1話 虫か異世界。そして僕が願ったもの
「は……?」
自分が発したとは思えないほどに気の抜けた声が出てしまった。
「え、ここ……なに?」
星の見えない宇宙空間……ひどい
頭上は軽くめまいを覚えるぐらいに真っ暗で天井のようなものは見えず、足元には透き通ったガラス板のような物が敷き詰められた床があり、自分の小太り眼鏡の冴えない顔が映り込んでいる。
そんな場所で僕は寝巻き姿のまま椅子に腰掛けていた。
確かゲームを終えてそのままベッドに入って寝たはず……ということはこれは夢?
だけどこの空気感というか意識状態というか、そういうのが夢のそれと比べはっきりしすぎている気がするし、なにより
「
ハッと顔を上げると場違いと思いたくなるようなオフィス机が視界に入り、初老の男が鎮座していた。
男はこちらに見向きもせず書類のようなものを流すように読みながら、時々何かを書き込むような仕草を取っている。
「試験には合格したから、欲しい能力を選びなさい」
オールバックに眼鏡と如何にもデキる人といった様相の初老の男の言葉は、とにかく事務的で簡素な印象を受けた。
まるで圧迫面接を受けているようではっきりいって気分が悪い。しかし、この異様な空間と男から感じられる相手に有無を言わせないという圧力に、そういう気分とかの感情の考えをかき消される。
……ぶっちゃけ言うと怖いので素直に従おうということだ。
「の、能力って?」
とはいえ質問ぐらいはさせてほしいってもんだ、いきなり能力だなんだと言われても意味がわからない。
「…………」
うっ……こ、怖い。
こちらの問いかけに男がじろりと上目気味に視線を向けてきた。
これがかわいい女の子だったら上目遣いで萌えるんだろうけど、そんな要素のかけらもないおっさんがやってもにらまれているようにしか見えなくて正直めっちゃ怖い。
そのせいか見ようによってはカタギじゃなく〝そっち側〟の人間にも見えてきて思わず視線が泳いでしまう。
「ふむ」
がさがさとなにやら物音が男のほうから聞こえてくる。
なんとか横目でちらりと視界に入れると、書類かなにかを探しているかもしくは見直しているようだった。
「陸敬哉、享年29歳。死因は突発性の心筋梗塞によるもの――」
「へっ……?」
呟きと一緒に魂が抜けるかと思った。
「陸敬哉さん、貴方は死んだのです」
男の言葉に強い虚脱感と喪失感、そして――どこか解放感を感じてしまう……。
「自室のベッドで寝ていたところ突発生の心筋梗塞に襲われたが、体をかきむしったような様子の類が一切見られず、自覚症状なくそのまま亡くなったと診断されています」
死んだ? 僕が――。
書類に書かれているであろう内容を淡々と知らせてくる男の言葉をただ黙って聞くことしかできない。
「以上が貴方がここに居る理由です。何か質問は?」
机の上に肘を乗せて指を組み、白い手袋をはめた手の平越しから男はこちらへ促しの言葉を投げかけてきた。
「……ぼ、俺が死んだって言うんなら、ここは……どこなんだ?」
僕が死んだというこの男の言い分が正しいのなら、ここが仏教や宗教、おおむね死者が行くであろうという場所であるという想像はつく。
つくがそれでも聞かずにはいられない。
もしかしたら、こっちが考えているような場所ではないかもしれない……。
いや――そうでない、そうであってほしくない!
「死後の世界。そして、死者のその後を決めるための話し合いの場所です」
そうだ、その言葉が聞きたかったんだ!
どうしようもなくなった自分が再起を図る機会。つまりは来世に託すこと。
我ながら話にもならない逃避的な感性だが、現にこういう世界が本当に存在したという事実に驚愕よりも興奮を感じることを禁じ得ない。
「話し合いってことは、俺の来世というか……そういうのを決めていいんだよな?」
「貴方の来世は虫です」
「は、虫……?」
死んでいるというのに血の気が引くんだなとアホなことを考えながら興奮が一気に冷めていった――。
「虫? 虫って、あの虫か? 人間ですらないのか?」
「はい、その虫です。具体的に言うとセミに生まれ変わり、人間には生まれ変われません」
意味が分からない……。
「ちょっと待ってくれよ!」
納得がいかない……。
「確かに、お世辞にも人様の役に立ったり、誇れるような何かをやってきたわけじゃない」
それでも……。
「何も……親とかに迷惑をかけてきたかもしれないけど……それでも犯罪とか誰かを傷つけようとか、そういうことはしてこなかったつもりだ」
「…………」
「あ、いや……傷つけたことは、ある……想いを踏みにじって、ひどく傷つけて悲しませたことが……」
だけど……。
「傷つけたくて傷つけたわけじゃない。どうすればいいのか、どうしようもなくてわからなかったんだ!」
ダメだ、自己弁護にすらなっていない。つくづくどうしようもないクズだ、僕は……。
なんでこうなったのか、どうしてそうすることしかできなかったのか……情けなさとみじめさから自然と目頭から熱いものが込み上げてくる。
「僕は……!」
「罪ではありませんよ」
「へ……?」
この男の意図が分からない。何度こっちの腰を折れば気が済むのか。
気がつけば男に食い下がるようになっていたのか、机に叩きつけたように両手を置いていた。
「罪ならば、貴方はいわゆる地獄という場所に行きます。しかし、来世を人として過ごすには、少々〝徳〟が足りないのですよ」
「と、徳? 徳って善行とかそういうのだよな?」
「その認識で問題ありません」
徳……善行が足りないっていうのなら嫌だけど納得してしまう。
なによりも罪ではないという言葉に、手前勝手ながら……軽くなってしまった。
「死者を蘇らせることはできず、地獄へ行くには罪が足りず、来世を人として逝くにも徳が足りない」
眼鏡の奥から覗く瞳が鋭く光ったように見え、相も変わらずに淡々と告げてくる男の言葉。
だがよく聞けば、どうにもわざと含みのある言い方をしているようにも思える。
「ならば、どうするか。ここはいっそ罪か徳の再選定をするため、別の世界で生の続きを全うしてもらうしかないでしょう」
「別の……世界……」
つまりは異世界、どうしても心が震える単語じゃないか。
「本題に入りましょう。能力を選びなさい、陸敬哉さん」
「能力……」
「環境、生まれ、才能。そういった理由の一切を排除し、貴方の魂を裁定するために、貴方が異世界へ持ち込みたい能力を選ぶのです」
異世界、能力……なんて魅力的な言葉なんだ。
だけど、この男の言葉からはどこか容赦のなさのようなものを感じ、背筋がかすかに冷たくなる……。
「――能力ってのは、なんでもいいのか?」
「要望に限りなく近い形で実現しましょう」
なんだかはっきりとしない答えだが、さすがになんでもありじゃないってことでいいのかな。
「…………」
正直、欲しい能力といきなり言われても、いざとなると悩んでしまう。
圧倒的な腕力? 強力な魔法? それとも有用な効果を持った武器やツール? あるいは才能?
いっそ恵まれた環境や境遇にしてもらって、そこで鍛えまくって無双っていうのもありか……。
「能力って、複数とかできたりする?」
「要望に限りなく近い形で実現しましょう」
さっきと同じ返答ということは、実質無理か期待通りにならないってことだな、これは。
となると難しいことは考えず、とにかく欲しい能力を考えるしかないか……。
僕が、欲しい能力――。
「……なあ、能力とは少し違うけど、願いという形で叶えてもらうことはできるのか?」
「ふむ、まずは言ってみなさい」
能力は欲しい、ゲームやアニメに出てくる主人公のような力を使って英雄や勇者になってみたい。
けど……それよりも脳裏に浮かんだことが僕の心を大きく揺らしてしまった。
「ぼ、俺に関わってきた人、俺を知っている人たちから俺の……」
僕が今、心の底から湧き出てくる望みは――。
「俺に関するあらゆる記憶を、すべて消してほしい……」
「ほう」
初めて男がこちらへ関心を示すような反応を返してきた。
「ろくな親孝行もできなかった……それだけでなく親よりも先立ってしまうなんて、これ以上の親不孝はないよ」
ならせめて、こんな悲しみだけは残したくない。
「殊勝ですね」
「……違うよ」
自嘲にも似た笑みが出てしまう。
「そんな立派なもんじゃない、ただ嫌なんだ。こんなチャンスが来たっていうのに、ひどい悲しみを残していってしまったら、せっかく新しい世界を生きたくても、そのことがずっとひっかかりになる。俺はそういうやつなんだ」
いつまでも過去のことをずるずると引きずる悪い癖を持つ僕ならば、まず間違いなく一生尾を引く。
だから後腐れなくい行きたいという最後の最後まで自分勝手な考え。
だけど悲しみを残したくないという思いだって、嘘じゃないと信じたい。
「だから友達や家族に、僕が死んだことによる悲しみを残さないために、僕に関する記憶のすべてを消して幸せにしてほしい……」
こちらの言葉に何かを察したのか男は組んでいた指を解き見据えてくる。
「む、難しいんだったら出来る範囲でいいんだ。ちょっと知ってるぐらいの人は仕方ないとしても、家族や友達だけはなんとかしてくれないかなーって、ダメ?」
なんか怒られて今にも異世界にぶっ飛ばされそうな気配を感じたから、できるだけ要望を言ってしまったけど大丈夫だっただろうか?
「ふっ……いいでしょう。貴方の願い、特別にサービスも添えて確かに叶えておきますよ」
鼻で笑われた? ていうか、ようやく人っぽい反応を見せてきたな。
って、サービスって言ったかこの人?
「では、陸敬哉さん――これより貴方は、新たな世界へと旅立ってもらいます」
「お、おわっ!」
その言葉と共に足元を張っていたガラス板が突然消失し、奇妙な浮遊感が襲ってきた。
「貴方の旅路に、貴方の魂の導きがあらんことを……」
「僕の、魂……」
真っ逆さまになりながらゆっくりと落ちていく感覚の中で、僕は今までの思い出を頭によぎらせた……。
29年……29年か。
決して長かったとはいえないし、いいことばかりでもなかったけれど……僕の全てでもあった、僕だけの人生。
あえて、さよならとは言わない……一緒に行こうぜ、僕の思い出たち。
よぎらせた思い出をしっかりと胸に秘めながら、新しい世界への光を感じ僕の意識はそこで途切れた――。
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