11「夜の終わり、

「瞬けッ‼」


 燕貝の絶叫を受けて、闇の中に鮮やかな火花が散った。

 赤黒い光に包まれた少年の指先は、血の糸を引きながら断裂し、高速で迫る。身の毛もよだつような自傷行為だが、それは他者を殺すためだけのものだった。

 弾丸は祥子さんの頭目掛けて飛来する。さすがに光速は出ていないものの、それでも拳銃の速度ほどはあるかもしれない。

 ……いやわからない。見たことないし。ただ、めちゃくちゃ速いのは確かだった。


「祥子さんっ!」


 思わず叫ぶが、彼女は「ふっ──」と息を吐き、


「なっ⁉」


 ふわりと宙に浮かび上がった。空から釣り上げられているんじゃないかと思うほどに、予備動作のない自然な跳躍だった。難なく燕貝の弾丸を回避し、それどころかヤツの背後に音もなく着地してみせる。

 ただ、燕貝はその程度では驚かなかった。


「──」


 気合どころか呼気すら吐かずにヤツは手刀を振るった。最短経路で標的の動脈を切り裂くような鋭さがある。あれで何度となく、俺の手足を刎ねたんだ。

 そんなことを想い、思わず目を閉じた。

 が──。


「ぐぅっ」


 響いたのは燕貝の苦悶の声。目を開けば、ヤツは背中から地面に叩きつけられている。祥子さんは振るわれた手刀ごと腕を取り、投げ飛ばしたんだ。


「ハッ‼ これだからガキは転がしやすくて助かるわァ‼」

「うるさいっ、なァ‼ 瞬け!」


 地べたに背中をくっつけたまま右手を祥子さんに差し向け、燕貝が吠えた。その号令に従って、光の尾を引く指弾がいくつも飛び出した。


「わっ! っぶな‼」


 さすがに五発同時に射出されたら回避は難しいようで、彼女はバックステップで距離を取る。その隙に、五本すべての指が千切れ、血みどろに汚れた掌を気にする様子もなく、燕貝は勢いよく飛び上がった。

 それから再び一合、二合、三合と一進一退の攻防を繰り返していく。


 「……すごい」


 思わず、そんな感想が漏れていた。

 単純な速度や膂力だけで見れば燕貝の方がはるか高みにいるだろう。しかし祥子さんはヤツの心を読んでいるのかと思うほどに先手を制している。さしもの燕貝も彼女に翻弄されるまま、満足に俺の元に向かうことができずにいるみたいだ。

 祥子さんの戦い方は、勝つためでなく、生き残るためだけに振るわれるような、そんなある種の舞踊めいていた。


「鳴海君」


 笹貫の声にはっとした。

 そうだ。こんなことしてる時間は無いんだ。

 自身の頬を強く叩いてから、彼女に問う。


「光子分解を学べって……どういうことなの?」

「祥子さんに教えてもらったんだ」

「え? なんで⁉」


 ぎょっとしてから、すぐに思い出す。

 確か、燕貝が言っていた。月隠とは、この地に降りた二人目の月の民──月隠義光を保護した一族だったと。なら、祥子さんが光子分解の使い方を知っているのも月隠義光とやらの記録が残っているからだろうか。

 だめだ。祥子さんのことがマジでなんにもわかんない。

 でも、今はそんなのを考えてる暇はない。 


「いや、とにかく、どうすんの?」

「ん。時間もないし……」

「ひぃいいぃ! もっ! 無理‼ コイツすばしっこいしんどい‼」

「ならさっさと諦めて瓜丈を殺させろよ‼」

「ほらね。手短に話すから、ちゃんと一回で理解してね。まずは──」


 素っ頓狂な悲鳴を上げる祥子さんと、もどかしそうに憤る燕貝を一瞥し、笹貫は語り始めた。一言一句聞き漏らさぬように耳を済ませると、自ずと祥子さんたちの戦闘音は気にならなくなった。

 そして──。


「……そ、そんなこと」


 できるのだろうか。なんて言葉を無理やり飲み込んだ。

 いずれにせよ、やらなければ終わりだから。

 賭けになる。それも、かなり分の悪い。

 でも、勝つためにはそれしかないのだと納得できた。


「笹貫少女! まだ⁉ 鳴海少年‼ 早くしてぇ⁉」


 祥子さんの悲鳴にはっとする。彼女の動きは、先ほどまでとは打って変わって精彩を欠いている。全身のあちこちに致命傷にはならない程度の傷を負っている。

 このままではまずいってのは、ひと目でわかった。


「笹貫、祥子さんのサポート頼む‼ 霊薬擬きは呑んでる?」

「呑んでる! 任せてよ!」


 その場からはじかれたように駆けだした笹貫の背中を見送って、努めて冷静に戦況を分析する。彼女らが身を投じているのは、カミソリの上で踊るような、いつ死んでもおかしくない攻防だ。そして、そんなものに巻き込んでしまったのは俺だから、


 ──責任を取るのは、俺でなければならない。


「ふぅ──」


 決意を胸に息を吐く。

 刻む鼓動に合わせて思考を回す。

 笹貫から教えてもらった手順は四つ。


 一。光子との契約。月印を通じて、体内に満ちる光子に働きかける。

 二。対象の選別。分解する対象に触れて、材質と組成を深く理解する。

 三。移動の制御。最高で秒速約三十万キロメートルにも及ぶ速度を操る。

 四。対象の再構成。無駄なく光子を混ぜて、形を失った物質を産まれ直させる。


 ぶっつけ本番だ。当然ながらイメージは不十分。

 でも、やるんだ。今、ここで。

 燕貝をこの手で殺す。


「最終ラウンドだ‼ 燕貝‼ 来いよォ‼」


 叫ぶや否や、笹貫が祥子さんを抱えて戦線離脱。そうして解放された燕貝はこの瞬間を待っていたかのように、目を剥き歯を剥きこちらに駆けだす。


「寄越せ‼ 月印をッ‼ 僕の自由を──」


 殺気立つ少年の表情は複雑だった。数週間ぶりの獲物に食らいつく猛獣のようでもあり、数週間ぶりに食料を与えられた浮浪者のようでもある。簡単に人を殺せる強者でありながら、望むものを手に入れられていない弱者でもある。

 そんな存在こそが、燕貝なんだとようやく理解が追い付いた。


「僕はッ‼ ずっとこのためだけに生きてきたんだ‼」


 泣き叫ぶような声をはじき出した燕貝は、俺に向かって手を伸ばす。

 小さすぎるその手でなにを掴もうとしているのか。ヤツが、なにを望んでここに立つのか。そんなことは知らない。知りたくもない。知ったところで理解だってできないだろう。ただ俺は、人の願いを踏みにじる。

 

「知るかよバカやろぉ!」


 この夜も、前の夜だって、俺は死にたくなかった。

 でも、俺のせいで苦しんだ人たちに報いるには、死ぬしかないんじゃないかって思ったりもしたんだ。責任の取り方なんてわからない。背負う力だって多分ない。

 なにも知らないまま、なにもできないまま生きてきたんだ。

 これまでの人生は、きっと全部無意味だったんだって、そう思ったんだ。

 でも、もしももう一度やり直せるのなら、産まれ直せるのなら。

 俺は──。


「俺はァ‼ 鳴海謙一と鳴海蓮子の一人息子で‼ 鳴海螢の兄ちゃんだ‼」


 彼らと本当の家族になって、今までのことを謝りたい。

 それだけじゃない。やりたいことが、たくさんあるんだ。

 そのために──。


「光れェ‼」

「瞬けぇ‼」


 両者互いに伸ばした右の掌から人差し指を撃ち出した。

 痛みを伴う燐光は、ヤツの赤黒い弾丸と交錯する。


「ぐぁっ」

「ぅぎ」


 互いの撃った攻撃は、互いの左目を撃ち抜く結果に終わる。

 けれども、その傷の再生はまだ始まらない。

 それを確かめることこそが、勝利への第一段階だった。

 笹貫郁子が語ったのは、月隠祥子の狙い。


 俺と燕貝を地下で対峙させ、そのうえで敢えて殴られて死なない程度のケガを負い、笹貫と共に逃げ出した。それから笹貫と会話をしてから、共に燕貝と俺を追う。

 一見して場当たり的に思える祥子さんの行動は、すべてに意味があったんだ。

 無駄にあちこち走り回ったその目的は──

こと。


 俺と燕貝は、真贋の差異はあれど、どちらも月印を持っている。

 それゆえに霊薬擬きの効果時間は常人のそれを凌駕する。

 先に霊薬擬きを呑んだ燕貝、劣化品の霊薬擬きを呑んだ俺。

 どちらの効果切れが先に来るかは運任せ。

 前者なら勝ち。後者なら敗北。

 分の悪い賭けとは、つまるところそういうことだった。

 果たして、その結果は──。


「ぁ」


 がくん、と。燕貝が膝をつく。左目が弾けた激痛に顔をしかめて、立ち止まる。

 その一瞬の間に、俺は駆け出していた。


「ぅうああああああぁあああああああ‼」


 叫びながらで燕貝を睨みつけ、まっすぐ手を伸ばした。

 が、少年の左胸を──そこに収まる三日月印を捉えた瞬間。


「──光れ」


 かくして光子分解は成立し、一瞬の静寂のあと、

 

「ぁ、は……はは……まじ、か」


 燕貝は口から大量の血を吐いて、二度、小さな身体を痙攣させた。

 そうしてすぐに、どさりと倒れ込む。

 ひどく小さなその身体は、しかしながらもう立ち上がることはない。

 なにせ──。


「~~っ」


 全身を駆け巡る嫌悪感の出発点──右の掌の中。

 その手に収まるのは、血に塗れた楕円形。そいつはまだ、燕貝の体内に留まっているつもりなのか、その全体から赤黒い光を零している。


 三日月印──燕貝の武器であり、同時にたった一つの弱点。

 月の民が月印を失えば、その身はたちどころに死に落ちる。それと同じように、燕貝だってただでは済まない。

 三日月印は俺の掌の中でどんどん軽くなっていく。

 ゆく当ても知らず、そこから大量の光子を零し、やがて完全に消滅した。


「鳴海君‼」


 半泣きの笹貫が駆け寄って来ている。全身に浅い傷を負った彼女は脚を引きずりながら、けれども確かに近づいてきている。

 彼女の身体に触れ、その暖かさを感じて安心したい。

 生き残ったことの感激を、涙を流して分かち合いたい。

 けれども──。


「おつかれさま」


と、漏らして膝をつく寸前で、俺は笑った。


「全部終わったら、笑おうか」


 長い夜が明けたそのとき。

 これまでのことと、これからのことを全部話して、それで一緒に。


「涙が出るくらい、お腹いっぱい笑おうか」


「へ──?」


 立ち止まり、唖然とする彼女を見つめたまま、俺は小さく呟いた。


「光れ」


 脳裏に描いた空想は、十一年間過ごしたあの家。

 イワカサは信用できない。

 アイツに任せて休むことなんてできそうにない。 

 まだ、やるべきことは残っていた。


 こうして俺は、光と消えた。

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