僕が見た新しい世界で

叶あたる

プロローグ どこかのクズの生活

『しまった! 前衛に穴が空いた』


 ――ヘッドホン越しから男の声がしてくる。この声はサバカン? 前衛に穴? となると……。


『クロマメさん、そっちお願いします!』

「うい」


 明滅するパソコンの画面を見つめながら今度は女性の声が聞こえ、僕は相槌を返すのとほぼ同時に行動を終えていく。


『このまま押し返すでござるぞ!』


 もう1人の男の声、ダイフクの勢いづいた調子からしてどうやら上手く立ち回れたらしい……正直胸がばくばくしっぱなしだ。

 ――それから程なくして僕たちの陣営が勝利したことを知らせるアナウンスが画面に表示され、ボイスチャットメンバーの安堵や喜びを感じる声が伝わってきた。


『前衛が崩れたときはオワタになったかと思ったぜ』

『ですぞ、クロマメ殿が上手く入ってくれたおかげでござる』

『ほんと、後衛とは思えない動きだったですよ』

「そ、そうかい? そんなことも――まあ、あるんだけどな」


 ボイスチャットをしながらのゲーム仲間との会話に思わずおどけた調子を見せてしまう。


『この後どする? まだ時間あるからもう1戦ぐらいいけるけど』

『拙者はパスでござるよ。明日の昼に用事があるゆえ英気を養わなくてはいかぬ』

『クロマメさんはどうします?』

「んー」


 時刻を確認すれば深夜3時を回っていた。

 いつもならもう少し続けられる時間だけど……今日は少しきつい気がする。


「俺も眠くなってきたから落ちるよ」

『それじゃ解散か。クロマメが落ちるんだったらラスクも落ちるだろうし』

『え、あ、あうぅ……』


 ラスクと呼ばれた女性のうろたえた様子の声に、皆が微笑ましいものを見たような小さな笑い声をあげていた。


「それじゃ、おつかれさん」

『おつかれ』

『おつでござる』

『おつかれさまです。また……です』


 ログアウトを確認してからヘッドホンを外しパソコンを見つめる。


「ふぅ……」


 唐突に襲ってきた虚無感に自然と目線が下がっていく。


「なに、やってるんだろう、僕は……」


 自分のことなのにどこか他人事のように今置かれている状況をよぎらせる。


 9年前――専門学校を卒業してから就職したはいいものの、上司との折り合いのつかなさや仕事のミスが相次いで耐えきれず、わずか1年で仕事を辞めてしまった。

 それから何度か再就職もしたけど結局働くこと自体が上手くやれず、気づけば29の無職……。


「どこで間違えたんだろう……」


 パソコンの電源を落としてからベッドに潜り込むと、ふと今までの半生を思い返していく――。


 特別恵まれていたわけでも別に不遇な家庭環境だったとも思えない。

 普通といえば普通とも言えるし、他と変わっているところもあると言えばそりゃある、そんなどこにでもあるありふれていた家。

 どこにでもあって普通。だからこそ言い訳も同情も得づらいとも言える……。


 僕は――まったくといっていいほど勉強をしてこなかった。

 勉強だけじゃない、部活もしなければ習い事もまともにせずゲームで遊ぶばかりの毎日。

 特別な理由なんて特にない、ただ面倒くさがっただけ。

 小学生の時は案外それでもなんとかなった……それどころか学業も運動の成績自体もむしろいいほうで、明らかについていけなくなったのは中学に入ってからだった。

 それでもなんだかんだで一緒に遊ぶ友達だって居たし小中高と別段大きな問題やいじめ、ひどい怪我や病気だってなかった。

 バカな僕なりでも高校や専門学校だって卒業したし就職だってなんとかできた。


「それなのに、どうしてこうなった……」


 社会不適合者、あえてオブラートに包まずに言えば――。

 〝クズ〟。

 気づけばそんな存在に僕は成り果ててしまっていた。


 僕は悪くない……僕は僕なりに頑張ってきたんだ。

 勉強ができないならできないなりにレベルの低い高校に行ってから頑張ったし、僕なりにまじめにやってきたつもりなんだよ。

 仕事だってそうさ。ちゃんと仕事を覚えようと僕なりに一生懸命にやっていた。

 だけど小さい会社だったのと不景気が災いしてか仕事自体がそもそもない状態。

 それなのに上司からは無い仕事の話やこちらの粗探しでネチネチ……ネチネチと嫌味や小言を執拗に言われる毎日。

 時には仕事が無い原因を「お前が仕事を作らんでどうする!」だなんて怒鳴られたこともあった。

 小さなミスでも「一体今までの人生で何を学んできたんだ?」と言われ、出来ませんとしっかり意思表示をすれば「何の役にも立たないんだな」と呆れられることだってざら。

 確かにろくすっぽ勉強してこなかったし要領も悪かったとはいえ、さすがに何度も言われるうちに今までの何もかもが否定されてしまったような気になって正直……辛かった。


 それでも当時の僕は働くというのはこういうものなのかと馬鹿正直に真に受けていた。

 けど考えてみれば上司だって仕事がなく、そのストレスのはけ口として唯一の新人社員だった僕を標的にしていただけなんだと今ならわかる。

 そんなやり取りが繰り返された結果、上司にいつ怒られるか分からず常に気を張った状態で怒られれば萎縮いしゅくしてしまうようになり、それでさらに失敗をして怒られるという悪循環に陥ってしまう。

 社長は社長でそれが当たり前なのか目の前でそんな怒られ方をされていてもへらへらと見ているだけで、特に注意も何もしてはくれなかった。


 希望がまったくなかったわけでもないんだ……だからなまじすぐに辞めずに続けてしまったとも言えるんだけど……僕が怒られているときにかばってくれた上司だっていたんだ。

 その人の下で仕事をしたいと思った。

 だけど外に出る仕事が多いその人は社内にいることがほぼなく、ならばと同じ部署にしてほしいと打診したこともあったけど部署異動の件は絶望的と言われあっさりと却下されてしまった。

 そして入社1年目というところで、僕はとうとう耐えられなくなって仕事を辞めることにした……。

 「根性なし」、「裏切り者」、「お前みたいなのがよそでやっていけるか」と言われたときはさすがに悔しさで涙が止まらなかった……。

 それでもなんとか辞めることはできた。少しの休息を取ってから新しい職場を探し頑張ろうと、そう思っていた。

 ……誤算で情けない話なのは、このときのことが自分でも気づかないぐらいのダメージでぶっ壊れていたらしく、何度再就職してもいつ怒られるかわからない恐怖が常に頭をよぎり、仕事が上手く手につかずポカを繰り返しては周りに迷惑をかけてしまい、結局は辛くなって辞めてしまうことに……。


「僕は悪くない……」


 そうさ、僕は悪くない。悪いのは社会や理解してくれない周りなんだ。だから、だから……。


「はぁ……せめて金でもあればなー……」


 起業家、投資家、資産家――金、金、金。結局なにを言ったところで金があればなんとでもなるんだよ。

 そう金……金さえあればこんな生活をしていたって誰にも、なにも……。


「っ……!」


 あまりにもみじめったらしい考えに知らずに涙がこぼれていた。

 クソッ……なに泣いてんだ……! 泣いてどうなる! 泣いたってなにも変わりゃしない、そんなのわかってる。


「クソッ……クソッ……!」


 わかってる……わかってるんだ。結局は自業自得、自分がこれまでサボってきたことのツケが回ってきただけのことなんだって。

 もっと頑張れば、ほんの少しだけでもいいから勉強でもなんでもしていればここまでにはならなかったんじゃないのか。

 このままじゃダメなことだってわかってる。だけど怖いんだ……働くのが、あの恐怖を思い出して自分の無能さをまた痛感するのが……たまらなく怖いんだ。


「くそっ……甘ったれでなさけない……」


 なんで……なんでこんなプライドばかりが肥大化した、どうしようもないやつになってしまったんだ……。

 虚勢ばかりが先走って〝俺〟なんて使っちゃってさ。

 ゲームに逃げて逃避ばかりしておまけに歪んだ性根になって、そのくせ人並みに愛だの幸せなどはしっかりと求めるもんだから、人の想いを踏みにじってしまったことだってある……。


「救えねえ……救えねえよ、こんなやつ……」


 小さい頃は、こんなことになるだなんて思いもしなかった。

 汗水垂らしてやりたくもない仕事をしながら、いずれは誰かと結婚して家庭を持つ。そんな普通で退屈な将来を送るんだと見下していたのにな。

 ガキのころの僕は舐めていたけど今ならわかる。本当の意味での〝普通〟がいかに難しくて尊いものなのかって。


「…………」


 昔に戻ってやり直したいとか、あの頃に戻れればとかそういうのじゃないんだ……。

 なんていうんだろう……僕でも僕として生きていけるような、そういう世界に行ければ、なんて。


「はっ、ははっ……」


 なに考えてんだろうな……自分でも要領を得ない。

 いいさ……結局は何も変わらない、明日も明後日もその先も……。

 ゲーム仲間に見栄と虚勢を張ることしかできず無意味に毎日を生きていく。


 それが僕の、りく敬哉けいやの〝結果〟なのだから――。

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