明快限界
小狸
短編
産まれた時点からあらかじめ個々人の正解が用意されていて、それに沿って生きていれば良い。
少なくともそうすることで、田村は生きていくことができた。
そのパズルの「完成図」が、人それぞれなのだ。
生まれた環境、産まれた親、発育過程の状況、友好関係、友人関係、そういうもので、欠片は埋められてゆく。
そして、良い形のパズルになった者が、世の中で成功できる者なのだ――と信じていた。
田村孝の人生は、まさにそうであった。
中学校から、私立の附属に入り、順風満帆に人生を謳歌した。
優等生ではなかった。
しかし、根っからの明るさを持ち、人から好かれる人間でだった。
いつも何かの中心に田村はいた。
いじめもした、悪いこともたくさんした。
しかしそれは両親や学校が揉み消してくれた。
そのような環境で育ったせいもあり、田村は、自分の「完成図」は確実に良い物になると信じて疑わなかった。
悲しいかな、彼を育てた環境が、そうさせていたのだ。
大学に入学し、附属以外からの人がたくさん入学してきた。
田村は、国文学科に入学した。
ガイダンスを終えて、ゼミに入ると、すぐに田村はその中心人物になった。
人生は、余裕だった。
逆に、集団に混ざろうとしない、溶け込もうとせず、さりとて自己肯定感の高くない、
どうして自己を肯定できないのだろう?
ぶつぶつとものを話すのだろう?
人と目を合わせることができないのだろう?
彼にはその気持ちが、全く分からなかった。
だから、莫迦にした。
見下した。
可哀想だと思っていた。
低俗だと思っていた。
ただ、仲間内で話題に挙げるだけである。
本人には直接は言わない。
SNSで書き込まれても面倒だからである。
でも見下していたことは、事実である。
絶対に、こいつより自分は上だなという安心感。
自分より下がいてくれるという快感。
それに酔っていた。
そんな田村の生き方に、ある日、限界が訪れた。
ある日というには、田村にとっては重要な日であった。
入学から三年が経過した。
遊び惚けていたせいで、卒業単位数が不足していることに気が付いたのである。
この四年次で取り返さねばならない。田村は焦った。
就職活動は、持ち前の明るさで、第一志望の企業に早期選考で受かっていた。
だから、その絶好の機会を、逃すわけにはいかなかった。
しかし、楽に取れる単位、所謂
その講義は毎回出席、必須という訳では無いが――出席していなければ分からない、二回の試験があるというものだった。
面倒だ――と田村は思った。
出席日数はギリギリにして、試験だけ受かろうと試みていた。
しかし、結果はボロボロだった。
一度目の試験は、何とか解けたものの、学期末の試験は、ほとんど白紙の状態で提出した。
講義を担当していたのは、いかにも陰キャそうな出で立ちの、背の低い中年の助教授だった。
「はい、試験、
その言葉が聞こえた時、ぶわっと、手と足から汗が吹き出たのが分かった。
あ、落ちた。
駄目だ――と、直感的に分かったのである。
だから講義の後、その先生に掛け合うことにした。
「先生、単位くれますよね?」
「試験の結果次第です」
先生は、静かに言った。
怯えた犬のような出で立ちだったけれど、妙に響く声だった。
「ゆーて、ゆーて俺でもワンチャンありますよね? 今回テスト全然できなかったんすけど」
「それじゃあ、単位はあげられませんね」
「いや、それじゃ困るんすよー」
ふざけて身体を動かして、困っている様子を表して見せた。
こうすれば、大抵の先生は折れてくれる。
「俺、良い企業に内定出ててー、この講義で最後の単位なんすよー、卒業、掛かってるんすよー、だからお願いしますよー、何とか先生の力で」
「駄目です」
しかし先生は、折れなかった。
「きちんと出席し、勉強して点数を取ってきている学生もいるんです。その人達の努力を、君一人のために
「はぁ?」
田村は続けた。
「だから、俺は卒業が懸ってるって言ってますよねー? 他の2、3年とかとは違うんすよー、分かります?」
「君、田村君だよね。出席もギリギリだし、前回の試験も良くなかった――学科でももっぱら噂になっていますよ」
「噂とかどうでも良いんで、単位下さいよー」
田村は焦っていた。
いつもなら、ここまで粘着すれば、大抵の先生は折れてくれる。
どうしてこの男は、折れないのだろう。
分からなかった。
だから、詰め寄った。
一歩。
それは威嚇のつもりだった。
こうすれば、ほとんどの先生は、折れる。
面倒事になることを、何より嫌うのだ、最近の大学教師は。
それを分かっていたから、前に出た。
「だから、単位くれって言ってるじゃないですか、分かんないんですかー、先生?」
しかし先生は、引かなかった。
「試験の結果次第です、と、先程から言っています」
「だーかーら、試験とかそういうんじゃなくて、卒業が掛かってるって言ってるんすよ?」
少し、声に怒気がこもった。
近くにいた田村の仲間たちも「おい、ヤバくね?」「その辺にしとけよ」と、言ってきた。
しかし田村にとっては、死活問題である。
先生は、少し考える素振りを見せた。
そしてこう続けた。
「田村君、あのね、後学のために言っておきます。君のそういう明るい所、人から好かれる所は、とても強い武器です。恐らくそれを使って、今までの人生、何とかなってきたのでしょう」
田村は、何も言えなかった。
図星だったからである。
頭に、血が昇っていくのが分かった。
「でもね、明るさだけで、心地良さだけで、快さだけで行ける
「は……は?」
自分には、何もない?
空っぽ?
そんな
友人がいる、助けてくれる人もいる、恋人もいる、満たされている。
人よりも、上位にいる。
そう思って振り返った。
のだが。
今まで田村に賛同してくれた友人たちは、少し距離を取っていた。
どころか、教室からいなくなっていた者もいた。
引かれていたのが、分かった。
自分の、限界?
卒業。
単位。
留年。
親との相談。
金銭。
内定。
人生。
正しかったはずの欠片が、パラパラと、軽快に崩壊していった。
そんな自分を。
こんな自分を。
田村が、認められるはずもなく。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」
気が付いたら。
田村は、先生を殴っていた。
*
彼が先生に暴行を振るった事件は、
田村孝は停学処分となった。
勿論内定は取り消し、大学にもある事ない事、噂が広がって居づらくなったのか、留年の後、中退することになった。
その後に、高校の同期会が何度か開かれたけれど。
田村の姿は、そこにはなかった。
彼のその後は、誰も知らない。
(了)
明快限界 小狸 @segen_gen
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