黄泉ツアー(1)

「数多の妖が跋扈ばっこする空間。地獄ほど統制が取れておらず、全国の魑魅魍魎ちみもうりょうが溢れかえっている空間。その名は黄泉よみ。基本的に、生者は死なないと行けない場所さ」


「黄泉―――」伊佐薙は実感のない言葉を、ただ復唱していた。


「そ、黄泉。そこはいわば―――死者と妖の都なんだよ。だからそこで開かれている市場は当然、ほとんどが妖専用なわけ。

 僕らみたいなのを含め、妖が何か欲しいーって思ったら、基本的には黄泉の市場に出向く。そういうものなんだよ」


「でも待って、死者しか入れないなら―――俺は?」


 伊佐薙は掛け布団から少しだけ手を出して、自分を指した。

 その問いを受け、ユキは片手で腕を組んで天を仰いだ。


「うーん、そこがわかんないんだよね―――どう思う? 那肋」

「分からんが、危険は危険なんじゃないか」

「そうだよねえ―――でも、うーん」


 二匹は顔を見合って首をかしげていた。

 

「待って、何を悩んでんのさ。ていうか、死者しか入れないって、逆に生者が入ったらどうなるの」


 伊佐薙の質問攻めに、ユキは目だけを伊佐薙に向けて淡々と答えた。


「黄泉にはね、瘴気しょうきってのが満ちてるんだよ。

 これは死者とか妖には基本的に無害なんだけどね、生きているものがこれを吸うと―――大体死んじゃうんだよね。身体と魂が瘴気に犯されて、強制的に黄泉の住人にさせられちゃうの」


「それはつまり―――人間が妖になるってこと?」

「ちょっと違うかな。妖にもなりきれない―――なんというか、意識とか意思のない妖のなり損ない? みたいなのになる。それを屍人しびとと言ったり、屍物しぶつと言ったりするんだけどね。どっちも、生者から見たら死んでるようなもんだよ」

「なにそれ怖すぎだろ―――」伊佐薙はつい声を漏らしていた。


「それでね、悩んでた理由なんだけど―――伊佐薙って今、人間の魂の中に妖の魂が混ざってる状態じゃない? だから、黄泉で無事でいられるのかどうかが、いまいちパッとしないんだよ」


 その理屈はなんとなく分かる、ような気がする。

 俺の魂のほとんどを構成している人間の部分と、少し混ざった妖の部分。黄泉の瘴気に当てられた俺の魂が、どちらを優先するのか。それが二匹には分からない、ということだろう。


「でもさ、仮面を被ったら? 俺は鬼神な訳でしょ?」

「それは勿論大丈夫だよ。でも、ほら―――伊佐薙、仮面取ったらしんどいでしょ」

「確かに―――」


 伊佐薙は改めて自分の身体に意識を向けた。まだ全身が痛い―――大分痛みが引いたとはいえ、まだ筋肉痛の上位互換のような痛みは至る所に残っている。


「できれば、僕らは明日にでも黄泉に出向きたいんだよね。早いとこ、伊佐薙の特訓みたいなのもしてあげたいし。でも仮面を付けるとなると、正直酷というか―――泣きっ面に蜂どころじゃないだろうしね」


 ユキは伊佐薙の身体を視界に収めた。

 あくまで予想だけど―――この感じ、痛んでいるうちにもう一度仮面を付けること自体は、きっと大した問題じゃないんだろう。


 問題は外したときの痛みだ。これはきっと拒絶反応というか―――身体が無理をしている証拠なんだろう。

 例えるなら、サイズの違うパズルを無理矢理合わせようとした結果、小さい方のピースがぐしゃぐしゃになるみたいな―――。


 少なくとも、仮面を付けるのは伊佐薙の身体がある程度収まってからにするべきだ。しかしそれがいつになるのか―――いや、今は伊佐薙の身体のことが先決か。


 ユキは揺れた結果、伊佐薙に判断を任せることにした。


「伊佐薙は、どっちがいい? 多少危険な道を選んで、早いうちに黄泉に出向くか。それとも、少し遅らせて仮面を付けた状態で黄泉に出向くか。

 早く行ければ、僕が特訓を見てあげられるけど、遅いとそれは怪しいかな。

 どっちも一長一短だから、当人の伊佐薙が決めて。それに僕らは従うよ」


 那肋は静かに頷いた。私もその方針に同意する、といった素振りだ。


 伊佐薙は頭を悩ませていた。


 安全策をとりたい気持ちはある。しかし、ユキに色々と教えてもらいたい気持ちも強い。彼は紛れもない強者だ。教わることはきっと多い。


 だがどうだろう、もしここで俺の身体と魂が瘴気に犯され、二匹の助力でなんとか助かったとしても。それは大幅なロスではないだろうか。

 それなら元より、安全な道を選んでイレギュラーが起きないようにするのが、賢明ってものじゃないのか。


 というか、明日すぐにそんな動き回るのはきつい! まだ痛いもん身体!

 これが、本音の大半だった。


「安全にいくべきだと思うので―――仮面付けて後日、ってことにしようかな」

 伊佐薙は力なく答えた。


「うん、まあその方がいいかもね。しっかり休むのも大事だし。よし、じゃあそうしよう。黄泉に出向くのは、伊佐薙が動き回れるようになってからってことで。

 それまでは―――そうだね、一応僕と那肋のどっちかは伊佐薙の護衛をしつつ、それぞれは自由行動ってことで。いいかな」


 ユキはそう言って浮かせていた氷を壊し、部屋中に雪のようなものを散りばめた。

 伊佐薙はその幻想的な景色に一瞬気を取られたが、すぐにユキの方へと向き直った。


「え、そんな自由でいいの? 黄泉なんて"この場所の、この時間でしか行けない"みたいな、行ける条件とかありそうなのに」

「あー―――それはあながち間違いじゃないね。確かに、現世から黄泉に行くなら、行ける場所とか時間は限られてる。よく知ってるね」

「いや―――まあなんとなくね」


 多分この二人にアニメや漫画の話をしても伝わらないだろうしなぁ―――伊佐薙は感心している二匹を「ははは」という乾いた笑いで上手く躱した。


「でも大丈夫、僕らは妖だから。いつでも黄泉へ繋がってる場所はわかるんだ、なんとなくね」

「え、そんなことまでできるの」伊佐薙は目を丸くした。

「あれ、そこは知らないんだ。じゃあ、今日はここまで教えてあげる」


 ユキはそう言って再び氷を展開した。部屋中には瞬く間に冷気が満ち、伊佐薙はより深く掛け布団を被った。


 ユキは片手で先ほどのような黄泉の世界を形作り、もう片方の手で現世の町並みを再現した。


「黄泉ってのは、よく現世と繋がってるんだ。その理由は―――よく分からない。そういうもん、と思ってくれればいいや。

 それでね、黄泉の入り口ってのは大概、無作為に現世に現れるんだ。それがたとえ、ここみたいな住宅街だろうが、なんかデカい建物がいっぱる―――あの―――」

「都会?」伊佐薙が助太刀すると、ユキは「そうそう、トカイトカイ」と笑った。


「そんな場所とかね、本当に無作為に現れる。でも―――そうだな、暗い場所とかいわく付きの場所とか、そういう所の方が現れやすいとかはあるかな。

 言ってしまえば、黄泉の入り口は妖の世界への入り口と同義だからね。妖にとって都合のいい環境に、黄泉の入り口も現れやすいんだよ」

 

 話している途中にも、二つの氷塊の橋渡しとなるような細い氷がいくつも作られていた。きっとこれが、黄泉と現世を行き来するということを意味しているんだろう。

 伊佐薙はなんとなくで理解していた。


「やっぱり妖って、暗いところだと強くなるんだ」

「そうだね。強くなるし、活発になる。まあ、これは弱い妖とかに限った話だけどねー。勿論僕らにも影響はあるんだろうけど、正直体感で違いはわかんない。ね」


 ユキが目を向けると、那肋はしばらく黙った後で首をかしげた。


「それは個人差あるんじゃないか。少なくとも私は、暗い場所や夜の方が活動しやすい気がするぞ」

「へえ、そんなもんなんだ。じゃ、そこは個人差ってことで」


 適当だな―――伊佐薙は若干呆れた顔を浮かべていた。


「とにかく、黄泉の入り口ってのはそういう傾向で現れるものなんだ。それでね、場所が分かるって話なんだけど―――これは、伊佐薙に実際想像してもらった方が楽かな」


 ユキは両手で浮かせていた氷を破壊し、それらを再構築して、次は大きな山のようなものを作った。


「伊佐薙はさ、山とか雑木林とかで遭難したことある?」

「まあ、何回かは?」

 

 全部ここ数年の話だけどな、という私怨はあえて口には出さなかった。


「じゃあさ、その時に『なんとなく、人里はこっちな気がするー』って感覚に導かれたこと、ない?」


 ない、と言いかけたその時。伊佐薙はふと眉間に皺を寄せた。

 確かに―――そんなようなこともあった気がする。


 どれだけ首を回しても、そこには草木や蜘蛛の巣しかない。開けているのは真上の薄暗い空だけ。

 八方ふさがりな環境で自分を守るように働く、第六感のようななにか。


 それに導かれてなんとなく草木をかき分けていると、遠くの方に道路のような、街灯のような何かが見えてくる。そんな不思議な出来事が、伊佐薙の記憶を刺激した。


「ある、気がする」

「そう、それは所謂―――自分の世界に戻るための帰巣本能、みたいなやつなんだよね。それが、僕ら妖にもあるんだよ。さっきも言ったとおり、黄泉は死者と妖の世界だからね。

 それに、妖は人間よりもが強い。だから僕らは、いつでも黄泉に帰れる」


 驚くほど納得のできる内容に、伊佐薙は感心していた。

 そして同時に思い知らされていた。そうだ、彼らは妖。ここ現世は、本来の住処ではないんだ。


 伊佐薙が改めて二匹を目で追っていると、ユキは「分かってもらえたかな」と身体を曲げて伊佐薙の視界に映り込んだ。


「うん、分かった。ありがとう、色々と教えてくれて」

「いいや、全然。じゃ、今日はこの辺で。伊佐薙も休まなきゃだしね」


 そう言って急に立ち上がったユキに続いて、那肋もベッドの上から飛び降りた。


 伊佐薙に背を向けて歩き出すとユキと、その隣をちんまりと歩く那肋は、まるで今から散歩に出るペットと飼い主のようだった。


「あ、ユキ。この羽織り―――」


 伊佐薙が呼び止めると、ユキは顔だけでふり返って笑った。


「あげるって言ったでしょ。お守りみたいなもんなんだから、近くに置いといてよ」


 そう言うと二匹は「じゃ、また明日」とだけ添えて部屋を出た。


 彼らが出て行った後の部屋は驚くほど静かで、伊佐薙は肩の力を抜いてそのままベッドに横たわった。

 天井を見上げながら、伊佐薙は口を開けていた。


 なんか、いっぱいあったな。

 伊佐薙の頭には、今日あったことが信じられない速度でフラッシュバックしていた。


 いつもよりしつこく妖に追われて、山に入って。転んだかと思ったら、一八とかいう和装の化け物に目を付けられて。

 獄炎に包まれて死んだ、と思った瞬間、那肋っていう大きな狼の妖に拾い上げられて。そのまま次元の違う戦いに巻き込まれて―――

 

 そうして現れたユキという名の鬼神を見て、自分が妖に襲われていた原因を知ることになって。かと思ったらユキは自分のことを全力で守ってくれて、一八はそんな俺らを本気で殺そうと、赫、鈴蘭と三大将を揃えてきて。


 あれは―――とんでもない戦いだったな。そこかしこを氷と炎が飛び交う、衝撃波まみれの空間。今思い返しても、自分が生きているのが奇跡に思える。


 というより、実際奇跡だったんだろう。あの場面で、赫が逃がしてくれたこと。あれはもしかしたら、気まぐれのようなものだったのかもしれない。

 

 二匹に家まで送ってもらった後は無事だったことを喜ぶ暇もなく、俺は衝撃の告白を受け続けることになった。

 一番驚いたのは、やっぱり隔世遺伝の話だな。俺の先祖に鬼神がいるってだけでも驚きなのに、まさかその力が何代も渡って俺に発現するなんて―――どんな確率なんだろう。


 それに―――なんだっけ、十剣神威だっけ。勢い余って話しちゃった夢の話から、ユキが紹介してくれた組織名。三力奇譚を主に取り扱っているとかいう、謎の組織。

 怪しさ満点なのに、どこか惹かれる。それはやっぱり、この世から能力を消せる、三力奇譚から人々を守れる、っていう可能性があるからだろうな。


 まだ決定はしなくていい、とは言われたけど、どちらにせよ近いうちに俺は決めなきゃいけないんだろうな。

 その為には、まだ俺にはやることがある。向き合わなきゃいけない、過去がある。


 伊佐薙はリモコンを手に取って、消灯のボタンを押した。ピッという音と共に、部屋が暗闇に包まれる。

 その瞬間、自分の身体が疲れと痛みで、ぐんと重くなるのがわかった。


 

 

「伊佐薙は寝たかい」 


 二匹の足音を聞いたからか、おばあは二人を見ることなく尋ねた。

 おばあはまだ、さっきの和室に座ってお茶を飲んでいた。


「―――ええ、はい。ぐっすり寝てましたよ」

「そうかい―――ありがとうね」


 そのとき、ようやくおばあは身体を回し、まだ廊下にいた二匹を視界に収めた。

 ユキも挨拶をするために、一歩おばあに近付いた。


「時にお二人」

「―――はい?」ユキは目の前の力ない老婆の目に、若干の不安を感じていた。


「敬語。使わんでいいよ」

「え、でも―――」

「だって、お二人さん。どっちも妖だろう?」


 ついユキは後ずさりしてしまっていた。


「しかしそうだね、あんたらはきっと私よりも年上だ。これじゃあ、私が敬語を使わなきゃならないね」

「いや、そんなことは―――」

「こんな歳にもなるとね、なんとなくわかるんだ。大丈夫、盗み聞きなんかしてないよ。安心しな」


 ユキは言葉を失っていた。

 ならこの老婆は、ただなんとなくで、僕たちの正体を確信したというのか。そんなことが、あるのか。


「あの、おばあさん。僕たちは悪い妖じゃなくて」

「わかっとるよ。お前さんの"伊佐薙は友達だ"って言葉。あの目は、嘘をついとらんかった。妖だからって、誰彼構わず追っ払ったりはしないさ」


 ユキは胸をなで下ろしていた。と同時に、この老婆に対して畏怖の念すら抱き始めていた。


「ありがとう、本当に、助かるよ」

 ユキはそう言って那肋の方に目をやった。

「私からも、お礼を申し上げる」


 チワワから発せられた低い声に、おばあは心底驚いた顔をしていた。目を見開いて、胸を押さえている。


「まさか本当に、そっちの子も妖だったとは。山勘だったんだけどねえ」

「―――っ!」那肋は苦い顔をしていた。


「ははは、してやられたね、那肋」安心したユキは笑っていた。


「はあ、本当にびっくりした。で、お二人さんは伊佐薙と何を話してたんだい?」

「うーん、伊佐薙の夢、とかかな」


 ユキが話題を選んでそう言うと、おばあは座り直して目を輝かせていた。


「そうかい、あの子、なんて?」

「―――能力を消したい、とかなんとか」

「能力―――というと、よくニュースになってるあれかねえ」 


 そうか、おばあは伊佐薙が能力者だってことを知らないんだ。ユキは話題を間違えたか、と若干後悔していた。


「それ以外は?」

「それ以外? それ以外は―――三力奇譚から人々を守りたい―――とか?」ユキは那肋に助けを求めていた。

「うむ、そんなところだろう」


 二匹がそう言うと、おばあは少し寂しそうに下を向いた。


「そうかい―――形は変わっても、忘れてないといいけどねえ―――どうかねえ―――」


 ユキと那肋は訳もわからず、互いに目を見合わせていた。




 その日、伊佐薙は夢を見た。


「伊佐薙」


 優しく語りかける声の主は、息を切らして暗闇に隠れている伊佐薙の肩に両手を置き、まっすぐと伊佐薙を見つめていた。


「伊佐薙、俺を見ろ」


 二度目の呼びかけで、伊佐薙はようやく顔を上げて彼を見た。


「―――父さん」


 伊佐薙は眉をひそめた。

 また、あの夢だ。俺のヒーローを失った、そんな最悪の日の夢。


 目の前で穏やかに笑っていたのは、他でもない伊佐薙の父だった。

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