三力のイザナ

さら坊

"伊佐薙"立志編

受け継ぎし夢

 愛知あいち名古屋なごや市。時刻は19時42分。

 さかえ駅周辺にて、三力奇譚さんりききたん関連と思われる通報あり。


 その通報は近くの警察を介して、三力奇譚さんりききたん対策本部たいさくほんぶに送られた。

 彼らは即座に人員を手配、同時に県警に避難誘導の指示を返す。


「すいませんー! こっから先は通行止めになってますー!」

「迂回してください、東改札口以外は問題なく使用いただけますので―――」


 現場の駅員や警備員らはまだ、自分らの後ろでなにが起きているのか把握できていない。困惑の中で、彼らは懸命に声をあげ続ける。


 しかしそんな不穏な心情すらも嘲笑うように、聴衆は己の感情のままに彼らに詰め寄った。


「ハァ!? なんでだよ、あとちょっとで駅つくだろうが!」

「スムーズに帰らせてよ、こっちは仕事終わって疲れてるのよ―――?」

「説明をしろよ、説明を!」


 人だかりはやがて波となり、その勢いは収まることを知らなかった。

 人々を守るための障壁も、じりじりと前線を下げざるを得なくなっていく。 


「で、ですから、改札が使えなくなっておりまして―――」


 駅員らの嘘っぱちも、長くは持たない。彼らももう限界だった。


 その様子を傍から観察していた指示役の警官は、やるせなさから表情を歪め、密かに舌を打った。

 彼はしびれを切らして自身の胸元に手を伸ばし、おもむろに子機を取り出した。


「こちら阿久津あくつ、こちら阿久津―――先輩、聞こえますか」

「こちら土御門つちみかど―――阿久津君か」


 冷静さに親しみを混ぜたような声が、機会音声となって子機から響く。

 阿久津は少しため息をつくと、堰を切ったように言葉を吐いた。


「まったく、どうなってんですか、今回の指令は。流石におかしいでしょ」


「どうもこうも、三力奇譚さんりききたん関連の指示はいつもこうだろう? 現場の詳細なんて、当の被害者や加害者らしか知らない、なんてこともざらにあるんだからさ―――

 というか阿久津君、まさか連絡してきたのがそんな愚痴を言うためだけだ、なんてことはあるまいね?」


 阿久津はギクッと口角を震わせ、ほんの数秒で慌てて取り繕った。


「―――んな訳ないじゃないですか! 状況報告ですよ、状況報告―――」

「そうであってくれて安心したよ。で、そっちはどうだい?」

「どうもこうも―――無理矢理にでも帰ろうとする奴らを跳ね返すのでやっとですよ―――」


 阿久津は改めて頭を回した。

 避難誘導が耳に入っていない一般市民が、依然として栄駅に押しかけている。


「まぁ、元よりここは都会の中継地ともいえる駅ですからね―――利用客が多いのは仕方ない」

「仕方ないったって―――こんなの、適当な理由で抑えられる人数じゃないですよ―――」


 阿久津は捌いても捌いても湧いて出る人だかりに、そろそろ嫌気が差していた。故にどうしても、彼らを見る目線も鋭いものになってしまう。


 そしてその目線は次の瞬間、目の前で起きたあり得ない光景に釘付けとなるのだった。


 推定50mから60m先だろうか。阿久津の目線の先には、駅から離れていく人の流れに逆らい、街灯や車の上を飛んで渡る一つの人影があった。

 まるで浮島をぴょんぴょんと移り渡るように、軽快な身のこなしで目の前の障害物を越えていく。


 誰がどう見ても分かる。あんなもの、人間業じゃない。


「なっ―――おい! そこのお前!!」

「どうした、阿久津君」


 敬愛する先輩の言葉も耳に入れず、阿久津は叫んだ。


 俺の声は聞こえてねえのか―――!? 

 謎の人影は人や車をひょいひょいと飛び越えながら、迷うことなく立ち入り禁止区域へ向かっていく。


 まずい、このままじゃ―――阿久津は遂に走り出し、困惑する民衆をかき分け、その対象の方向へと急いだ。


「阿久津君、なにがあった! 応答しなさい!」

「土御門さん、今はそれどころじゃ―――! 誰かが、栄駅にまっすぐ向かってて―――! 危険区域に―――」

「危険区域に―――?」


 土御門はなにかを考えているようだった。

 その間にも謎の人影は阿久津の心配を余所に、ずんずんと栄駅との距離を詰めていく。

 

「クソ―――待て、おい! それ以上近づくな! 危ねえぞ!!」

「阿久津君、少し待て」

「なんですか! マジでアイツ、なんなんだよクソ速ぇ―――!」

「阿久津君! ―――落ち着きなさい」


 阿久津は土御門の深く沈み込んだ声色に、ピタリと動きを止めた。

 ぐっと全身に力を入れ、自分のはやる気持ちを抑え込む。

 

「その人物の特徴を、言いなさい」

「特徴―――」


 阿久津は改めて、目を凝らした。

 その人影は、今や阿久津と相当な距離が離れていた。


「学生服―――学ランですかね? みたいなのの上に、古風な羽織はおり羽織はおってます。腰には―――なんだろう、刀かな? みたいなのぶら下げてますし、クソデカいネックレスみたいなのもしてます。こんなの、絶対怪しいでしょ? 

 そんでこれは一瞬しか見えてないですけど―――」


 履いているのは、多分草履ぞうりです―――それを言うよりも先に、土御門が口を挟んだ。


「阿久津君。その彼が、今回派遣された"ジッカン"だ」




 青年は、慣れない都会の道を走っていた。目的地に向けて足を進める度に、周囲には人が増えていく。


 こんなことなら、もっと目的地に近いところで降ろして貰えば良かったかな―――

 彼は内心でぼやいていた。

 

 人を避け、障害物を飛び越え、指定された道をとにかく駆ける。


 そんな青年を叱咤するように、耳に付けたデバイスが機械音を発した。

 気の強さが垣間見えるハキハキとした口調で、流麗な声が淡々と指示を飛ばす。


「こちら玲奈れいな、こちら玲奈。さっきも言ったけど、アンタはその道をまっすぐだから。場所の名前はオアシス21で―――」

「―――なぁ、分かってるだろ玲奈―――見た目で教えてくれよ、頼むから」愚痴をこぼしながらも、青年は数台縦に並んでいた車を三歩で飛び越えた。


「そっちこそ、分かってるでしょ? アタシはアンタをからかってるだけだって」


 やっぱりかコイツ―――青年はあからさまに眉にしわを寄せた。


「―――見た目は―――そうね、ガラス張りの船みたいなヤツよ。見たらすぐ分かるわ」

「なにそれ、ぜんっぜん想像できないんだけど―――?」


「だから、そのまままっすぐ走れば分かるっての―――あ、報告入った。じゃ、あとは―――そうねぇ。

 にエンカウントしたら、初っ端からフルでいいわよ。それじゃ」

「ちょいちょいちょい! なんか人混みもとんでもないことなってるんだけど、これもそのまま突っ切っちゃって良いの!? ねぇ? 玲奈さん!?」


 青年の静止もむなしく、デバイスからはその通話が終わったことを知らせる音が短く響いた。


「んな!? 切りやがったよあの人―――まぁいいか―――」


 なにも聞こえなくなったデバイスを睨み、小さくため息をつく。

 青年は半ば呆れながらも、再び視線を進行方向に戻した。


 鉄の格子で支えられた、透明な水の宇宙船―――あれだな、間違いない。

 彼の視界には既に、目的地が映っていた。


「待て、おい! それ以上近づくな! 危ねえぞ!!」


 後方から、自分を呼び止める声が聞こえる。

 おかしいな、警察とかの関係者には事情が説明されてるはずなのに―――


 一瞬躊躇ったものの、青年が足を止めることはなかった。

 別にいいか―――この三力奇譚の担当は俺だし―――


 遂に青年は黒と黄色のテープを越え、目的地の真下にたどり着いていた。

 近くで見てみるとデカいもんだな―――ガラス張りの船―――


 少し面食らったが、彼はすぐに目線をある地点に移した。


 船で言うところの丁度船頭に当たる位置。

 そこから滝のように、大量の妖力ようりょくくだっている。


「こんなにも濃い妖力を垂れ流しやがって―――そりゃ、はクソビビるだろうなぁ、これは」


 彼はすぐさま、ツタのように上に伸びていた螺旋階段を駆け上がり、屋上へと飛び出した。

 両足を地面に叩きつけ、仁王立ちでその対象を睨み付ける。羽織は風に靡いていた。


「おい」


 青年が張り上げた声に呼応し、その黒いもやはくるりと身を翻した。

 その靄が溜まっていた位置こそ、湧き出ていた妖力の源泉だった。


 青年はゆっくりとそれに近づき、腰の刀に左手を添え、鍔を押し上げた。軽い金属音と共に、銀色の刀身が顔を見せる。

 流れるように右手を柄に持っていったとき、は動き出した。


 もやが一瞬岩のように固まった、かと思うと、そのもやは瞬く間に、ある一点を中心にマントのように広がった。

 彼は足を止め、それをただ、眺めていた。


「―――マジかよ」


 青年はその光景に、目を見張っていた。

 その中心にいた存在をようやく視認し、事の大きさを悟る。同時に、自分が派遣された意味も理解した。


「その人は―――人質、だな」

「シネバ―――シネバ―――シネバ―――」


 ヤスリを金属にこすりつけるような嫌な音で、は言葉を紡いだ。


 その声に同調するように、中心に佇む可憐な格好をした女性の口が動く。しかしその声が彼女の声帯から出ていないことは、火を見るより明らかだった。


 加えて、その女性のすぐ隣には、すらっとした体格の男が転がっている。苦悶の表情を浮かべている所から見るに、アレにやられたのだろう。


 カップルがここに来て、彼女が乗っ取られ、彼氏は瀕死、か―――

 青年は眉をひそめる。そして止めていた足を、再びゆっくりと、動かし始めた。


「シネバ―――シネバ―――」青年を威嚇するように、は声を荒げる。

「わーってるよ、これはまだ抜かねえ。"約束"だからな」


 彼は刀から手を放し、 降参の形で手をあげてに近づいた。


 女性との距離が十歩程度になったとき、青年はようやく足を止めた。


「頼むから、その人たちを解放してやってくれねえかな。お前だって、争いは嫌だろ」

「―――――――――」

「もし、素直に彼らを俺に渡してくれるんなら、いいヤツを紹介してやる。どうだ、悪い話じゃねえだろ」

「―――――――――――」


 それは女性の後ろで揺らめくだけで、なにも喋らない。女性の口も、一寸たりとも動かなかった。

 

 ほんの数秒。その場には緊張が走る。

 周囲の喧噪など嘘のように、静寂がその場を襲っていた。


「シネバ―――」

「―――!」


 周囲に広がっていた靄が、段々と女性の周囲に集まり始める。

 青年は目を細めた。


 その瞬間、女性の口が小さく開いた。先ほどとは異なり、細かく震えているようにパクパクとこちらになにかを訴えている。


「おね――――け――――」

「シネバ―――」


 本来の透き通った女性の声と、汚らしい異形の声が混ざる。

 青年は瞬時に左手を刀にかけ、抜刀の構えを取った。


「おねがい―――! 助けて―――!」

「シナバ―――モロトモ―――!」


 もやは明確な殺意を以て、女性に降りかかった。その延長線上にいる青年さえ、飲み込んでしまいそうな勢いだった。


「任せとけ―――」


 胸の中心に揺れる白い仮面を、静かに自分の顔に押しつける。

 その刹那、青年の周囲の空気は一変した。


「全部、俺がなんとかする―――!」




 遙か昔から、妖と人間は時に争い、時に慈しみ合いながら関わり合ってきた。

 時は現代。たとえ文明や技術が進もうと、妖と人間の関係は不変である。


 そしてこの世界には、人間や妖に宿る"三つの力"が存在する。

 人々はこれを、三力さんりきと呼ぶ。


  一つ、それは妖力ようりょく。妖が扱う力のことを指す。


 妖は魂を核とし、外殻を己の妖力で作り出して実体化させている。つまり妖とはいわば妖力の固まりであり、その者の魂や妖力によって見た目も変わるのである。


 本来、妖力といえばそれだけのものだが、中には妖力が変質した"妖術ようじゅつ"という独自の力を持つ者も存在する。それを持つ妖は即ち強い妖ということになり、彼らは総じて"妖怪ようかい"と呼ばれたりする。


 そしてそんな妖怪の中でも更なる上澄み―――妖の頂点と言われているのが、大妖怪だいようかいと呼ばれる伝説級の妖なのである。


 二つ、それは能力のうりょく。選ばれた人間が神から授かったギフトのことを指す。


 能力は選ばれた人間が生まれる際にランダムで授けられ、その者の成長と共に能力も成長すると言われている。

 能力は人間が持ちうる異能の中で唯一、妖に直接干渉できる力であり、故に能力は時に"人類の神器"と呼ばれることもある。


 能力の種類は多岐にわたるが、それらを極めることさえできれば、その人間は人間を超越した存在にもなれるという。


 三つ、それは数式すうしき。人間が編み出した数式を元に、現実世界のあらゆる数値に干渉できる力のことを指す。


 古代から人類はこの世の理を数多の数式で解明してきたが、それと同時に人類は妖に対しての対抗手段も研究し続けていた。

 そしていつの日か人類は、既存の数式の変数にあたる数値を観測し、それを自由に操作することができるようになった。それが数式である。


 しかし、数式は妖に対して直接干渉できないという欠陥があった。それ故に、数式は"人間特化の異能"と言われることもあるという。


 三つの力、三力さんりきは、それこそ種類が明確に分けられているからこそ、しばしば三権分立のような見方をされるが―――

 ある者に力があれば、それを行使するのもその者次第。

 はなからそんな理想論は叶うはずもなかった。


 人に力を誇示する妖が起こす事件や、力に溺れた人間が起こす事件―――

 この時代、三力によって生まれる悲劇は後を絶たない。


 そうして生まれる三力による被害や事故を、人々は"三力奇譚さんりききたん"と呼んでいた。


 


 この話は、英雄譚である。


 三力奇譚から人々を救いたいと願い、ただひたすらに、己の力を振るう。 

 その強い想いは絆となり、その絆はいずれ、未来をも救う。


 そんな英雄の、物語だ。


 















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