第23話 陥落と転落(丸樹視点)
「ありがとうございます、丸樹先輩」
「いいってことだ。約束だったからな」
テーブルの上には、偽装工作を施した『証拠』。
そう、相沢を追い出すために使ったいくつかの資料を、さらに改ざんしたもの。
「……」
機嫌のよさそうな潮音を前に、オレは少しばかり考える。
これを交換条件に、どうやってこの女を篭絡するか。
ここ一ヶ月ほど、味方のふりを続けることでいくつかのことがわかった。
まず、潮音は相沢の野郎にホレてる。
本人の自覚があるかどうかはわからないが、その部分は利用できる脆さだ。
この資料を学生課に持ち込んだところで、相沢の停学は覆らない。
当の相沢が訴え出ない限りは、無用の長物だし……そもそも、これが決定的な無罪の証拠にもならない。
最初から捏造されて、今回偽造された資料だ。
むしろ、あいつと潮音の立場を悪くするだろう。
「こんな資料……いったい、どこから?」
「教授のデスクから拝借してきた。それで……オレにここまでやばい橋を渡らせたんだ。あの話は考えてくれたのか?」
そう言ってやると、潮音はご機嫌な顔をたちまち引っ込めて、目を逸らした。
「そ、それは……」
「オレに犯罪の片棒を担がせたんだ、潮音にもそれなりのリスクをしょってもらわなきゃバランスが取れないと思わないか?」
「わかってます。わかってますが、相沢君の無罪が証明されるまで、待っていただけますか?」
「そりゃ、無理な相談だろ? 普通に考えてみろ」
「え……?」
テーブルの上の資料をいくつかつまみ上げて、潮音の前でひらひらさせる。
教授の部屋から拝借したなんて嘘っぱちだが、書式は正式なもの。
普段、こういったものを見ない潮音にとっては『真実』に見えているはず。
「これを使って、相沢の無罪を主張するのはいい。だが、出どころを探られたらどうする?」
「それは──」
「当然、出どころが正確でないと証拠として弱くなる。そうしたら、オレの名前が出るよな? 教授の私室に出入りできる人間は、限られる」
潮音が目に見えて狼狽していくのは、実に滑稽だ。
普段はクールなこの女が、嘘で塗り固められた理詰めの雰囲気にのまれていく様は、オレの本能を刺激する。
これはこれで、なかなかたまらない。勃ってしまう。
「相沢の無罪が証明される頃には、オレの経歴にはキズがついた後だ。それだけのリスクを、お前のために冒してると言ってるんだ」
「それは、冤罪を晴らすために必要なことじゃないですか!」
「相沢の冤罪を晴らすことと、オレが教授の私室で盗みを働くのは全くの別問題なんだよ」
「その時は、わたくしが弁護を……」
そう口にする潮音に、オレは首を左右に振ってみせる。
「オレが欲しいのは、弁護じゃないってわかってんだろ?」
「しかし、ですね」
「……わかった」
「え?」
テーブルの資料をがさがさと集め、軽くまとめる。
それを唖然と見ていた、潮音が持っていた物も含めて。
「そうやって、先延ばしにして自分だけノーリスクでいたいなら、オレはもう手を貸さん。これは、元の場所に戻してくる」
「待ってください!」
「バレんのは時間の問題だ。ゼミリーダーが教授を裏切るとか、どれだけオレがリスクを冒してるのか、全然理解してないだろ?」
じろりと潮音を睨みつける。
押してダメなら引いてみろ、ってな。
「オレはもうこの件からは手を引く。相沢のことは残念だったな」
「そんな! これがあれば、彼を救えるんですよ!?」
「そういうご高説は自分の手を汚してから言ったほうがいい」
全ての資料を茶封筒に取りまとめて、紐で封をする。
このデジタル時代に、紙で管理するという前時代的な御手杵教授を模したパフォーマンス。
それが、この偽造資料の誤った信頼性を担保するのだ。
「……わかりました」
俯いて肩を小さく震わせた潮音が、小さな声を発する。
「ん?」
「わかりましたと、言ったんです」
「いまさら無理することはない。さっきも言った通り、この件は終わりだ。オレは手を引く」
ここで、軽く揺さぶっておく。
多少、無茶を振っても……この女の心は、もう折れかかっているのだから。
「お願いします! 彼、大学に戻りたいって言ってたんです!」
「そうか? 動画配信で悠々自適に見えるがな?」
「彼が積み上げてきた信頼や努力の結果を、取り上げないでください。彼は、無罪なんです!」
大仰にため息をついて見せて、オレは茶封筒をテーブルに放り出す。
それに、潮音の視線が吸い寄せられた。
「そんなに『これ』が欲しいか?」
「……はい」
「じゃあ、どうする?」
しばしの沈黙の後、潮音がオレに視線を向ける。
ああ、その顔だ。最高に、素晴らしい。
羞恥心と嫌悪感、そして……決意に満ちつつ不安げな表情。
わかってるじゃないか。
今から、自分がどうなるのか……どうされるのかを理解して、想像している顔だ。
想像以上に、いい。
「あなたに──従います」
潮音が口にした言葉に、オレは心の中で舌なめずりした。
◆
「は? 相沢を呼び戻す?」
御手杵教授と、学生課の課長が揃って口にした言葉に、オレは驚いて聞き返す。
ゼミメンバーからも何度か、話に出ていたが……まさか、大学側から直々にそんな話が出るとは。
「うむ。彼が停学に入ってから、ゼミでの実績評価があまり思わしくないのは君も知っているな?」
「それは、まあ」
言葉を濁して、心の中では舌打ちをする。
確かに、相沢が停学してから御手杵ゼミはいざこざが多かった。
あの雑魚は、雑用係としてそれなりに有能だったのは確かで、
しかし、だからと言って一度下った決定を覆すなんて、異常事態だ。
「大学側としても、この件を前向きに進めていきたいと思っています」
「あいつは、停学にするようなことをした人間ですよ? 信用できない」
「君は『ゲートウォール社』という企業を知っているな?」
学生課課長の言葉に、軽くうなずく。
知らないわけがない。
先日、教授と一緒に行ったところだからな。
「君も知っての通り、本学は何度か『ゲートウォール社』にインターンや技術提携などの提案をしているが、いい返事をもらえていない」
「それと相沢に何の関係があるんです?」
学生課課長と御手杵教授の話を要約すると、こうだ。
何度かの要請を断られたのち、いよいよ学長まで巻き込んで『ゲートウォール社』の社長、明智藤一郎に大学側との連携を持ちかけたところ……
『停学中の学生をお預かりしている手前、大学側と業務提携してというのはなかなか難しいですな? 彼を業務から外すということも弊社では考えておりませぬ故、彼の進退が決定してからお互いの今後について考えるのがよろしいでしょう』
……と返事が返ってきたらしい。
停学中の学生を、大学の研究作業に参加させるわけにはいかない、と屁理屈をこねられてしまった、と。
つまり、相沢の処遇がはっきりしない限り、企業連携の話は前に進まない。
「私としては、若気の至りとして、彼を無罪放免してもいいと考えている」
御手杵教授が、そう口にするのを聞いてオレは心中で反吐を吐く。
最近、成果が出ていないことで教授会であてこすられているのを、知っているぞ。
このタヌキ親父め。
「大学側としても、被害者である御手杵教授がこう言っているので、復学の方向で進めようと思っている。それに、今や彼は〝Mr.ピルグリム〟と評される、
「
我ながら、もっともらしいことを口にしたと自嘲しつつ、様子を見る。
あいつに今戻ってこられては、何もかもが台無しだ。
「丸樹君。これは、大学側として、そしてゼミとしての決定だ。それに、本当に彼が横領やハラスメントに関わっていたのかも疑問視されている」
自分で、それを後押ししておいてよく言う。この無能め。
これまでレポートと数字だけを追いかけてきておいて、何も知らない男が。
「そこでだ、丸樹君。ゼミリーダーとして、まずは君が彼と連絡を取ってくれないか」
「なんで、オレが……?」
「もちろん、大学側から復学についての連絡はする。しかし、
御手杵教授のあからさまな丸投げに、心の中で舌打ちしつつ……オレはしぶしぶスマートフォンを取り出した。
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