【6】 恋した瞳で君を描く。

 部活は次の週から始まった。


「やあ、来たね。二人共、入って入って」


 アダルベルト、もといアート先輩が、新入部員のルイスとエステルを出迎えた。

 他にも少ない数だが美術部員はいて、初めまして、と挨拶をされる。


 どうやら、新入部員は2人だけのようであった。


「よ、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 緊張気味に挨拶するエステルと、洗礼された姿勢で美しくお辞儀するルイス。


 この学院の美術部は、放課後に毎日美術室が開放されるので、そこに集まる。


 基本的には一ヶ月に一度、発表会をやるので、自分でスケジュールを組んで作品を作るのだと、説明を受けた。

 それも自由参加なので、強制ではない。

 また、人によってはコンクールに応募する作品をずっと作っていたりするらしい。


 油絵を描く部員ばかりのイメージがあったが、彫刻を作っている生徒や、あらゆる画材を使ってデザイン画を手掛けている生徒もいた。


「好きな画材で好きなことをしていいんだよ。もうやりたい事は決まっているかい?」


「あ、私は油絵をやりたいです」


 エステルはすぐに答えた。


「オレも油絵です」


 ルイスもそう答えた。


 彼としては、エステルと同じ事をやりたかっただけだが、この部活で油絵を選択するのはスタンダードであり、不自然なことではない。

 なので、これについてエステルは怯える事はなかった。


「うん、スタンダードな選択だね。じゃあ、油絵チームだね。ただ、しばらく君たちはデッサンを課題にしようね」


「わかりました。では今日は、何をすればいいですか?」

ルイスが尋ねた。


「ああ、そうだね。じゃあ僕から課題だ。君たち2人でお互いの顔を木炭でデッサンを……描いてみてくれる?」


 ……。


 お互いの顔を描く。

 つまりはずーっと、エステルの顔を見ていて……いいのか!


「わかりました(即答)」


「……えっ」


 エステルのほうは一瞬、青ざめたが、すこしルイスの顔を見て思い直した。


 ――か、顔は怖いけれど、端正な顔立ちでいらっしゃるし、描くのは楽しそう。


「わ、わかりました」


 そして2人は、美術部の備品から木炭とスケッチブックを借り、お互い向かい合って座り、デッサンを始めた。


 ***


 しかし。


「あの……ヴィンケル先輩……」

「なんだ」


「その、手が動いてないかのように思えるんですけど……描かないんですか?」

「描くぞ」


「でもその、ずーっとこちらを見ていらっしゃるので……」

「お前を描くのだから当たり前だろう。……そしてオレは今、お前の顔を記憶している……。(合法だ……合法にずっと顔を見れるチャンスだ……)」

 

「ふぇっ……!?」


「何か間違っているか……?」


「い、いえ。人の描き方はそれぞれと思いますので……はい……(うええええ、じーっと見られてて怖いよう)」


「ところで、ルイスでいい」

「はい?」


「呼び方だ」

「あ、はい、ありがとうございます。では……私のことも、エステルとお呼びください」

「わかった」


 仏頂面でそう答えるルイスだったが、その心の中には春の嵐が吹き荒れた。


 ――やっと、会話らしい会話ができたぞ……!

 しかも、名前を呼ぶことができるようになった……!!


 それにしても美術部良いな! まさかこんな合法にずっと彼女を見ていられる方法があったなんて……!!


 顔とは裏腹にもう、ウッキウキであった。


 そして、より一層彼女の顔がくっきりと魅力的に見えてきた。


 ――よし、そろそろ描けそうだ。


 ルイスは記憶する時間を終え、今度はひたすらスケッチブックに頭の中に浮かぶエステルを描いていく。


「(えっ。今度は一切こちらを見なくなった……)」


 先程までこっちをジッと見て動かなかったルイスが今度は一心不乱にスケッチブックに向かったことにビックリするエステル。

 エステルは、怖いという気持ちを忘れて、不思議な気持ちでルイスを見ていた。


「できた」

「えっと……私も、できました」


 ほぼ同時に描きあげた2人は、作品を見せあった。


 エステルは、ルイスの描きあげた自分を見て、驚いた。


 自分とは思えないほど、可愛く見える――だが、確かにそれは自分だった。

 顔の輪郭も、頬の膨らみ加減も、髪質までも――まるで鏡を見ている気分になった。


 なのに、どこか美化されて描かれている気がする。

 可愛すぎる。

 どうして。


「えっと、ルイス先輩。あの、すごく……上手ですね。ひょっとして習われてます?」

「いや、授業以外で絵画はやったことはない。おま……エステルも上手だ。習っているのか」


「あ、はい。絵を描くのが好きだと言ったら、父が絵画の先生を呼んでくれて……すごい、学院の授業だけでこんな上手に……」


 ほ、褒められた!!

 そして、さっきから嘘みたいに会話が続いている!!

 おめでとう、オレ!!


 ルイスは内心泣き出しそうだった。表情はまだ強張りがとけなかったが。


 そして、ルイスは、自分の描いた絵をスケッチブックから、ベリッとちぎり取り、エステルに――


「やる」

「え」


 要らないって言われるかもしれないな……でも、やっと普通に言えた。

 拒否されたら持ち帰って、部屋に飾ろう。


 そんなダメ元の気持ちでいたルイスだったが、


「ありがとうございます……嬉しいです」


 エステルは、嬉しそうに受け取って――そう言い、微笑んだ。


「……(はうっ)!!」


 ルイスは固まった。頭の中は真っ白で、髪がかかって見えないが、耳の上部は真っ赤だった。


「ルイス先輩ほど上手じゃないですけど、私のも……良ければ貰ってください」


 しかも、エステルが自分を描いたスケッチを差し出してきた。

 勿論受け取る。

 エステルが描いたルイスは適度に仏頂面で、つまりは正確だった。


 オレってこんな顔してるのか? してるかもしれない。

 だがそれはどうでもいい、エステルが描いてくれたスケッチを、もらえたぞ……!

 部活入ってよかったあああああ!!


「お、おう……。ま……」

 ――また、描いてやらないことも……な、ない。


 ルイスはもう少し踏み込んで、またやろう、と言おうとしたが、緊張からまた例の失言をしそうになった。

 だが、幸いにも声にならなくて口をパクパクして言えなかった。


「……? はい、また一緒にデッサンしましょうね」


 最後まで言えなかった事が幸いして――エステルは、またやろう、と言われたように受け取ったようだった。


 ルイスは帰宅したのち、自分の部屋の壁にエステルの描いた自分のクロッキーを貼り付けた。

 仏頂面の自分ではあったが、その木炭の線の一つ一つが、彼女の付けた軌跡だと思うと、非常にドキドキした。


 ――婚約を取り戻したいなんてだいそれた事は思わないが……だが、この調子で……とりあえずはあの日の暴言を謝れるようになりたい。


 胸に希望が満ち始め、エステルの入学式の日以来、灰色だったルイスの世界は、この日少し色づきを取り戻した。


 ***


 エステルは帰宅すると、侍女長のマーサに額縁を発注して、と頼んだ。


「まあ、お嬢様……これは素晴らしい肖像画ですね」

「マーサもそう思う?」


 マーサにルイスの描いたクロッキーを見せると、目を輝かせて称賛した。


 マーサは隣国の芸術の国『ヴィオラーノ』の生まれだ。


 ヴィオラーノ生まれの人間は、何かしらの芸術に触れる環境で育つ。

 マーサもヴィオラーノでは、絵画を嗜んでいたことがあるらしい。


「ええ、とても気持ちがこもっています。これを描いた方はお嬢様のことが輝いて見えていて、とても好きでいらっしゃるのでしょうね。まあ、ロマンチック……」


 うっとりするマーサ。

 芸術の国は、恋する国ともいわれ、情熱的な人も多い。


「え……っ?」


 エステルは首を傾げ眉間にしわを寄せた。

 ルイスの顔を思い出す。どうみても自分の事を好きな顔には見えない。


「ちなみにどちらの貴族子息が描かれたのです?」


 子息……マーサ、描いた人の性別までわかるの!?


「よく子息だってわかるわね?」

「あら~。だってこれは……いえ、なんでもありません。で、どちらのご子息です?」


「えっと、美術部のヴィンケル先輩です……」


 ルイス=ヴィンケルは、初見で、あのような暴言をエステルに吐き、その後謝罪の手紙も失礼な手紙を送ってきたことで――このクラーセン家では悪い意味で有名な令息だった。


 それを考えると言いづらいがこの流れで言わないのも変だったので、素直に伝えた。


「まあっ! お嬢様。あのルイス=ヴィンケル様です!?」


 マーサが驚くのも、もっともだった。


「うん……実はね……」


 エステルは自分が怖いと思っている相手と同じ部活に入ってしまうという、立ち回りに失敗したことを、マーサに窘(たしな)められるかな?、と思いつつも今日あった事を話した。


 マーサはエステルにとって乳母であった事もあり、第二の母のような存在でもあった。

 謝罪の手紙が送られてきた時、エステル以上に怒ったのはマーサだった。


 それなのに、そのルイスと関わりを持ってしまったのだ。


 相変わらず両親同士は仲が良いために、とくに近寄っては駄目だ、とか言われた事はなかったし、両親達はルイスのことを特には怒っていないし、悪い感情は持っていないように見える。

 だが、エステル自身が近寄りたい相手ではなかったし、侍女の身とはいえ、ずっと親身になって世話してくれてるマーサには気分の良い話ではないだろう。


 エステルがそんな事を思いながら、しばらく上目遣いでマーサを見ていると、


「……ぷっ」


 マーサが、口元を抑えて吹き出した。


「なんだ……そういうこと……ふふっ」


「????」


「ああ、失礼しました、お嬢様」


「どうしたの、マーサ。私なにか笑われるような事言ったかしら?」


「いえ、なんでもありません。はしたなくも、思い出し笑いでございます。お許しくださいませ。……では、額縁を発注しておきますね」


 そう言うとマーサは、また入浴時に参ります、と下がった。


 エステルは、デスクの上に、ルイスのスケッチを置いてもう一度眺めた。


 ――気持ちがこもっている。


 そう言われてみれば。

 その絵を眺めていると、苦手な相手から貰った物なのに……気持ちが少し温かくなる気がした。


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