5「たまさがなるは、玉の枝」

「瓜丈。立てるか?」

「……俺の顔面どうなってる? 不細工になっちゃったかな」


 右手を差し出すイワカサに、俺は冗談めかして問いかけてみた。

 そうすると、彼はふっと息を吐き出した。


「問題ない。御前の顔は、元からだからな」

「……どういう意味だよ」

「ほら。立て」

「ん。悪い。ありがとう」


 ごつごつした手を取り、どうにかこうにか立ち上がる。顔や頭の痛みは残っているが、意識を失うほどじゃない。これが、月印とやらの力だろう。……頑丈だな。俺。


「っと、笹貫」


 ふらつきながら、木の下で呆然としている笹貫の元に向かった。

 

「鳴海君……なんで、戻って来たの?」

「なんで、って……そりゃあ、意地になってたというか、まぁ、責任感というか」

「……バカじゃないの? 鳴海君が死んだら、私たちの計画も台無しになって──」


 彼女は不満そうな顔をしてぶつぶつ小言を言い始めた。

 べつに感謝されたかったわけじゃない。そもそも感謝すべきは俺の方だし。でも、もっとこう、なんかあるだろ、とは思う。無事でよかったとか、お疲れさまとかさ。

 そういういろんな不満をいったん飲み込んで、とりあえず呟いた。


「ま、とにかく今助けるよ。大人しくしてて。詳しい話はあとにしよう」


「むぅ……」


 むっつり顔で押し黙った彼女に苦笑して、横倒しになった木々を退かそうとする。 

 でも、やっぱりびくともしない。早々に諦めて振り返る。


 イワカサは、まっすぐ空を見上げていた。その表情を窺い知ることはできなかったけれど、やっぱり、人を殺したことを気に病んでいるのかもしれない。でも、そんなことに配慮している時間はない。一刻も早く、笹貫を助けてあげたかった。


「イワ──「二人とも。走れるか?」


 イワカサは血相変えて笹貫に覆いかぶさる樹木を蹴り砕き、そう言った。「すごい」なんて感想が口から零れそうになったが、それよりも彼の様子に首を傾げた。


「走る? なんで」


「中空にて玉枝の気配が消失した」


「へ? どういうこと? だれかが玉枝を助けたってこと? 空で? ていうかどうしてそんなことわかるんだよ」


「光子分解の力だ。そして奴の肉体は依然空にある。中身だけがすげ変わった。……ヤツが自ら……いや、そんなはずが……。空で霊薬擬きを呑ませた。……だれが」


 意味わからないことを言いながら、腕を組んで考え始めたイワカサをよそに笹貫が言う。彼女は立ち上がろうともせずに、地べたに腹をつけながら俺たちを見上げた。


「……今日、ここに来ることになってたのは玉枝とその部下たちだけって話だった。でも……そうじゃなかったとしたら……」


「あ」


 その言葉で、俺はようやく思い出した。イワカサに出会う前、俺の脚をぐちゃぐちゃにして、おじさんを殺した少年の姿を──。


「燕、貝……」


 呆然と零れた呟きに、二人が同時に反応した。


「来てるの⁉」「なぜそれを黙っていた!」


「え、あ、いや……す、すみません……」


「いや、すまない。声を荒らげるつもりはなかった。……だが、そうか奴が……となれば、御前の脚を傷つけたのは奴だな?」


 頷くと、困ったような溜息と共にイワカサは呟く。


「瓜丈があの信者の男とやり合い、共倒れたものだと思っていたが……甘かったな。こうしてはいられん。燕貝は私が引き受けよう。御前たちは逃げろ」


「鳴海君。私、足折れてるから走れない。ので、独りで逃げて」


「なに言ってんだよ……俺は逃げない。逃げないで戦うよ。協力すればいいだろ」


 とは言ったものの、痛いのはヤダな。なんて思う。それにイワカサが慌てるなんて、燕貝はそれほどヤバいヤツなんだろう。でも、ここまで関わってしまった以上、いまさら尻尾巻いて逃げるのは嫌だ。それは無責任というものだ。

 でもイワカサは、そんな考えが甘いと言うように重苦しく呟いた。


「燕貝は〈ツキオトシ〉の幹部のうち、最も残忍で純粋な童だ。そしてそれゆえに、だれよりも……あるいは私と同じほど強い」


「いやぁ、照れるねぇ。まさかあの亡霊様に褒められるとは思わなかったよ」


 気配すらなく、少年が声を滑らせた。

 純朴さをうかがわせる高い声に、全身が打ち震えた。

 見れば、闇深い木立の隙間に立つ姿。小柄な身体を包む甚平も、地面を踏みつける高下駄も相まって、一匹の天狗のようだと思った。

 彼は張り付けたような酷薄な笑みを浮かべて語る。


「まったくさぁ、玉枝もイワカサも御鉢もさぁ、危機感が足りてないよ。無駄話なんてしないで殺す。逃げられそうならすぐ逃げる。それが最短で最善だろう? そもそも余裕のある言動が許されるのは、僕みたいな圧倒的な強者だけなんだからさぁ」

「光れ」

「わぁ⁉」


 イワカサの呟きに合わせ、光のレーザー光線が燕貝の身体を襲った。が、彼は容易に回避し、未だに笑ったまま肩をすくめた。


「怖いねぇ。殺す気満々じゃないか」


「やる気ならば、死ぬまで止まれんぞ」


「それは脅しかい? ならば無意味だね。僕は止まらない。死んだとて、その喉元に食らいついてやるさ」


「瓜丈。私と奴が消えたら笹貫郁子を抱えて逃げろ。御前が彼女を守るのだ」


 睨み合うこと長いこと。構えたまま微動だにしないイワカサと、呼吸も忘れて立ち尽くす俺と、緊張した顔で硬直する笹貫と、余裕ぶって構えることすらしない燕貝。

 四者のあいだに満ちた緊張感は膨れ上がり、破裂する瞬間を待っていた。


「その月印、もらい受ける」


 短く歌った少年は、一瞬で消える。

 そしてすぐさま、燕貝の手刀を食い止め、イワカサが叫んだ。


「光れェ‼」


 途端に二人は光と化して消失した。

 光子分解とは、あくまでも物質を光に変換し、光速で移動させる力だ。だからこそ、イワカサたちは瞬間移動をしたのではなく、光速でどこかに移動しただけ。けれども、燕貝がいなくなったのならば、俺たちが逃げる必要はないのではないか。

 なんて、思ったとき。


「鳴海君‼ 逃げて‼」


 笹貫の必死な絶叫が、俺の身体を動かした。


「笹貫っ‼ 逃げるぞ触るぞ許してねっ‼」


「わっ、ちょっ⁉」


 笹貫の首と膝の後ろに手を入れて、横抱きにして走り出す。

 重い。超重い。でもおじさんとちがって持ち上げられないほどじゃない。

 逃げる。だれから。どこまで。今度は失敗しない。守る。笹貫を。絶対に。

 熱を帯びて暴走し始めた頭の中で、ただ一つだけそれを抱く。

 けれども──。

 

「ふぅうううあああははははははははは‼」


 どこからともなく──否、空から響くのは、獣じみた笑い声。俺たちの目の前に叩きつけられたソレは、ばしゃと弾けて辺り一面に血煙を上げた。

 そうして俺は、イワカサの真意を悟るのだった。


 地面に広がる肉塊が、蠢きながら寄り集まる。ひしゃげた塊はボコボコと膨らみ始め、周囲の肉と肉とが繋がり始めた。そしてやがて、人の形を取り戻し──

 血走った左右の目にはそれぞれ憤怒と喜色を滲ませて、男はそこに立ち上がる。


「……玉枝」


 男は、果たして俺の知る玉枝ではなかった。


「玉枝……か。愚かな男だった。偽りの霊薬を創り出し、その対価として自らの命を支払うことになろうとはなァ……かの車持皇子を髣髴とさせる最期であったな。まさしく、『たまさがなる』死にざまよォ」


 玉枝の姿形をしながら、玉枝のことを他人事として語る男は、老人のようなしゃがれ声で「かか」と笑った。その生きざまを、あざけるように。


「瓜丈。貴様、玉枝の望みを聞いたか?」


「……い、いや。なにも」


 じっとにらみ合ったままじりじりと後退する。腕の中で息をひそめる笹貫を見下ろすこともせず、ただ、ヤツの姿から目を離さない。幸いなことに、言葉が通じるようなので、こうして話をしながらそれとなく距離を取ればいい。


「玉枝はなァ、万能薬を創りたかったそうだ」


「……万能薬?」


「左様。彼奴が望んだのは、永劫続く人の未来だった。月の民より霊薬を奪うのではなく、科学によって創られた霊薬を呑み、人を不死に変える。それこそが彼奴の望み。……されど。されどな、彼奴はその道程において、多くの命を対価に支払った」


「……だから、なんだよ。玉枝は人のために頑張ってたんだから殺すなんてひどい、とか言うつもりか?」


「ハッ……。くだらぬ常人の論理よなァ。そうではない。健気だとは思わぬか? 未来の安寧のために、今、この世で殺戮を為す。芳醇な矛盾に彩られておる。……俺は、その結末を見たかった。が、余興ももう終わりだ」


 なにを言っているのか、さっぱり理解できない話だ。でも、それでいい。そもそも男の話を理解する必要はない。今はただ、時間を稼いで逃げる準備を整えるだけだ。

 玉枝と笹貫の戦闘によって木々の禿げたこの場所から遠ざかり、遮蔽物の多い林に入る。そうすればあとは必死に走ってヤツを撒くだけ。

 冷や汗が流れ、腕の中の笹貫に垂れた。

 わずかな身じろぎをした彼女は、小声で囁く。


「私を置いてって」


「ダメだ」


「……あれは玉枝じゃない。もう玉枝は死んでる。アレには、勝てないよ」


 声を潜めていたはずなのに、玉枝を耳ざとく聞き取り笑った。


「……受肉、とでも言おうか」


 さっきから、玉枝の顔は徐々に老化が進んでいた。

 深く刻まれた皺。乾いてささくれた唇。そのくせ爛々と輝く瞳。

 玉枝──だったはずの老人は語る。


「霊薬擬きとは俺の血液を凝固させたものに過ぎんのだ」


「……だから、なんだよ」


「それは、ただの血液の塊よォ。なにゆえにヒトの血によって身体能力と治癒能力が向上するのか。明快。俺の血には、俺を記憶した光子が含まれておるのだ。そして、俺の記憶は常に宿主の肉体と精神を侵し続ける」


 つまり、霊薬擬きを呑み続ければ精神と肉体は失われ、ヤツに乗っ取られる。

 そう語った男の身体はもはや先ほどまでとはちがっている。

 針金のように細かった身体は筋肉質なものへと変貌しており、病的なまでに青白かった肌も血色に染まって赤黒い。そのくせ顔だけは皺だらけの老人なので、ボディビルダーの身体に首だけくっつけたみたいで気味が悪い。

 異形の姿で帰還した玉枝は、愉快そうに両手を広げ、空を仰ぐ。

 天頂に昇る月をその目に写し、喜色満面、快哉を叫んだ。


「我が名は珂瑠──瓜丈高の月印を狙う〈ツキオトシ〉の長である」


 思わず、息を呑んでいた。

 コイツが俺の敵であり、今夜の地獄のきっかけとなった男。そいつから逃げていいのだろうか。もしもここで逃げられたとして、そのあとどうすればいいのだろうか。

〈憑落〉は全国に拠点を置く、巨大な組織だ。そんなヤツらから、完全に逃げ切れるのだろうか。ひょっとしたら、一生追われることになるかもしれない。

 また、今夜みたいなことが起きて、まただれかが死んでいって。

 俺のせいで、〈憑落〉が人を殺して──。

 そんなのを、許していいのだろうか。


「……鳴海君?」


 不安そうな顔に疑問符を浮かべた笹貫をそっと地面に横たえる。そして俺は溜息を吐いて、彼女の前に歩き出す。背後で必死に俺の名を呼ぶ彼女の顔は見なかった。

 イワカサはもういない。消防や警察の助けは来ない。笹貫は動けない。

 でも、珂瑠は俺を捕まえようとするだろう。

 笹貫を置いて逃げる? ハッ。バカバカしい。できるわけがない。


 ──責任を、背負うと決めたんだ。


「瓜丈高。震えておるぞ?」


 引き伸ばされた目と口が、そんな挑発を投げかけてくる。対して俺は引き攣る顔に力を籠めて、震える手足をそのままに、とにもかくにも言ってやった。


「そう言うお前も、老けておるぞ?」


 同じような挑発を飛ばすと、構えた珂瑠が叫んだ。


「さぁ‼ やろうか‼」

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