3話 少女とのひととき
「滑るから気をつけて」
「う、うん!」
しばらく森を進んでいくと川の上に倒れた丸太があり、僕とラスクはそこを渡っていた。
「わっ、わわっ! わわわっ!」
「と、跳べ!」
バランスを崩して倒れそうになるラスクの姿にとっさに声をかける。
「んっ!」
考える間もなく意を決してジャンプしたラスクを抱きとめると勢いに負けて倒れてしまう。
「ふー……だ、大丈夫か?」
「う、うん……」
よかった。あのまま川に落ちてたらどうしようかと――安心したらまた〝あの〟感触が……。
「さ、さあ、もう離れて……」
「もう少しだけ……えっと、腰……そう、腰が抜けてうまく立てません」
「あ、ああ、そう」
いいけどね別に、僕としては役得でしかないわけなんだし。
抱きとめる形になったことで手の平から感じる髪の感触は、想像通りというか心地のよい手触りでずっと触っていられるような気にさせる。
「そ、それにこうやって先に襲ってきたのはクロマメさんのほうです」
「やっぱ今すぐどけ」
「いやです」
おうふ、なんなんだこの状況は。
「いくらクロマメさんでも驚きました。あんなにアグレッシブでケダモノだったなんて。キャッ」
「キャッじゃねえ! 何をどう解釈したらそうなるんだ!」
いやいやいやいや、どうなってんだこの子は?
「え、違うんですか?」
「違う! 誤解だ! いくら俺でも見境なく襲うほど終わっちゃいねえよ!」
なんだ? そんなにがつがつしているように見えているのか? だとしたらちょっとショックかも……。
「なら、見境なくないなら襲うんですか?」
「あん? んー? いや、まあ、そうなるかもしれない、のか?」
言葉遊びにすぎないが見境なくないというなら、相手はしっかりと選ぶという意味になる、はず?
「ほら、やっぱりわたしを襲ってくれたんですね」
「なんでそうなる」
この子ヤバい。
元々天然で抜けているところがあったけど、まさかここまで妄想が激しい子だったとは。
「わ、わたし、クロマメさんさえよければいつでも――」
「バカなこと言ってないでもう行くぞ」
「あっ……」
ラスクのことなどお構いなしに体を起こしてすくっと立ち上がる。
「どうせ腰が抜けたというのもでたらめ――あれ?」
ペタンとその場に座り込んでいるラスクの様子に嫌な予感がした。
「まさか……マジ?」
「う、うん……マジです」
「……仕方ないな」
前途多難――おまけに次から次へと分かってくるこの子の異様性。だけど、それに不快など欠片もなく、むしろ安心と楽しさを僕は感じていた。
「うへへー、クロマメさんの背中ぁー」
「ったく」
結局ラスクを背負うことになり引き続き森の探索を再開する。
「重くないですか?」
「軽いくらいだ、ちゃんと飯食ってたのか?」
「これでも太ったほうなんですよ」
実際、軽いかどうかは置いておくとしても背負って歩けないほどの重さではない。
問題なのは背中に当たる2つのふくらみの感触なわけで……気を抜けばどうしたって意識してしまい嫌でも僕の中の男を刺激してきてヤバいったらない。
「見ろ、思った通りだ」
ゆえに思考をめぐらしたり話題を振ることでなんとか誤魔化す。
「これがどうかしたんですか?」
「折れた根本に綺麗な切断面があるだろ? 自然的にこんな風になるとは考えにくい」
「それじゃ、この先に人が?」
「ああ、おそらくな」
誰かが渡ろうとして斧か何かで丸太を根本から切り倒したとすれば、丸太が倒れているほうとは反対側、つまり根元側のほうに行けば人がいた形跡にたどり着けるはず。
「でも、渡ってそれっきりで誰もいないかもしれないですよ?」
「丸太の上にだけあまり苔が生えていない、これは定期的に人の往来があって苔がこそげ落ちている証だ。そうなると根本側のほうに行けば人の集落があるかもしれない」
「そこまで推理できるなんて、やっぱりクロマメさんってすごいです!」
「い、いや、こういうの考えるの好きなんだよ」
もっとも、細かい方角までは分からないから、丸太の向きを基準に適当な木を目印にまっすぐ進んでいくしかないんだが。
ま、なんとかなる。なんとかするさ。
それから小石で木に印を付けながら森の中を歩き続けていく。
道中、小鳥やリスに鹿のような生き物を見かけ、異世界とはいっても僕らがいた世界とそんなに生態系は変わらないようだ。
最悪食糧の心配はしなくても大丈夫そうか、そうなるとやはり寝床。せめて洞穴でも見つかればいいんだけど……。
「クロマメさん」
「ん?」
森の様相に夢中になっていたのか、比較的静かにしていたラスクから不意に声をかけられた。
「聞かないんですか? わたしがどうして死んでしまったのか」
「……あんまり言いたくないもんだろ、そういうの」
まったく気にならないかと言われればそんなことはないんだが、やはり内容が内容だ。おいそれと好奇心だけで聞くには気が引ける。
「そうですね。でも、聞いてほしいんです。クロマメさんに……」
「……わかった。聞くよ」
足は止めずに意識と耳だけを傾けていく。
「――わたしは、生まれながらに病弱で、お医者さんにもどうしようもない病気を持っていました……」
「…………」
まるでテレビで聞くような最後に奇跡でも起きそうな話の出だしに言葉が詰まる。
「長くは生きられない……もっても10数歳まで、成人までは無理だろうって診断されたんです」
現実味のない話に感じるが疑っているわけじゃない。あまりにもかけ離れた境遇に、自分のことじゃないのにかすかに胸が痛くなった気がした。
「さっきこれでも太ったほうって言ったでしょ? わたしの体重、30ちょっとしかなかったんですよ?」
「30……痩せすぎってレベルじゃないぞ」
「でも、今はいい感じになってるでしょ?」
重さの把握なんか知らないが少なくとも30kg前後の重さではないのはわかる。
つまりこの子の体重がなんらかの理由で増えたということなわけだが……思い当たる節しかない。
「想像通りです。この世界に来る際に、願いや能力とは別に体の健康状態や疾患、その他もろもろを含めて最良な状態にしてくれたそうです」
「もしかしてそれもあのおっさんから?」
「うん、聞きました」
なーるほどね。それで体中から違和感がありまくっているわけで、ついでに裸足で森の中を歩いているのに大したことないと感じるのもそういうわけか。
ただ服装のほうまでは考慮してくれなかったっぽいな、考えてみればお互いに寝巻き姿というなんとも締まりのない格好だ。
「身長や体重もできるだけ理想に近い形で再構成? とにかくそうしてくれるって言ってましたよ」
「通りで背が伸びて眼鏡がいらなくなってるわけだ」
「もちろん、わたしの病気も無くなって、少し体重も増やしてもらったわけです」
どこか自慢げに子供が嬉しさからそわそわするような調子で体を揺すってくるラスク。
そう説明されてみると身長や視力だけでなく、肩や腰などが異様なほどに軽くてめちゃくちゃ調子がいい。
おまけに軽いとはいっても人を担いで楽々と歩けてるところも考えると腕力や体力も上がっていると考えてよさそうだ。
「で、話を戻してですね。わたしの病気をはっきりと知ったのは小学校に入って少ししてからでした。他の子と違うだなんて夢にも思わなかったなぁ、少し体力がないだけでそれ以外は同じだと思ってたのに、20まで生きられないだなんて」
「……荒れたか?」
「うん、すっごい荒れた。部屋中の物を投げ散らかしては動悸で苦しんでを繰り返し……お父さんとお母さんにもひどいことをたくさん言っちゃいました。『どうしてこんな体に産んだの?』とか『どうしてわたしだけが?』って。お父さんとお母さんだってどうしようもなかったのに……」
「小さかったんだろう? だったら仕方がないさ……」
「うん……」
そんなことを聞かされたら誰だって自暴自棄になる。ぶっちゃけ子供とか関係なく大人でもなりえるだろうさ。
「でもお母さんがね『ごめんね……ごめんね……』って言っているのが聞こえてわかったんです。ああ、お母さんたちだって、私とずっと一緒に居たかったはずなのにって、わたしのことがとても好きだってことに気づいたんです」
「偉いな」
「あぅ、褒められちゃいました」
同じ境遇だったとして自分が同じように気づけたかどうか怪しい。
「まあ、それからも何度か荒れたりはしたんですけどね」
「あらら、まあ、理解したからといってすぐに実践できるかといえばそれは別というもんだわな」
「それからお父さんとお母さんは、出来るだけ私のしたいことを優先してくれて、わたしもそれに甘えて最後まで悔いのないようにしていこうって決めたんです」
「そうか……」
それが最善なのか誰も決める権利はない、ただ部外者視点で思うのなら当人たちが納得するやり方をやるのがよいと思う。
「そうしてあの日。いつものようにサバカンさんとダイフクさん、そしてクロマメさんと一緒に最後までゲームをしていた日。クロマメさんがログアウトしてから、わたしもすぐにログアウトしたんですけど、一瞬立ちくらみのようなものがして意識が無くなったんです」
「あの後に……」
僕にとっても最後の日、そういえば自分の不甲斐なさに布団に潜り込んでむせび泣いていたっけか……。
「17歳でした。おじさんが言うには、とても安らかで楽しそうな寝顔でしたって。お父さんとお母さんも悲しみはしたけど、受け入れて納得してくれていたって教えてくれました」
「…………」
何も言葉が浮かばない、こういうときどう言っていいのか……。
「未練が無かったといえば無理なんですけど、後悔はなかったです。だから願うだけ願って、叶わないようでしたら別のお願いにしてもらおうと思ってました。でも――」
「……ラスク?」
背負っているラスクの腕に力が入るのを感じる。
「こうして叶ったんです。クロマメさんと一緒に居たいって願いが、だからわたし今幸せです」
「……立派だよ、俺なんかよりもよっぽど」
「クロマメさん? ……泣いているんですか?」
「へっ?」
ラスクの指摘を受けて意識すれば、確かに頬を雫がツーッと流れていたのに気づく。
「ち、ちが、これは別に……」
「やっぱり、わたしの思った通りの人です。クロマメさん」
「ラスク……」
正直、自分の流す涙の意味がわからなかった。
ラスクの話を聞いたことによる同情的なものなのか、それとも自分と比べての不甲斐なさからなのか、あるいは両方……。
「ふふ、クロマメさんの背中、大きくてあったかいです」
分かっているのは、僕とこの子が出会ったのは偶然でもなく必然だということ。
ありがとよ、おっさん。僕たちを引き合わせてくれて……僕だけじゃなく、ラスクも救ってくれて……。
――時間にして体感2時間ほどか。休み休み歩き続けていたけど、あれから森の奥を進むが人らしい人の気配が見つからない。
「クロマメさん……」
「うーん」
さすがに不安になってきたのかラスクが力無い声をかけてくる。
「どうなってるんだ……確かに人が生活していた形跡はあるってのに」
鋭い何かで切られたであろう草や枝、どう考えても誰かが起こしたと思われる焚き火の跡。これだけの要素が揃って人の気配がしないのはどういうんだ。
「推測は間違っていないはず。だとしたら方角を間違えているか想定以上に入り組んだ広い森なのか、それとも……」
「く、クロマメさん!」
「っ!」
耳打ちしてきたラスクの声にはっとすると、視線の先に何やら毛のようなもので覆われた巨体が見える。
「く、熊!」
動悸が早まり緊張から思考が瞬時に途絶え顔から一瞬で血の気が引いていく。
「ど、どうします?」
「あ、ああ……」
ラスクの声でなんとか最低限の平静を取り戻す。
マズイぞ……まさかこんなところで熊と出くわすなんて、人の形跡があるからといって完全にうかつだった――。
「確か熊は逃げる獲物を追いかける習性があったはず……だから背を向けずにゆっくりと後退りするように離れれば大丈夫だ」
「う、うん」
熊からすれば人間は二足歩行をする得体の知れない生き物と認識していると何かで聞いたことがある。
慌てて逃げると襲われるのも、逃げる=自分よりも弱い生き物と捉えるという説だ。
もちろん、誰も熊と会話なんてしたことはないだろうから真意なんかわかったもんじゃない。それでも使える情報はなんでも使う。
最悪ラスクだけでも――。
「く、クロマメさん……」
「どうし――っ!」
後退りする先の後方斜め先のほうに同じ毛並みの熊の姿が見え目を見開いてしまう。
ば、バカな、もう1頭だと!
「……クロマメさん、わたしを置いて――」
「言うな。その先を言ったら、いくら君でも
「クロマメさん……」
さっきまで自分が犠牲になってでもラスクを逃そうだなんて考えていたくせに、同じことを言われれば
生きた心地がせず今すぐにでも吐いてしまいそうになるこの状況でも、僕の心が屈さずに保てているのは側にラスクがいるおかげなんだよ。
ああ、ほざいたからには抜けがけはなしだ。なんとかこの場を突破する方法を考える!
まずは体の向きを変えなんとか2頭の熊を視界内に収めるように立つ。
目配せするように2頭の熊をそれぞれ見やるが今のところ襲ってくるような様子はない、動きが功を奏しているのか。
しかし不可解だ。熊は基本的に群れで狩りをするような生き物じゃないはず……
これではまるで――。
「あ、あっ……」
「嘘だろ、なんだよそれ……」
何度となく押し寄せてくる心臓が潰れるような圧迫感に襲われ、体中の毛が逆立ち冷や汗が流れてくる。
最悪だ……最悪の想定が的中してしまう……。
後ろを振り向けば悪夢が毛皮を被ったとでも思いたくなる姿がそこにあった。
「3頭、だと……」
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