決戦

「グガアアア! ガァアアッ!」


 力を振り絞り、猛り声を上げながらネオは駆け出す。

 遠距離での戦いは、自分の方が不利だと判断。あの火炎放射をもう一度浴びたら、流石に今度は耐えられる気がしない。しかも炎の広がる速さからして、半端な距離では回避も間に合わないだろう。

 幸い、口から放つという『弱点』を見付けた。発射場所が定まっているなら、その前に立たなければ良い。機動力でもこちらが上回っているため、立ち位置の主導権はネオにある。

 周りを飛び回って翻弄し、その間に鱗を擦り合わせて発電。十分な力を溜めたところで、今度は至近距離で雷撃を喰らわせる……これがネオの思い描く勝利のパターンだ。

 とはいえギョジンも勝とうとしている身だ。ネオの思惑通りに動いてくれる訳もない。


「ギョボボォオオ!」


 事実ギョジンは、というネオにとって最悪の行動を取った。

 そもそもネオの本能がギョジンを執拗に殺そうとする理由は、生態系の頂点が複数棲めるほど島が大きくないため。ギョジンに逃げられ、何処かで暮らされるだけでネオは餌不足で死んでしまう。逃げられる時点で、本質的にはネオの敗北になる。

 本能的な衝動なので、ネオはギョジンの逃走の『意味』までは理解していない。だがそれを抜きに考えても、距離を取られるのは不味い。火炎放射という長距離攻撃だけは、ネオは喰らう訳にはいかないのだ。すぐに第二の火炎放射をしないという事は、あの技は連射が出来ないのだろうが……間合いを取られ、時間を稼がれてはその準備を終えてしまう。

 そして、これは戦闘とは直接関係ないが――――ネオには幼い子供がいる。大切な次世代をこの場に残して、ギョジンを島中追い駆け回すのは好ましくない。

 このまま逃がしてなるものか。


「グガアアアゴオオオオオオオ!」


 足の痛みを気迫で抑え付け、ネオは全速力でギョジンを追う。

 ギョジンの動きは速くない。ネオの全力であれば簡単に追い付く。ギョジンが二十メートルと動く前に、肉薄と言える距離まで詰める。

 手が届く位置まで来たところで、ネオはギョジンの背中に手を伸ばす。鋭い爪を、その鱗に引っ掛けようとした

 瞬間、ギョジンの背中側の鱗がざわざわと蠢く。

 嫌な予感がした。しかし攻撃動作に入った体勢では、跳んで離れる事さえ儘ならない。

 逃げられなかったネオは、ギョジンの背中から吹き出す『ガス』をもろに顔面に浴びてしまう。


「ガゥ、ギュウッ!?」


 これにはネオも驚き、そして怯む。

 臭い。

 山頂を覆い尽くす硫黄化合物の臭いにも慣れたネオでさえ顔を顰め、堪らず顔を背けてしまうほどに臭いのだ。鼻がつんっと痛み、あまりの刺激に頭がくらくらしてくる。

 ネオが浴びせられたガスは、エタンチオールを主成分とした混合物である。

 エタンチオールとは人間に、とも評価されている物質だ。ギョジンはこのエタンチオールを体内で合成し、背中側にある『臭腺』に溜め込んでいる。背中に力を込めると筋肉が収縮し、臭腺が押し潰されて中身が飛び出す。

 エタンチオールの臭さは強烈だ。大抵の敵はこの悪臭を浴びれば、その刺激に耐えられず怯む。

 そして重要なのは、このエタンチオールが可燃性のガスである事。


「ギョボアッ!」


 ネオが怯んだ瞬間、ギョジンは身体を大きく左右に揺する。

 こんな動きをしても、ネオの鱗と材質が異なるギョジンの鱗は発電などしない。実際殆どの鱗は、粘液塗れなのもあって静電気一つ流さない。

 しかし臭腺が集まる背中の一部に、鉄分を多く含む乾いた鱗二つだけがある。

 大きく揺するとこの鱗が擦り合わされる。発電は起こらないが、代わりに小さな

 火花はガスに引火。一気に燃焼し、熱により大気が膨張――――衝撃波となって周囲に広がっていく。

 つまるところ、爆発だ!


「グギゥ!?」


 臭いで怯んだ直後の、至近距離での爆発。威力自体はネオを傷付けるものではなかったが、猫騙しを喰らったように怯み、体勢を崩す。

 どうにか地面を踏み締めて転倒は防いだ……が、ギョジンはこの隙を見逃さない。


「ギョボアアッ!」


 爆発を食らわせてすぐ、ぐるんとギョジンは一回転。

 引きずったままの尾を振り回す! 尻尾は高く持ち上げられないようで、地面すれすれを撫でるように動く。

 胴体や頭を殴るには低過ぎる。しかし足払いとしてなら、これ以上ない最高の軌道だ。振り回された尻尾はネオの足に直撃する。

 来ると分かって受けたなら、少し足が痛む程度で済んだだろう。だが爆発により怯んでいた今のネオは、この衝撃を受け止める準備が出来ていない。


「グゥ!?」


 足払いに耐えられず、ネオは前のめりに転んでしまう。しかも今回は攻撃する気満々のギョジンの前で。

 立ち上がろうと地面に手を触れた、その時にはもうギョジンはネオに肉薄。即座に蹴りつけてくる!

 ギョジンの巨大な足は、動きこそ遅いがパワーは絶大だ。その一撃の威力たるやネオの巨体が浮かび上がるほど。


「ゴァッ!? ガギ、ィ、ギ……!」


 蹴られた衝撃で大地を転がるネオ。

 爪を立て、大地を力強く掴んで止まる。しかし受けたダメージは消えない。口から微かに血が溢れ、今の蹴りで内臓が傷付いた事を物語っていた。

 体内がズキズキと痛む。痛みに意識が削がれ、手足が思うように動かない。

 一呼吸入れれば気合いを入れ直せるが、ギョジンはこれを許さず。


「ギィイィイヨボオオオオオオオオ!」


 倒れているネオ目掛けて突進。今度は蹴りではなく、大きな足で踏み付けてくる!

 未だ電気を纏う鱗は『拒絶障壁』を展開しているが、ギョジンの身体には然程金属は多くない。打撃の軽減は僅かなものでしかなく、全体重を乗せた一撃がネオを襲う。


「グギャウゥ!? ガ、ギィイ!?」


 背中から伝わる打撃に、ネオは立ち上がろうとする体勢を崩してしまう。

 踏み付け攻撃の厄介なところは、素早く、連続で繰り出せる事。そして抜け出すのが著しく困難な点だ。

 体力が残っていれば、踏み付けてきた足を押し退けるなどして立て直しを図れただろう。しかし疲弊した今のネオでは、ギョジンの全体重を押し返すための力を込めるのに時間が掛かる。その溜め時間の間にギョジンは次の踏み付けを放ち、力のこもった身体をダメージで脱力させてしまう。

 ネオはこの悪循環に陥っていた。立とうとしても、その度に攻撃されてやり直しになってしまう。ギョジンが気まぐれを起こさない限り、立ち上がるチャンスはない。しかし知的なギョジンが、そんな間抜けをする事は期待出来ない。

 チャンスがないなら作るしかない。


「グ、ギ、ギギ、ギィイイガアアアア!」


 残る力を振り絞って、ネオは四肢の力で跳ぶ!

 まるでカエルのような、不格好な跳び方。しかし四肢の全てを動員した事で勢いは付いた。

 その勢いで体当たりをすれば、流石のギョジンも後退りする。


「ギゥイィ……!」


「グガゥウゥ!」


 怯んだ隙を狙い、ネオはギョジンの足に噛み付く。やはり鱗と粘液で滑り、上手く牙は刺さらない。だが重要なのは歯が通る事ではない。

 顎を引っ掛け、動きを少しでも邪魔する事だ。

 思惑通りギョジンの動きが僅かに、強張るように止まる。ネオが足下にいると理解してすぐ足を振り上げようとするが、止まる事を期待して待ち構えていたネオの方が早い。

 即座に口を開くやネオは頭を鈍器代わりに振り回し、ギョジンの胴体に叩き付けた!

 巨大な頭が生み出す衝撃は、ギョジンを更に大きく後退りさせた。腕を振り回し、どうにかバランスを立て直そうとしている。

 好機、と言いたいところだが……ネオはすぐには動けず。

 頭を武器に使うのはリスクが大きい。頭突きといっても、要は自分から頭を『何か』に叩き付けているだけ。頭を殴られるのと、物理的には何も変わらない。

 ギョジンを退けるほどの頭突きとなれば、相応のダメージがネオの頭、その中身である脳に伝わる。ネオも急激な頭の揺れにより気分を崩し、すぐに動く事が出来ない。首への負担も大きく、寝違えたような痛みがじんじんと広がってきた。


「ギ……ギギョボオオオッ!」


 対してギョジンは、まだ拳を振るうだけの力を残していた。

 不快感に見舞われるネオの頭に、鋭い痛みが走り抜けていく。殴られたと自覚した時には、ネオはまたも倒れていた。

 頭をぶんぶんと左右に振り、どうにか我を取り戻そうとするが……ギョジンが距離を詰めてくる方が圧倒的に早い。

 これ以上攻撃を受けるのは不味い。目眩を覚えながらも、ネオは跳んで距離を取ろうとする。しかし着地に失敗。大地を無様に転がっていく。


「グ、フゥゥ……グゥゥゥ……!」


 なんとか止まった時には、残り少ない体力も底を突いた。

 立ち上がろうにも、手足に力が入らない。尻尾すらろくに触れない。荒く乱れる息の所為で、口を閉じる事すら満足に出来ない。

 反撃をしようにも身動きが取れなければ何も出来ない。爪を立て、地面を引っ掻くのが精々という体たらく。


「……………ギィボボボボ……」


 その情けない姿を、ギョジンはじっと見つめながら近付いてくる。

 しかしある程度距離を詰めたところで、ぴたりと足を止めた。

 ネオとギョジンの距離は凡そ四十メートル。二十メートル超えの身体を持つネオ達からしても、詰めようと思えばすぐに行けるが、一瞬で飛び越えるのは難しい距離だ。ある意味、様子を窺うのに丁度良い位置関係とも言える。

 その距離を保ったままギョジンがネオを見ているのは、観察しているからだ。ネオがどれだけ弱っているか、本当に立ち上がれないのか、そしてあとどれぐらいで死ぬのか……ネオの事を強敵だと判断しているからこそ、迂闊な攻撃はせず、確実に倒せる時なのかを見定める気なのだ。

 ここを誤魔化せれば、攻撃のチャンスもあるかも知れないが……ギョジンはネオ以上に経験豊富な捕食者。何千万年と進化して獲得した能力なら兎も角、その場しのぎでしかないネオの強がりなどすぐに見抜く。


「ギギボボォォォォ……」


 表情などない魚の顔が笑みでも浮かべるように、ギョジンの顔が歪む。勝利を確信したと、そう宣告するかの如く。

 次いで、ギョジンの身体が僅かに赤らむ。

 ネオには見覚えがある。あれは忌々しい火炎を吐き出した時の前兆だ。だとすればまた火炎を吐くつもりなのだろう。

 おまけに今回は、赤く輝く時間が長い。

 恐らくたくさんのエネルギーを溜め込み、火炎の威力を底上げしている。特大の火炎放射で自分を一気に焼き殺すつもりか……ネオはギョジンの考えが簡単に読めた。読めたが、しかしその後、凌ぎ方が考え付かない。

 最初の一撃はすぐに抜け出したから助かったが、最早そんな動きは出来ない。そして火炎放射の威力からして、今の体力で耐えるなど到底不可能。

 避けられない。耐えられない。

 故に今こそ『必殺技』となる。ギョジンの考えを察したネオは、それが正解である事を認めざるを得ない。確かに今の自分には、火炎を躱す事も、耐える事も出来ないのだから。

 覚悟を決めたネオは動かず、ギョジンを睨むだけ。


「ギョオオオボオオオオオオオオオオ!」


 その鋭い眼差しを嘲笑うかの如く、勝ち誇った雄叫びと共にギョジンが口を開いた。肺の中の酸素を追い出し、気化アルコールで満たすための最後の一動作のために。

 刹那、


「ガアアアアアアアアアアアアッ!」


 それ以上の咆哮で、ネオが吼えた!

 ほんの一瞬の雄叫び。ギョジンからすれば悪足掻きにしか思えない、怯みもしない鳴き声が発したのは、声だけではない。

 歯を擦り合わせて生み出した、金属の粉もある。

 最大音量の咆哮と共に吐き出された塵は、秒速三百四十メートルで飛ぶ。四十メートル先まで届くのに僅か〇・一秒。それこそ一直線に、形で。

 そして放つ。

 今まで溜め込んでいた、どれだけ踏み躙られても解き放たなかった――――積み重なった怒りよりも苛烈な電撃を!

 ネオの身体から迸る放電現象。あまりの強さにネオ自身コントロール出来ないそれは、四方八方に飛んでいく。それでも一番強力な、一番力を込めた一本は、迷う事なく目標ギョジン目指して突き進む。

 ギョジンは気付かない。雷撃の速さは秒速十万キロに達し、視認など出来ないのだから。

 勿論発射時に眩い光と爆音を轟かせるため、後になれば気付ける。しかし目に見えた光景を脳が認識するのに、〇・一秒程度は必要だ。

 雷撃は、それよりも早くギョジンの口の中に飛び込む。

 秒速十万キロの速さで、稲妻よりも強烈な電気がギョジンの体内を駆け抜ける。喉を焼き、胃袋を貫き、そして気化アルコールを溜め込む肺を引き裂く。

 肺が破れた瞬間、中で圧縮されていた気化アルコールが元の体積に戻る。

 燃える事による体積膨張を加味しても、一瞬で何百メートルにも広がるほどの量だ。それが元の体積を取り戻せばどうなるか? 結論は言うまでもない。


「ギボッ――――」


 何かおかしい。異変を感じ取った時には、ギョジンの身体はぶくりと風船のように膨れ上がる。

 そして裂けた喉から流れ込んできた酸素が、肺から溢れ出したアルコールと混ざり合う。

 ギョジンの体内に引火を防止する機能はない。肺の中身を全て吐き出す事で、気化アルコールと酸素を触れさせないようにしているだけだ。だから酸素が混ざれば、体内だろうと関係なくアルコールは発火してしまう。火炎放射は口の出口で酸素と触れるから生じるもの。ならば全身の広い範囲で混ざり合えばどうなるか?

 答えは、大爆発。

 さながら勝者ネオを祝福する花火が如く、ギョジンの砕け散った上半身が四方八方へと飛び散るのだった。

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