんだ。ね?うちで働いてみないか?」
「働くも何も、あなたのこと全然しらないし…。」
「あぁ、そうだった。自己紹介が遅れたね、ワタシの名は
「よ、
「マリ!いい響きだ。よろしく、ミス・マリ。」
すると鴨と名乗った男は茉莉の手に接吻を落した。茉莉は耐え切れず、彼を引き剝がした。
「ひゃぁ!距離近い近い!一体何なんですか、あなたは!」
「紳士としての挨拶だよ。生娘には早かったかね?」
「なんて失礼な!」
「さぁ、そうと決まれば早速君を店まで案内しよう!来い、カラス天狗!」
鴨はそう宣言すると、指を鳴らした。困惑気味に茉莉が辺りを見回すと、ビルの下から烏帽子をかぶった巨大なカラスが飛び込んできた。
「な、なにあれ!」
「うちのタクシーさ。」
「誰がタクシーだって!!」
カラスは眉をひそめて、鴨を見た。そのモノノケは一度上空を旋回するとビルに着地した。大きい。茉莉よりも数メートルは勝っているだろう。黒羽も比例して肥大化しており、彼女の横をするりと幾枚もの羽が抜け落ちていく。鴨はポケットからナッツを取り出すと、カラス天狗に向かって放り投げた。するとそれは上手く口に入れ、咀嚼し始めた。
「今日の駄賃だ。このお嬢さんとワタシを店まで運んでくれ。」
「ったく、人使いが荒いぜ。あいあい、マスター。」
カラス天狗は気だるげに返事をすると、こちらに背を向けた。鴨はそこに飛び乗ると、呆然としている茉莉に手を差し伸べた。
「さぁ、おいで!ミス・マリ!」
茉莉はその手を見つめた。行くべきか、否か。こんな非現実を受け入れ、こんな気狂いのような男に付いていくべきだろうか?いや、非現実はとっくの昔からじゃないか。生まれたときから自分は”普通”じゃなかったじゃないか。自分も“気狂い”と揶揄されてきたではないか。それ故に、今晩自分は自決という道を選ぼうとしたのだ。しかし、この男は自分を救い取ってくれた。誰もしてくれなかったそれを、手を差し伸べてくれているじゃないか。まぁ彼の言い分は理解不能であるが。
茉莉は気づいたときには、自らも手を伸ばしていた。まるで希望を見出したかのように。
すると、鴨はすぐさま彼女をカラス天狗の背まで引き上げた。モノノケは搭乗完了を察知すると、羽を広げてビルを飛び立った。
離陸してから、茉莉はカラス天狗の下を覗き込んだ。
「た、高い!」
天狗は、茉莉の町が小さく見える上空を飛行していた。その途端、急に彼女は今の状況が恐ろしくなった。自分の選択は間違いであったのだろうか。そう疑心暗鬼を始めてしまったのだ。
「や、やっぱり行きません!下ろしてください!」
「おっと、暴れてはいけないよミス・マリ。落ちてしまう。」
「いいですから、早く下ろして!__っぎゃぁ!!」
「ミス・マリ!」
茉莉が鴨を掴んで揺らした途端、彼女は足場のバランスを崩してしまった。茉莉はそのまま黒羽を滑り落ち、町へと落下を始めた。
冷たい風が彼女を引き裂こうとする。逆さまの風景では、あんなに綺麗な月も星も彼女を打とうとする爆撃機のようだ。茉莉はどうしようもなく怖かった。
暗い、寒い、怖い。地面と激突したらどうなってしまうのだろう。細い茉莉の身では陶器の人形のようにバラバラと砕け散ってしまう。彼女は今となって自殺しようとしていた事実が馬鹿らしくなった。こんなに無残で、悍ましいことを実行しようとしていた自分が醜くなった。茉莉は諦めて、目を瞑って呟いた。
「ごめんね、お母さん、お父さん、茶々丸。私、もう駄目だ。」
「ミス・マリ!」
茉莉が観念したその瞬間、鴨の声とともに体が抱き止められた。恐怖で閉じる瞳をこじ開けると、彼女は鴨の腕の中にいた。どうやら間一髪でカラス天狗が間に合ったらしい。
「私、生きてる?」
「大丈夫かい!?はぁ、警告したはずだぞ?あのままだったら君は死んでいた!」
鴨の叱責が飛ぶ。茉莉は反射的に「ごめんなさい。」と頭を下げた。すると彼は溜息をついた。
「全く、君は見ていて危なっかしい。目的地までワタシに掴まっていなさい。死んだら全て終わりなんだからな。」
「は、はい…。」
すべて終わり、か。茉莉の心ではなんとなくその一言がエコーした。彼女の傷だらけの精神に轟いた。
茉莉は鴨の背に掴まると、そのまま大人しく運ばれていった。
「着きましたぜ。」
カラス天狗はひらりと、ある建物の前に着陸した。鴨は安定した地面に飛び降りると、茉莉に手を貸して彼女も下ろした。
「それじゃ、俺はもう行きますぜ。」
カラス天狗はそう言うと、また夜空に向かって飛び立っていった。茉莉はそれに手を振ると、目の前の建物に向き直った。連れてこられた場所は閑静な住宅街の一角である古びた三階建てのビルであった。一階には看板が立てかけられているが、真夜中の暗さでよく見えない。鴨はすたすたと彼女を通り過ぎて一階入り口の真横にある階段に足をかけた。
「こっちだよ、ミス・マリ。モノノケダンスフロアは地下にある。」
茉莉は鴨の後を急いで追った。明かりで二つしかなく、階段はどうしようもなく不気味であった。しかしそれも束の間、茉莉はあっという間に店の扉に辿り着いていた。ドアは木製であり、複雑な模様である鋼鉄のノブが怪しさを醸し出している。鴨はそれに手をかけた。
「さぁ、モノノケ達の憩いの場、モノノケダンスフロアにようこそ!」
鴨の声とともに飛び込んできた景色に、茉莉は目を見開いた。
店内は深緑色のライトに包まれ、あらゆる異形たちがその身をくねらせ、踊り狂っていた。少し入って進めば、意外に室内は広く、テーブルやカウンター、ステージが見て取れた。壇上では巨大な一つ目を持つ男がDJに扮して、ポップな曲を流していた。他にもテーブルにはろくろ首や豆腐を抱えた少年がカクテルを片手に談笑していたり、一本角の小鬼の集団が中央でグループダンスを披露したりしている。
地獄と見間違える光景に、茉莉はポカンと魂が抜けていた。その背を、鴨は軽く叩いた。
「どうだい?皆楽しんでくれてるだろ?」
「は、えと、何がなんだか。」
「ここはモノノケ達だけの娯楽の場さ。おい、みんな、紹介したい人がいるんだ!」
鴨のかけ声とともに、音楽が止まり、店内のモノノケ達が一斉にこちらを向いた。
「あ、マスターだ!」
「マスターが帰ってきた!」
何人かのモノノケ達は鴨の姿を見て、こちらに走り寄ってきた。
「ひいっ!!」
茉莉は接近してくる怪物達に悲鳴を上げた。鴨は彼女を慰めるように背に手を置くと、叫んだ。
「こちらのうら若き乙女は、四辻茉莉だ。今日からこのクラブのスタッフになる。」
「ちょ、まだ入るとは…。」
茉莉は勝手に従業員認定されたことにも腹が立ったが、この異形達に自分を紹介されたことにも嫌気が差した。案の定、モノノケ達は彼女に興味津々となった。
「へぇ、マリっていうんだぁ。」
「ちっちゃくてかわいい!!」
「本当だ!食べちゃいたいぐらいだ!」
茉莉はモノノケ達の視線やその言動に背筋が冷えた。相手からすれば自身は格好の捕食対象だ。現に、幼少期にそういう体験もある。茉莉は段々と歩み寄ってくる異形達に慄き、ばっと鴨に向かって頭を下げた。
「すいません、鴨さん!付いてきてまで申し訳ないですが、私にはこの店で働くことなんてムリです!」
「あぁ、待ちたまえ!」
茉莉は伸びてくる鴨の手を振り払って、来た道を戻った。そしてビルの前まで来ると、ひたすら道も分からず疾走した。
やっぱり、モノノケは嫌いだ。怖いし、不気味だし。それに奴らのせいで今まで自身の人生は“無茶苦茶”にされてきたのだ。
煙がかった月の下を、少女の荒い息がひたすら響いた。
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