5話 騎士との親睦、決意
「いてッ……いてッ、いててッ!」
熊の襲撃から助けられ一息ついたところでラスクが僕の上着をいきなり剥ぎ取ったかと思うと、アンダルギスのおっちゃんから受け取った包帯を体に巻きつけてきた。
「ほら、じっとしていてください! 上手く巻けないでしょ」
「ら、ラスク、もしかして怒ってる?」
「怒ってません!」
「――っ!」
こちらの物言いが癪に触ったのか包帯をぎりぎりと巻きつけてくる。
あかん、怒ってる……これはめっちゃ怒ってますがな。
「……勝手ですよ、クロマメさんは……勝手に自分だけ納得して、わたしをひとりぼっちにしようとしたんですから……」
「ラスク……」
手が止まるラスクの手が震えているのに気づき申し訳ない気持ちになる。
悪気があったわけじゃない……って言ったところでそうは通らないよな。無我夢中だったとはいえ、確かに僕は自分を犠牲しようとしてしまったんだ。ラスクの気持ちを考えれば怒られても仕方がない。
「だからしっかりと反省してください! いいですね?」
「あ、は、はい」
ぎゅっと包帯を強く結びながら言ってくるラスクの迫力に、思わず縮こまって反省モードになってしまう。
「仲睦まじくていいのう」
日が暮れ始めたことで焚き火を起こし火の番をしてくれているアンダルギスのおっちゃんが僕らのやり取りを楽しそうに眺めていた。
鎧の一部と兜は脱いでおり、兜の下からはちぢれ毛を束状にまとめたドレッドヘアっていうのかな、それに近い髪が見えどことなくファンキーな印象を受ける。
鎧を着ている時点でもそうだったけど背もかなり高く、肩幅と相まって大きいというよりデカい!といった体格だ。
「しかし驚いたぞ。熊の雄叫びが聞こえたからまさかと思って森を探索してみれば人が襲われていたのだからな」
「あ、改めて、助けてくれてありがとうございます」
「本当に助かりました。包帯や薬までいただけてなんてお礼を言ったらいいか……」
「なに気にするでない」
僕たちのかしこまっていく姿にまたもやガッハッハッと笑い飛ばしてフランクな空気を作ってくれる。
「先も言ったが民を助けるのも騎士の務め。それにお主らを助けられたのはお主らの頑張りによるものだ」
「俺たちの頑張り?」
「そうだ」
そう言うとおっちゃんは辺りを見渡しながら木を指差す。
「どっちかは知らんが木に印をつけただろ? おかげで跡をたどるのは難しくなかったし、それに――」
「ん? おわっ!」
「わぁ……」
やたら広いまな板を地面に置いたかと思うと、その上にどさっと肉塊が置かれた。
「こ、これってもしかして……」
「熊さんのお肉?」
「そうだ。雰囲気からしてお主だろ、1頭を仕留めたのは? その熊の肉だ」
「あ、ああ、けど俺だけの力じゃない、ラスクもいてくれたから上手くいったし、奇跡みたいなものだ……」
奇跡、そう奇跡。思い返してみれば熊の目に上手く当てられたのも、そのまま脳天をぶち抜けたのもあの声の奴が起こした奇跡だったんだろう。
「奇跡だろうと何であろうと起こそうする気概がなければ起きぬ、そうであってもほぼ丸腰で仕留めたのだから大したものよ、良いチームワークだ」
「そ、そうかな?」
こんなに褒められたのはゲーム仲間以来だ。なんだろう、なんだかすごく照れ臭い。
「ところでこのお肉どうするんです?」
「もちろん、食う!」
「うへぇ」
微妙に興味津々に見えるラスクの質問に当然とばかりの豪快な返答に感嘆してしまう。
しかし……。
「熊肉、か」
火を通したものどころか生の熊肉。食べたことがないのもさることながら先ほどまで自分たちを食い殺そうとしていただけに、抵抗があるというかなんだか複雑な気分だ。
「ワシの介入があったとはいえ、野生においては食うか食われるかだ。ならば食え、それが生き残ったものの責務だ」
「責務……」
「血抜きも内臓の処理もしっかりとしておいた。さあ、豪快にいってやれ」
おっちゃんにうながされるままに目の前に置かれている熊肉に視線を向ける。
身はほぼ赤身でいわゆる〝サシ〟のようなまばらな脂は見えない。ぱっと見では筋張って固そうに見えるけど。
「……いただきます」
「わたしも、いただきます」
ええい、こうなったらままだ食えばわかる。綺麗に削いだ枝を箸のように持ちひとつまみ。
肉塊だと思っていたけど熊肉は刺身のように切り分けられていて、そのまま口に運びそしゃくする。
「ん……お?」
「あ、これ……」
ぎゅっぎゅっとした食感ではあるが噛めば噛むほど肉の旨味が広がっていき、ほのかに脂の甘さもする。
馬刺しに近いけどあれよりも肉質が硬めでさすがに臭みがあるが、それでも――。
「美味い」
「うん、ちょっと硬めだけど噛みきれないほどじゃなくて、程よい弾力のあるお肉って感じで美味しいです!」
「ガハハ、そうだろうそうだろう。なら、次はこいつをつけて食べてみろ」
「それは?」
おっちゃんがバッグからごそごそとしながら水筒のようなものを取り出してきた。
「本当は瓶がいいんだが、ワシの動きだと割れてしまうんでな」
「これってまさか」
「さあ、もう一度食いねぇ」
言われるがままに皿の上に垂らされた黒い液体に熊肉の刺身をつけて口の中へと再び運ぶ。
「やっぱり、これは醤油だ!」
「ほんと! ちょっと濃いめだけどお刺身を食べているみたいで美味しいです!」
「熊肉の臭みを醤油の香りで上手く消されて、どうしても淡白気味になるこの肉の味にマッチしている」
思わず食レポしてしまうぐらいに興奮してしまう。いや、美味い! 美味いぞこれ!
死から生還した反動か結果的に自分の手で狩った獲物の肉という達成感からか、とにかく肉を食べる手が止まらず気づけばラスクと2人で数キロはあるであろう肉塊を見事に完食していた。
「く、食った食った」
「お腹いっぱいです」
「ガッハッハッハッ! 見かけに寄らずいい食いっぷりだったな。ワシもさばいたかいがあるというものよ」
得意げになるおっちゃんの様子を見て夢中で気づかなかったがはっとしてしまう。
「あ、わ、悪い、気づいたら全部食べちゃって……」
「ほ、ほんとだ。ご、ごめんなさい……」
我ながらよくこれだけの量を食べ切れたもんで、これも転移によって肉体が改善したおかげなのだろうか。
「よいよい、まだ肉も脂もある、なによりこんなに美味そうに食ってもらってワシも嬉しくなる」
おっちゃんは食事をする代わりに、ボトルに入った液体をぐいっと飲み大きく息を吐いている。たぶん酒か何かかな?
「そういや名を聞いていなかったな。お主ら、名はなんという?」
そういえばそうだ、色んなことがばたばたと起こりすぎてうっかりしてた。
「あ、えっと、俺は
深い意味はないけど、異世界にやってきたという自分の中でのある種のケジメとして名前だけにしよう。
「ほうほう、ならわたしは
何かを察したのかラスクも俺にならって名前だけを言った、自分だけのケジメのつもりだったんだけど……まあいいか。
ていうか考えてみればラスクと俺も初めてお互いの名前を知ったことになるのか? なんかクロマメと呼ばれたりラスクと呼ぶのがしっくりしすぎて何も思わなかったよ。
「ん? クロマメとかラスクとかお主ら呼び合ってなかったか?」
「あれはあだ名というかニックネームというか……」
もっともなおっちゃんの疑問に無難に答える。まさかゲーム内での名前なんて言ったらさすがに混乱するよな。
「わたしとクロマメさん、2人だけの特別な名前なんです」
「おお、そうかそうか、本当に仲がいいんじゃのう」
その名前で呼び合う意味を知っているから間違いではないんだけど、〝特別〟という言葉に少なからずドキッとしてしまう。
「さて、これだけ食べれるということは元気な証だ。傷も見た目の割には大したことなかった、後はゆっくり休みさえすれば、明日にでも回復しているはずだ」
焚き火に枝を足しながらおっちゃんが続けてくる。
「熊との戦いで疲れたろう、獣と虫避けのお香を焚いておいた。火はワシが見ておくから今日はもう休むといい」
「ありがとうございます。そうします」
「おやすみなさい」
――ぱちぱちと焚き火の音が聞こえる。
日中の出来事がまるで嘘のような静けさでそれが原因か中々眠れずにいた。
熊に襲われたことがトラウマになったわけじゃないし痛みは引いてるんだけど、体が妙に火照ってる気がする。
まずいな……疲れてはいるんだろうけどうまく眠れない。ラスクは、もう寝たかな?
自分と同じく簡易布団で隣に眠る少女に視線だけを向ける。
「んぅ……」
初めて出会った時と同じ寝顔を覗かせているラスク。
すやすやと安心しきった表情からはこれからに対する期待を感じさせる幸せなそうな顔だ。
「ダメですよぉ、クロマメさん……いきなりそんなケダモノみたいなことぉ、恥ずかしいですぅ……」
「いや、どんな夢見てんだよ……」
寝言は聞かなかったことにして改めて自分を実感する。
「生きてる……生きてるんだよな、僕」
ラスクの様子に自然と笑みがこぼれる。この子を独りにすることにならなくてよかった。この子の笑顔をまた見ることができて、本当によかった……。
そう思うのと同時に……僕はひとつの決意をする。
「僕は、強くなる……」
漠然とした意思表明にすぎないがこの子の笑顔を守るためには絶対的に必要なこと。
守るだけじゃダメだ。強くなって強くなって、もう二度と自分を犠牲にしなくていいぐらいに強くなる!
僕だけじゃない、もちろんラスクも一緒に――。
「眠れんか?」
「……はい」
突然おっちゃんに声をかけられゆっくりと体を起こしていく。
「大事にはなっていないがかなりの傷だ、落ち着くまでは寝つけまい」
おっちゃんが顔だけをくいっと動かし目配せしてくる。
その意図を察し僕は焚き火を囲うようにおっちゃんの隣に腰かけた。
「お前さんらが相手した熊。ありゃムレグマっていってな、群れで狩りをする熊なんだ。おまけにこの時期は巣にこもるための餌を求めて、かなり凶暴になっている」
「ムレグマ……」
まったく聞いたことがない種だ。生物としての常識は通用しても生態系に関しての常識は通用しないってわけか。
「……そいつを知らない上に丸腰となりゃこの森のやつじゃない、かといってこの国のもんの格好でもない。それどころか――」
「おっちゃん、なんの話を?」
豪胆な笑いをしていたときとは打って変わって真剣な面持ちに小さく固唾を飲む。
「この世界のもんでもない、違うか?」
「……ああ、そうだけど」
正直に言っていいものなのか一瞬悩んだが隠せるものでもない気がするな。
「信じてもらえるかはわからないけど、俺もラスクもこことは違う、別の世界からきたんだ」
「やはりか」
なぜかおっちゃんから落胆のようなそういう色が見える。
「〝転移人〟……ワシらはそう呼んでおる」
「おっちゃん?」
この悪寒は、敵意……? けど僕にじゃない、おっちゃんが向ける敵意は僕じゃない他の存在に向けたもの。
「神から与えられた力を使い、
「そ、そんな……」
なんだそれ……なんでそんな言われように? 風評被害もいいところだろ。
……でも、ありえるといえばありえるのか? どんな力を得られるのかはわからずじまいだけど、もし超人とでもいえるような力を手にできれば、それこそ思いのままに――。
クソッ……そんな発想したくねぇし考えたくもない。
「ふぅ……お主らがそうには見えないんだがのう……」
「おっちゃん……」
真意までは察せない、だけどやるせない気持ちのようなものだけはおっちゃんから伝わってくるのがわかる。
期待と諦観が混じり合って揺らぐような、そんなわだかまりのような何かを。
「……ワシには帝都で暮らす妻と息子が居てな。息子は今年で29になる」
「あ、俺と同じだ」
「カッカッカ、顔も性格も違うんだが、どことなくお主と似ておってな」
唐突に語り始めたおっちゃんの話に耳を傾ける。
「息子は学者を目指している。目指しているとは言っても、大学院に入ってすでに研究の助手とやらをやっておるようでの」
「立派じゃないすか!」
なにそれすご! この世界の学力がどれぐらいかは知らないけど大学院で学者って言ったら、なんだかものすごく頭が良くて賢そうだ。
「まあのう。だがワシとしては、やはり騎士を目指してほしかった。民のために剣を取り戦う騎士にの」
「親心ってやつ?」
イメージ的にしかないけど親からすれば自分と同じ職に就いてほしいって思うような感じだろうか?
「お前さんみたいに熊を倒せるぐらいに気概を持ってもらいたいと思ってしまってのう」
息子さんと僕を重ねて見てしまったわけか、それで僕が異世界人っていうのを知って複雑な気分になったと。
でもおっちゃん、あんたが僕たちを助けてくれたのはそうじゃないはずだ。
それに息子に似てるからといってここまでしてくれるものだとは思えない、思うところはあってもすべてはおっちゃんの人柄によるものだろ?
だからおっちゃん、あんたいい人すぎるよ。
そんなおっちゃんの息子なんだ。なら僕が代わりに自信を持って言ってやる。
「息子さんを信じてあげてください。学者としてしっかりやっている息子さんを」
「分かった風に言うではないか」
確かに俺はおっちゃんの息子じゃないし会ったことすらない。
けど、おっちゃんの息子に僕が似ているっていうんなら、僕なりに解釈した物言いぐらいはできる。
「俺が言えたことじゃないすけど、おっちゃんの息子さん、十分自慢できる息子さんだと思うよ。戦うことだけが気概の証明とは限らない、学者になりたいって思うのは簡単で、でも実際に学者になるための勉強をするには強い決意と気概が必要だったと思う。俺が息子さんに似てるって言うんなら、俺の言ってることもまったくの的外れとも言えないんじゃないかな?」
口下手な僕なりになんとか饒舌に語った言葉に、おっちゃんの口元が緩むのが見えた。
「ふ、ハッハッハ、若造が言いよる」
「いや、だからいちおう俺、息子さんと同じ29なんだけど」
「ワシからすればお主も息子も若造よ。だがそうだな、お主の言う通りかもしれんな」
おっちゃんの顔がほころび優しい表情になる。
「ワシは息子に誰かを守れるような男になってほしかった。だが戦うことだけが守ることになるとは限らん。ワシにはワシの、息子には息子のやり方があるということか」
「そう思うよ」
「生意気な」
カカカと笑うおっちゃんの顔はいつもの豪胆な様子に変わっていた。
「ワシもまだまだ。お主のような若造に教えられることもあるのだからな、これだから人生というのは面白い」
「おっちゃん」
「話を聞いてくれてありがとのう、ケイヤ。さ、もう休め、明日も早い」
「うん、おやすみ、おっちゃん」
布団に戻り横になりながら僕は寝る前にした漠然としていた決意に対して目標を思いつく。
僕は、強くなる。おっちゃんに認められるぐらいに……いや、おっちゃんを超えられるぐらいに!
決意を秘めながら目を瞑っていくと、さっきまでの火照りが嘘のように僕は穏やかな眠りに落ちていくのを感じた――。
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