三力の申し子(4)

 轟音と共に漂う土煙に、伊佐薙と那肋はたまらず目を覆っていた。

 まるで山の火山活動でも始まったのではないかと錯覚するほどの揺れが、断続的に一人と一匹を襲う。


「いくらなんでもやりすぎじゃない? 見逃してやれよ、彼は無関係だ」

「ふっふふ、どちらにせよあっし一人でお前の相手をするのは難儀だしなあ。ここでお前達を完封するためにも、これくらいの加勢は許してくれよ」


 ユキはあからさまに舌打ちをし、巨大な氷塊を睨み付けた。


 いつでも助けにいけるように今すぐこの獄氷を解くか―――いや、それでは一八の思うつぼだ。

 こいつの獄炎操術は範囲が広い。この氷塊は、存在しているだけでその攻撃を防げる。あっちの様子も心配だけど、これを解くのは間違いなく愚策だ。


 ユキは再び視線を一八へと戻し、異種族連合との日々を頭に思い描いた。

 時に争い、時に背中を預け、同じ志を胸に数多の苦難を乗り越えてきた。その積み重ねは何百年という年数の分だけ、ユキと彼らの間にかけがえのない信頼を生んでいた。


 その信頼は無論、戦友ともいえる那肋にも預けられている。ユキはゆっくりと息を吐き、"任せる"という覚悟を決めた。


 頼む那肋―――お前に任せるしかないんだ。僕が行くまでなんとか堪えろ。お前だって"妖怪"だろ―――!

 ユキは那肋にだけ伝わるように激励を送り、腰に下げた刀に手をかけた。


「僕はとっととお前を倒してあっちに行く。だから、手加減はできないよ」

「でかい口を叩くようになったね、ユキ。全く、可愛げがないったらありゃしない」


 一八を前にユキは姿勢をかがめて、両手で抜刀の構えを取った。身体に獄氷の冷気を纏ったことで、ユキの周囲の地面や空気はじりじりと凍てついていく。


「ほお、刀術を使うの。まあ、あっしを相手にするなら得策だね」


 一八は自分の周囲に鬼火を何個も漂わせながら扇子を閉じた。それぞれの鬼火からは獄炎が顔を覗かせており、いつあの業火が放たれるかも分からない。


 しばしのにらみ合いの先にユキが親指で刀の鍔を弾くと、その場にはキンッという風鈴のような音が響いた。


「鬼神刀術―――星華せいか


 ユキが蹴った地面は凍り付いたまま大きく割れ、ユキの通り道には冷気によって氷塊として顕現した水分が氷の道を作っていた。


 目にも留まらぬ抜刀術の果てで、白銀に輝く刀身はまっすぐ一八の首元へと伸びていた。




 揺れに対応できずに尻餅をついている伊佐薙の横で、那肋は全身で五里霧中の砂埃をなんとか晴らそうとしていた。身体を大きく振ったり、尻尾を振り回したりする度に、少しずつ視界が明瞭になっていく。


 ある程度先が見えるようになったとき、那肋はその光景に目を見張った。


 至る所で抉れている地面を走っていたヒビは、まるで地割れのようだった。ひび割れの終着点にはクレーターのようなものがあり、その中心には黒い影がそびえ立っていた。


「やーっと見つけたぞ、那肋。それと―――お、ちゃんとユキもいるな。よくもまあここまで逃げられたものだ、感心感心」


 その巨体から発せられたと思われる声は、地響きのように低く唸っていた。

 那肋は全身の毛を逆立てる。


「なんだ、三大将が揃い踏みじゃないか。ここら一体を消し炭にする気か、赤ん坊」那肋の声は威圧に満ちていた。

「赤ん坊―――ね。この俺をそんなあだ名で呼ぶのは、お前ら異種族連合くらいのものだ。その度に、俺にはせきという名があるのだ、次言ったら殺すぞって脅してたっけなあ。しかしまあ、あのクソ雪女、中々気の利いたあだ名を付けやがる」

 そう言って赫は頭を搔いて苦笑いを浮かべていた。


 全身が露わになった巨躯の鬼神、"せき"の姿は、まさしく赤鬼だった。

 

 図体は那肋よりも一回り大きく、四肢に備えた筋肉はいっぱいに膨らませた風船のように張っていた。

 上裸にふんどし、という出で立ちで立ち尽くす鬼の形相には縦に一本、切り傷のようなものが走っていた。左目を縦断するように走るその傷は相当昔のものであるらしく、今はもう古傷のように振る舞っていた。


 そんな大男が肩に担いでいる棍棒はどこまでも黒光りしており、全体を覆う棘は至る所に見られる細かな傷のせいか、所々若干濁っていた。


 ようやく立てるようになった伊佐薙は、慎重に那肋の足元へと移動した。


 先ほどまでは那肋が一番大きかったこともあってか、那肋の背中は物理的にも精神的にも大きく見えていた。

 しかし今は、それ以上の大きさをした化け物が自分らの逃げ道を立ち塞いでいる。それだけで伊佐薙は十分に巨大な那肋の背すら、どこか物足りなく感じてしまっていた。


 だけど―――気になる。こんな状況だってのに―――いや、だからこそだな、これは。

 気付くと伊佐薙は那肋に向かって小声で話しかけていた。


「あの―――」

「どうした」那肋は赫から一切目を離さずに答えた。

「さっきから言ってる三大将とかってのは一体―――」


 そう言いかけた瞬間、少し先にいた赫はふっと姿を消し、ほんの瞬き一つの間に二人の真ん前に姿を現した。那肋でさえ起きたことを脳内で処理するのが遅れるほどの速度。それと遅れるようにして、衝撃と振動が音と共に那肋と伊佐薙を襲う。


 身構える一人と一匹を、赫はただ見下げていた。


「見たところ―――お前はユキの影武者かなにかか? ユキの妖力はあの氷の向こう側に感じるもんなあ。お前は―――人間か?」


 赫が肩に担いでいた棍棒を軽々と下ろして伊佐薙の目の前に立てると、周囲ではその重さからか地面が少し軋んだ音がした。


 一足遅れて厳戒態勢を強いた那肋だったが、既にここまで距離を詰められてしまった。

 流石だな―――皮肉めいた表情で感心しながらも、那肋は冷静に作戦を切り替え、その場から動かずに目と頭だけで打開策を探していた。


 怪物から問われ、伊佐薙は多重面相に任せて振る舞った。そこにいたのは、まるで友達を前にして話しているかのような、どこまでも自然体の少年だった。

 先ほどまでは腰が引けていたにも関わらず背筋はピンと張っており、声色もしっかりとしている。


「人間です。でも、顔が似ているってだけでユキさんだと間違われて、それからずっと妖から狙われていたんです―――本当に、ただの人間なんです」

「ほう、それでお嬢―――ああ、お嬢ってのは一八のことな。あいつにまで殺されそうになったと」

「はい、そうなんです。だから今から那肋さんに逃がしてもらおうと思ってて―――」


 良かった、多重面相が正直にものを語ってくれた。これはきっとこの鬼が、心の底から俺のことを知りたがってくれているからだ。

 伊佐薙は内心安堵していたが、一方で、赫の表情は無のまま特に変わらない。

 そのまま赫は那肋に視線を移した。


「那肋。今の話は本当か」

「ああ、本当だ。嘘偽りはない。だからこいつは逃がしてやってほしいのだ」

 そうすれば私も遠慮せずに戦える、那肋は心の中で呟いた。


「なるほど―――ならば、お前はあくまで無関係の人間で、影武者という形でユキに組みしていた訳ではないと―――そういうのだな?」

「はい―――その通りです」

 

 赫は伊佐薙を見たまま動かない。その目はタイガーアイのように黄色く濁っていた。

 そしてふと、赫は吹き出したように笑い、その場に尻餅をついてあぐらを搔いた。


「ははは、そうかそうか。それは面白い話だな。そこらの雑魚に追われるならまだしも、あのお嬢にまで追われるとは―――ははは、これ以上のとばっちりはないな。ははは」


 赫は膝を手で叩き、豪快に笑った。それを見て伊佐薙は拍子抜けしたように身体から力が抜けていたが、那肋は依然として緊張感を漂わせていた。


「その話が本当なら非常に滑稽だ、可哀想という言葉で片付けられないほどにな―――ああ、そうだ、笑わせてくれたお礼に、俺の方から三大将の話をしてやろう。

 ありがたく思えよ人間、三大将に会えるだけでも幸運なのに、その三大将本人に小話をして貰えるなんて、普通に人間として生きていたらあり得んことだ」


 伊佐薙が無言で冷や汗をかきながら那肋を横目で見つめると、那肋も小さく息を吐いて「まあ、それは間違いない。本来出くわしたら待っているのは死のみだからな」と呟いた。


「相変わらず酷いなあ、お前らは。俺たちは極悪非道という訳ではないのだぞ? ユキを追っているのは、単にユキが悪いからなのだ。十、零でな。

 そのことは誰よりも異種族連合が分かっているはずだが?」


 赫の言葉に、那肋は不機嫌そうに鼻を鳴らした。身に覚えでもあるのか。伊佐薙は何を信じていいのか分からなくなっていた。


「まあいい、それよりも俺たちの話だろう。そうだな―――まず俺たち三大将は、鬼神なのだ。知っているか? 鬼神という種族を。妖の中でも強い部類とされている妖怪、その妖怪の中でも上澄みの種族だ。

 そして俺たち、三大将はその鬼神の頂点に位置する三匹、というわけだな」


 赫の現実離れしすぎた話に、伊佐薙は目を丸くしていた。しかし那肋の横やりがないことから察するに、きっとこの話に大きな嘘は含まれていないのだろう。

 

 その事実は、伊佐薙に今自分の命が薄氷の上に立たされているのだということを再認識させた。


「おっと、それよりもまずは鬼神の妖術について教えてやらねばな。俺たち鬼神には、大きく分けて三つの力があるのだ」

 赫は三本指を立てた。太い指が伊佐薙の目の前にそびえ立っている。

「み、三つも―――」伊佐薙はふと声を漏らした。


「そうだ、すごかろう―――と言いたいところだが、実はそんなに凄いことでもないのだ。現に三つのうちの一つは妖術、と言って良いのか怪しいしな。それにこの那肋という邪狼だっていくつも妖術を持っているだろう? つまり三つも力がある、というのが鬼神の強みというわけではないのだ」


 それは那肋も強い妖だというだけなのでは―――という疑問は喉の奥にしまい、伊佐薙は静かに赫の話に耳を傾けた。

 赫は指を一本ずつ立てながら解説を進める。


「一つ、これは獄炎を操る獄炎操術だな。お前らは先ほどお嬢に存分に苦しめられたろうからな、身を以てこの脅威は知っていることだろう。

 そして二つ目が鬼気きき。鬼気というのが―――これだ」


 赫がカッと目を見開いた途端、その場は赫の鬼気で包まれた。

 

 なんだこれ―――恐怖が―――止まらない―――!?!?

 伊佐薙は気付くと片膝をついてその場から動けなくなっていた。手放さないようにと握られた鬼の面は信じられないほどの握力で握られており、呪われたものでなければ砕けてしまいそうだった。


 当然、出くわした時から赫には恐怖を感じていた。しかし今は、それの比ではない。縮こまりたくなるほどの恐怖が身を蝕み、全ての身体機能が上手く機能していないのが分かる。


 そしてそれは能力も例外ではなかった。普段から常時発動しているようなものなのに、今はすっかりなりを潜めているかのように身体の奥底に眠っているようだった。

 そのせいで、伊佐薙の表情や身体には恐怖が分かりやすく表出していた。


 鬼気の魔の手は那肋にも等しく降りかかり、那肋は意識に全神経を集中させていた。

 鬼神の鬼気―――気を抜くと妖力が弱まりそうになってしまう。気をしっかり持て―――那肋は肺いっぱいに空気を吸い込んで、吠えた。


「この鬼気と遠吠え―――やっぱりあっちにいるのは赫だな。妖力と気配でどうせそうだろうと思ってたけど、これは本格的に時間との勝負かな」ユキは獄氷で身体を守りながら高速で動き回っていた。

「よそ見するなよ、舐められているのかと思うだろう?」一八は獄炎と共ににたりと笑っている。

「お前がちょこまか逃げるから時間がかかってるんだろ―――!」


 ユキは氷と共に一八に突っ込んだが、それを一八は間一髪で扇子で受け流し、再び獄炎と共に距離をとった。


「ふむ、やはり俺程度の鬼気では那肋を弱らせることすらできそうにないな。まあこれで分かったろう、人間。これが、鬼気という妖術だ」


 那肋の遠吠えとともに、伊佐薙の意識は目の前の地面に集中した。既に四つん這いになっていた伊佐薙の頭上から小雨のように降り注ぐ水滴は、伊佐薙から垂れ流しになっていた脂汗だった。


 赫は「ふう」と息を吐くと、ふっと鬼気を解いた。

 その瞬間、伊佐薙の身体には失っていた力がじわじわと戻り、それは能力も例外ではなかった。弱っていた能力の塊のようなものが、段々と元の大きさへと戻っていく。


 伊佐薙は再び身体を起こし、膝立ちの状態で赫を見上げた。


「そして最後の三つ目が、馬鹿力だ。身体能力全般が妖の中でも随一。これは確かに誇るべき力だ。そうだろう? 

 ―――だがまあ、これは妖術かと言われたらそうではないからな、さっき濁したのはそういうことだ」


 赫はそう言いながら自分の両腕の筋肉に力を込めた。ただでさえ丘のように盛り上がっていたものが、力を入れたことで山のような迫力へと進化した。

 

「なんとなく察しているかもしれないが、三大将というのはそれぞれの力を極めた三匹の鬼神の総称だ。俺は馬鹿力、一八は獄炎操術。もう一匹が鬼気だ。

 さっきみせたように、俺たちも鬼神である以上、自分の得意以外もできないこともないが―――まあ、普段使うことはほぼないな」


 赫は続けて「かといって俺が馬鹿って訳じゃないからな、俺は見た目に反して頭を使うタイプなのだ、ははは」といった冗談を言いながら腕を下ろした。


 すると那肋が『話は終わったか』といった具合で一歩前足を出し、赫と距離を詰めた。あぐらを搔いている赫と那肋は、ちょうど目線が同じくらいになっている。


「だが"極めた"といっても、三匹とも"おぼろ"よりは総じて下、なのだろう? お前達三人が揃ってかかっても、朧に優勢すら取れなかったそうじゃないか」


 伊佐薙は高速で首を回して那肋を睨んだ。なぜ煽るんだ、せっかく良い感じだったのに。

 しかしその不安は赫の照れ笑いによってかき消されることとなった。


「そりゃあお前、朧様に比べたら俺たちなんてのは御山の大将みたいなもんだからな。あのお方は―――そう、別格なのよ。なんてったって、朧様は"大妖怪"だからな。鬼神王という呼び名も、その強さ故よ」


 伊佐薙はほっとするのと同時に、その朧という鬼神に対して戦慄していた。さっきの一八、そしてこの赫。彼らが一気にかかっても、手も足も出ない存在がいるということ。

 それだけで伊佐薙は目が回りそうになっていたのだった。


「間違いない。我々からしたら一番の懸念点が朧だからな―――その強さは本物だ、疑いようもない。常識が通用しない相手だからな」

「ふはは、分かっているではないか。その通り、あのお方は鬼神だけに留まらず、妖全体を統べてしまえばいいのにと思っているくらいだ、俺は。それくらいの力があると思わんか、なあ」

「ああ、それも良いかもしれんな。後はユキのような者を許せるような寛容な心があれば、文句はないんだがな」


 それまでは飲み会の席のような空気だった会話が、その一言を境に再び殺し合いの雰囲気に舞い戻った。

 赫の声色は低く反響し、その場にいたものを強制的に身構えさせた。


「それとこれとは話が別だ。朧様が殺す、といえば殺す。これに例外も、間違いもない。だからユキは殺さねばならんのだ。ユキは今日この場で死ぬ、これは確定事項だ。そしてユキに組するお前らも、今日が命日だ」


 ―――? 伊佐薙は一瞬聞こえた言葉に耳を疑い、同時に鬼の面を握りしめた。


 那肋は目を閉じて息を吐いた。再び目を開くときには、その目には覚悟と闘志が宿っていた。


「お前は三大将の中では話が分かる方だと思っていたのだがな―――残念だ。結局は朧の犬に変わりはないか」

「現に俺は話が分かる方だろう―――まあ、それは諧謔心かいぎゃくしんがある、という意味でだがな」


 赫は突っ立っている棍棒を支えにしながら立ち上がり、その棍棒を手首だけで回した。

 グオングオンという重たい音と共に回る鈍器は、まるでなにかの処刑器具のようだった。


「やはり―――お前もこいつを無事で帰すつもりはないのだな」

「お嬢もそう言ったのだな、流石だ。ならば尚更、俺も思いは同じだ。お前ら二人とも、ここで殺す」

「なぜだ―――私には分からん、お前達の思考がさっぱり分からん。今更お前達に優しさを求めようとは思わん。だが理解できんもんはできん。一体何がしたいのだ」


 赫は振り回していた棍棒をそのままの勢いで肩に担ぎ、もう片方の手で伊佐薙を指さした。

 

「そいつ、ただの人間だ、と言ったな。それは嘘だろう―――違うか? さっきからこいつは人間の癖に、強妖怪きょうようかいまみれのこの空間でまともでいやがる。普通の人間なら今頃失禁して気を失っているだろう。

 それなのにこいつは今でも自分の足で立って、堂々と俺たちと向かい合っている。まともな反応をしていたのは、鬼気を浴びせたときくらいのものだ」


 那肋は目だけで伊佐薙を見つめた。その目はどこか異質なものを見るように小刻みに震えていた。


「これはあくまで俺の予想だがな―――お前、能力者というやつじゃないのか。人間に異能が宿るとかいう、あれだ。

 そんな不気味な存在が、のこのこと那肋の横で立っている。その状況を、俺たちが怪しまないとでも思ったか。馬鹿にしよってからに」


 ふざけるな―――そう言い放ってやるはずだった那肋は、赫の言うことに妙に納得してしまっていた。

 確かにこの人間はおかしい。場に即座に順応し、挙げ句の果てには自分の命すらを差し出したことだってあった。あれを異常といわずしてなんという。


 しかしこいつが我々の味方というわけではない、というのも我々のみが知っている事実な訳で―――人間として異常なことは、こいつが自分らの巻き添えに死んでも良い理由にはならない。


 那肋は目の前の懐疑心の塊を相手に、どのように説明すれば理解して貰えるかを熟考した。

 しかしどれだけ考えても答えは出ず、その場の沈黙は限界を迎えた。その時だった。


「どこまでいっても、きっとこの話は平行線ですよね」


 声を上げたのは、いつの間にか立ち上がっていた伊佐薙だった。怪物二匹はちっぽけな人間一人の発言に意識を向けた。


「僕と那肋さんがどれだけ弁明しても、赫さんは僕らが協力関係にある訳ではない、ということを信じないでしょう? ただ僕の無事を祈って預けてくれただけのだって、赫さんから見たら僕らの関係の象徴に見えるでしょうし」


 伊佐薙はお面を手もとで小さく振りながら、赫の目を見つめた。その目線は睨んでいるわけでも、懇願しているわけでもない、ただのまっすぐな視線だった。


「だからどうでしょう、もうこの際好き勝手やりませんか。僕は逃げる為に全力を尽くし、赫さんは僕らをここで殺すために全力を尽くす。これが一番、全員の利害が一致する結果だと思いますけど」


 淡々と場を仕切る人間に、赫は心を奪われそうになっていた。ぼーっとしているせいか、焦点が合わない。


 この者は間違いなく、何かの能力を持っているのだろう。俺の問いを否定していないことからも、それは間違いなさそうだ。

 しかし―――その能力を加味したとしてもこいつが非力だというのは直感で分かる。俺が本気で殺しにいけば、こいつはなんの苦労もなく肉片に成り果てるだろう。


 それなのに、なぜこいつはこんなに堂々としている。威圧することも、怯えることもなく、俺の前に立っていられる―――?

 その困惑が心のどこかで恐怖に変わっているのを、赫は無視できずにいた。


「何を言っている、それで一番に危険にさらされるのはお前だぞ」

「それは初めからそうでしょう。しかもこの提案をしているのが、非力である僕本人なんですよ?

 那肋さんもどこかでそうしたかったんじゃないんですか。僕を見捨てた方が今後のためになる―――って。それなら本望なはずでしょう、この提案は。これは他の誰でもない、僕からの提案なんだから」


 那肋は言葉を失っていた。それは確かに否定できない。


 しかし私は、ユキと約束した。


 それにさっきだって、私は我々を救ってくれた人間を殺そうとした。なんたる至らなさ、穴があったら入りたいほどだ。こんなことを二度も繰り返すわけにはいかない。なにがあっても、彼を見捨てるわけにはいかない。

 

 彼が勝手にしろ、と言うのなら、私も勝手に"守らせて"もらおうじゃないか。

 那肋は誰にも見られないように歯を食いしばった。


「最後に確認するが、いいんだな? 人間。本気で殺しにいくぞ」

「はい、勿論。僕も精一杯抵抗しますので」


 淡々と答える伊佐薙を前に、赫は笑うことしかできなかった。

 赫はそのまま担いでいた棍棒を両手で持ち、野球のバットを振るようにして構えた。


「尊敬するぞ、人間。最後に、名を聞こうか」

「平坂、伊佐薙です。忘れないでくださいね」伊佐薙は不敵に微笑んだ。


「ああ、伊佐薙。俺は人間という種族を前にしたとき、生涯お前を思い出すことだろう。勇敢な人間よ、この場で散れ」


 伊佐薙がお面を被ろうとするより先に、何者かの助走で地面が砕けた。

 

 それが那肋、赫、伊佐薙の三人に向けた戦闘開始のゴングとなるのだった。

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