一度きりの内見

霜月かつろう

一度きりの内見

 閉ざされていた扉を開ける。しばらく誰も住んでいなかったから随分とかび臭い刺激が鼻を突く。


「ちょっと窓開けるんで、まっててくださいね」


 お客さんにそう言って慌てて一番大きな窓に駆け寄る。ガラス戸をスッと開けて、雨戸が大きな音を立てながら開くと、空気が勢いよく部屋の中に流れ込んでくるのが分かった。


「どうぞ。ごゆっくり見てください」


 内見のために案内したワンルームの部屋は駅近とは程遠い、人気のない物件。案内するのも始めてな場所。見てみたいですと言われてちょっと戸惑うくらいには縁のない場所だ。


「ええ。ありがとうございます」


 長い前髪が目を隠すほどには伸びきっている。後ろの髪も腰に到達するんじゃないかと思うほど。しゃべり方も大人しく。随分と紹介した部屋の図面とにらめっこしていたかと思ったら突然ここを選んだ女の子。


 大学を卒業して就職する予定だと聞いたが詳しくは聞けやしない。こんな場所に気になったからには変わった子だと思っている。通勤するにも不便だし、買い物するにも周りに大きな商業施設は存在しない。


 不便であることこの上ないと思うのだけれど。何か気になるところがあるのだろう。部屋の隅々まで歩き回ってはなにかを探すかのように首をよく動かしている。


 なんだ?


 なにを探しているんだ。内見でこんなに隅々に目を凝らす人を知らない。ふつうはもっと水回りのチェックだったりエアコンや日当たりなんかを気にするんじゃないのか。


「あ、あの。聞きたいことがあるんですけど」


 いろいろを確認し終わった後のこと。勇気を振り絞るように質問してきた。その覚悟を受け止めなくてはならない。


「な、なんでしょう」


 妙に気合が入って元気よく答えてしまう。女の子がそれに対してびくっと驚くもんだからこちらも一緒になって驚いてしまう。


「あ。いえ。あの。ひとつだけ聞きたいんですけど。ここってタランチュラ出たりしますか?」

「は?」


 思わず声に出してしまったことを後悔する。プロとして失格だ。けど同時に仕方ないだろと心の中で言い訳をする。だってタランチュラだ。日本にいるわけないじゃん。大体いるような部屋に案内するやつがいるとでも思ってるのか。


「い、いや。出ませんけど」

「そっか。出ないんですか……」


 あれ。ちょっと残念そうにしている? なぜ。出ないと困るのかタランチュラ。


「いくら山が近くたってタランチュラはちょっと」

「そうですよね。あ、あの。もっと出そうな部屋ってないですか?」


 あるわないじゃない。そんな部屋を管理しているところ聞きたくもない。


「いえ。そんな部屋はちょっと」

「そうですか。じゃあ、仕方ないんでここにします」

「えっ?」


 また口に出てしまった。ここでいいのか。いったいどういうこと……。深く考えれば考えるほど沼に落ちて行ってしまいそうで。顔が引きつっていくのが分かっていながら。


「分かりました。じゃあ、契約しに戻りましょうか」


 業務モードに切り替える。必死に自分を取り繕う。ちゃんとできているだろうか。


 もうこんな内見はしたくない。一度きりの内見にしたいと心からそう願った。

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一度きりの内見 霜月かつろう @shimotuki_katuro

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