第12話 渇望のあぎと
なぜ、そう感じたのかはわからない。
極限状態に起きる、錯乱の類なのかもしれない。
だが、体の中から何かが溢れ出す感じがした。
──「ぎゅーっとなって、パンって感じ」。
亜希の言葉が、脳裏に浮かぶ。
強いて言えば、これに近い。
いや、そのものに思える。
「ギッギッギ……!」
「うるさいな。いま、忙しいんだ」
ザルナグの顎下からマチェットを突き入れる。
「ギ──ッ!?」
そう驚かなくたっていいだろ?
窮鼠猫を噛むなんて言葉があるくらいだ。
抵抗くらい、する。
身をよじるようにして後退るザルナグに、俺は小さく笑ってしまう。
絶対強者であったこの狩人が、今や狩られる恐怖に俺から離れるというのだ。
それにしたって、なんて清々しい気分なんだろう。
恐怖も、痛みも、どこかに消えてしまった。
今はただ……目の前の
「ギッギッギッギ! ギィー!」
「いいよ、やろう。……やろう!」
クラウチングスタートの態勢から、一気に加速してザルナグに迫る。
そのまま刺さったままのマチェットを引き抜いて、それをフェイントに左拳でザルナグの側頭部をぶん殴る。
こんな野蛮で無謀な真似、普通ならしない。
しないはずなのに、できてしまった。
「ギィーェェ」
右側頭部を大きく陥没させたザルナグが奇妙な悲鳴を上げる。
情けない。さっきまでの余裕はどこへやった?
そんな事を考えながら、右手のマチェットを垂直に突きさす。
それで、終わりだった。
頭蓋骨を裂き割る軽い感触があったかと思ったら、魔獣は小さないななきのような悲鳴を上げて……そのまま倒れて動かなくなった。
マチェットを引き抜くと同時に、体に何かが流れ込んでくるような奇妙な感触があった。
満腹感にどこか似た、不思議な満足感が心を満たしていく。
「終わり、か」
どこか物寂しい様な感覚に襲われて、俺は息を吐きだす。
そして、冷静さが戻ってくると状況に混乱しはじめた。
目の前に転がるザルナグの死体にも、それを死体に変えた俺自身にも。
何もかもがわからない。
ぼんやり立ち尽くしていると、背後から俺を呼ぶ声と……複数の足音が聞こえてきた。
「裕太! どこ? 返事して!」
「亜希……?」
「いた! 無事でよかった……!」
走る勢いそのままに、俺に抱きついてくる亜希。
ボディスーツ越しに伝わる柔らかさに、俺は思わず目を白黒させてしまった。
「これ……は……!?」
「うそ、だろ?」
遅れて到着した監視哨の自衛官たちが、床に横たわるザルナグを見て息を飲む。
そんな彼らを見て、俺も冷静さを取りもどした。
亜希から離れ、佇まいを正してから俺は自衛官たちに伝える。
「
俺の報告に、隊長格らしい男性が敬礼を返す。
「
「えっと、はい。そうなります……かね?」
自分で口にしておいてなんだが、要領を得ない回答だ。
正直、俺にしてもコイツをソロで仕留めたなんて、信じられない。
「こんな化物を一人でやっつけちゃうなんて、さすがね!」
「自分でも信じられないよ。しかし、疲れ……ぉっと」
安心したせいだろうか。
今になって、足に震えが来てしまった。
座り込んだ俺に、十撫が駆け寄ってくる。
「怪我、は? どこか、痛い?」
「してるはずなんだが、わからないな……」
左の脇腹に触れると、特殊繊維で編まれた『ピルグリムB1』が裂けていたが……傷は見当たらず、痛みもなかった。
拳銃程度なら至近距離でも防ぐことが可能なこの特殊装備を引き裂かれておいて、無傷とはなるまい。
「生きてれば、いい」
「ああ、心配かけた。それと、よくやってくれた」
二人が監視哨の自衛官たちを呼んできてくれたおかげで、
『第二禁止区域』は
ザルナグなんてハイランクな
これ以上、俺達は生存領域を
「相沢
「はい。査定通りでお願いします」
座り込んだまま、俺は声をかけてくれた自衛官に頷く。
ザルナグは強力な
それに、皮革もギアの材料として活用できるのでいい値段になるはずだ。
「立てそう? 裕太」
「何とか……。やれやれ、初日からとんでもないことになったな」
亜希に引っ張り上げてもらって、俺は立ち上がる。
「何があったか、帰ったら、教えてね?」
「ああ。そうだな……俺もよくわからなくて、うまく説明できるかわからないけど」
手に残る頭蓋を割り裂く感触と、心の中でくすぶる空腹感に似た薄い渇望。
そして、俺に起きた異常な変化。
どう説明したらいいものか。うまく言語化できる気が全くしない。
そう考えて、思わず少し笑ってしまった。
「なるほど……これは『ぎゅーっとなって、パンって感じ』だな」
そう独り言ちて苦笑する俺を、静かに『ゴプロ君』がレンズに捉えていた。
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