孤島の守護者
彼岸花
守護者の生誕
大きな大陸から数百キロと離れた海原に、ぽつんと浮かぶ島がある。
島は約三百平方キロ程度の、非常に小さなもの。隆起した海底の一部が海上から出ている、山のてっぺんだけが海上に出ている形だ。大きさの割に標高が高く、険しい崖が多いのも、この島の本質が山だと思えば頷けるだろう。
島の周りの海流は非常に動きが速く、何時も嵐のように波打つ。風は乱気流の如く無秩序に吹き荒れ、鳥さえもそう簡単には近付けない。
海沿いは岩礁地帯が広がるが、そこから十メートルも進めば巨大な樹木が生い茂り、地上部分の殆どを覆い隠す。生えている樹木の大半は、真っ直ぐな幹と細長い葉を持つ針葉樹。木の高さは三十メートル近くあり、伸びた枝は空を埋め尽くす。地面から見上げたところで、見えるのは大きな葉ばかり。即ち空からも、地上の様子は殆ど見えない。
地上に暮らす者にしか、地上の様子は窺えない。
故に『彼女』の誕生も、空から見る事は出来なかった。
「キュ、ピィァー!」
彼女は卵から生まれた。
長さ三十センチほどの、楕円形をした卵だ。とても大きな卵は殻も分厚く、彼女の大きな手で叩いて、ようやく割れるほど頑丈である。
硬い殻を破った彼女は、穴から顔を出そうとする。爬虫類然とした顔立ちだが、ワニやトカゲとは全く違う。それらよりも縦方向に広く、横幅は少し狭めな……簡潔に言うなら『肉食恐竜』の顔立ちをしていた。開いた口には既に鋭い歯が何本も生え、顔立ち通りの食性であると物語る。パチリと開いた目は、爬虫類らしく感情の乏しいもの。目の上に小さな突起があるのが、見た者の印象に残るだろう。
手で穴を開けたら、今度は頭を突っ込み広げていく。殻はパキパキと音を鳴らして割れ、いよいよ全身が出てきた。孵化のために多くのエネルギーを使った筈だが、彼女は疲れた素振りもなくすぐに自分の足で立つ。
体長は五十センチほど。とはいえその長さの半分は、長く伸びた尾が占めている。二本足で立ち、背筋は地面に対して水平にしていた。無数の鱗を生やし、地肌を覆い隠している。腹の鱗は特に細かく、遠目には肌が剥き出しのように見えるだろう。足も発達していて、生まれたばかりなのにもうその身体をよろける事もなく支えている。
生まれたばかりの彼女は、早速辺りを見回す。本能的に、母親が近くにいる筈だと察しているのだ。事実彼女の母は、彼女のすぐ近くにいた。
横たわる、亡骸という形で。
巨大な身体だった。体長二十メートルはあるだろうか。長い尾や頭の形など彼女にそっくりだが、全身はより筋肉質で、生まれたての彼女も成長すればこうなる、というのがイメージ出来る体型だ。
その筋肉質な身体は、あちこちに傷が出来ていた。特に首に深い傷があり、これが致命傷となったのだろう。傷跡は僅かに腐臭が漂い、死んでから数日程度経っていると窺える。
そして数日前に彼女の母親を殺したのは、同じく母の隣に倒れる『何か』か。こちらは母より傷が酷かったのか、腐敗が母よりも進んでいる。小動物に集られ、剥き出しの肉は溶けたように爛れていた。最早元がどんな姿だったのか、想像するのも難しい。
「キュゥゥ……」
彼女は鳴いた。母親らしき死骸に向けて。無論死骸は答えない。
彼女は亡骸に擦り寄る。母親の反応を窺うために。死骸はぴくりとも動かない。
出会う前に、母を失った。
その事実を、まだ幼い彼女の知性は理解しない。けれども脳の大部分を占める、本能的な領域では察していた。自分を世話してくれる者はもうこの世にいないのだと、身体が理解する。
あるところで、彼女は母に擦り寄るのを止めた。
もう彼女は母を呼ばない。身体も寄せない。此処にあるのは母ではなく……大きく、巨大な肉の塊であると認識したがために。
そして彼女の口には、もう肉を食い千切る事が出来るだけの歯が生え揃っている。
「キャプゥゥ!」
母ではなく肉だと認識した瞬間、彼女は母の亡骸に齧り付く。腐りかけた肉を切り裂き、千切り、飲み干す。
誰も自分を守らない。
それでも生きていくために、血を分けた家族の肉をも貪り、彼女は命を繋ぐのだ。
……………
………
…
そんな生まれも、かれこれ二十五年も前の事。
あの時の小さな彼女は、もういない。
今この孤島に暮らすのは、母と同じぐらい大きくなった、一頭の巨大生物である。
全長は二十メートルを超えるほど巨大。全身は極めて屈強に育ち、太く逞しい二本足は巨体を難なく支えている。五メートルはある大きな腕も、鱗越しでも分かるほど筋肉質だ。三本ある指先には、長く鋭い爪も生えていた。
全長の半分を占める長く、縦幅が広い尾も筋肉の塊であり、軽く左右に揺らすだけで木々の枝をへし折り、吹き飛ばす。密林内を悠然と闊歩する歩みは、自分よりも大きな樹木以外は避けもしない。地面に付いている足は身体の割に幅広で、指も大きい。この巨足で小さな植物は踏み潰し、十トン近い体重の足跡を大地に埋め込む。
そして頭部も、幼少期よりも更に頑強に発達した。目の上の突起はより大きく発達し、顔立ちも全体的に無骨になっている。口内に並ぶ歯も、太く丈夫な、刃物のように発達している。
「ギゥルルルル……」
口から出る声は、今やすっかり野太い成体のものだ。
正に獰猛にして凶悪、何より強靭な肉食恐竜の姿。彼女はたった一体で、ここまで育った。
元々生まれてすぐ独り立ち出来る程度の身体で生まれる種であったが、それでも母の庇護なしにここまで生きられたのは、彼女が非常に優秀な個体だったからだ。母親の死骸で食いつなぎ、死骸が骨だけになったら小さな虫やトカゲを食いながら腹を満たして、ここまで成長した。
加えて、同族が他にいなかったというのも大きな要因だろう。
小さなこの孤島では、彼女ほど巨大な生き物は多く暮らせない。餌となる生き物が全く足りないからだ。事実彼女が生まれた時点で、彼女の種族で生きていたのは彼女だけ。ライバルがいなかったため、飢えずに生き抜く事が出来た。もしも母親が生きていたなら、その母と『生存競争』をしなければならかっただろう。母がいないからこそ、少なくとも食には困らなかったのだ。
しかし悠々自適な生活だった訳ではない。
身体に刻まれた無数の傷が、二十五年間の生涯が如何に過酷だったかを物語っていた。爪や牙で付けられた細長い傷跡が、全身のあちこちに見られる。顔面にも傷があり、一部は目のすぐ側を横切っている。
数多の死闘を経験しながら、彼女はここまで生き抜いてきた。あらゆる敵と、数多の獲物と戦い、全てに勝ち抜いてきたから今を生きている。
今や彼女は、この島で最も強い生物だ。
「ギィイィオオオオオオオォォンッ!」
その強さを誇るように、気紛れに雄叫びを上げる。鳥が慌ただしく逃げていき、小動物達は木々の
石の下や倒木の下に隠れるモノもいたが……それらは彼女がただ歩くだけで蹴散らされ、吹き飛ばされてしまう。衝撃で外に放り出されるならばまだマシ。蹴られた位置に近ければ、そのまま潰されてしまう。
命を粗末にする様は、暴君が如く振る舞い。実際、彼女は善良と呼ぶには野性味があり過ぎる。本能のまま生きる彼女の内側に、善悪は存在しないというのが正確か。自分以外の生命は、敵か獲物かどうでも良いの三種類しかいない。それは生物としては珍しくもないあり触れた考えで、つまるところ彼女も、あくまでもこの島に暮らす生物の一頭に過ぎぬという事。
それでも、彼女がいるからこの島の『平和』は守られている。少なくともこれまでは。そして島の環境は、これからもしばし変わらず続くだろう。
しかし島は変わらずとも、外が変わらないとは限らない。脅威は、何時だって外からやってくる。
時は西暦二〇二九年。
孤島の支配者となった彼女が、島の外の世界を支配した種族――――人間と出会うのは、そう遠くない日の事だった。
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