五億年ボタンの内見
過言
じめん四倍弱点らしい
「こちらの物件はですね、駅からは少し遠いですが、徒歩5分圏内にコンビニやスーパーマーケット、コインランドリーなど一通りの商店施設が揃っていまして……」
「……あの、店員さん、それ何ですか?」
手ごろな賃貸を探しにやってきた不動産屋。
閑散期を狙うといい、とネットに書いてあったので、11月に行ってみた。
プレハブ小屋らしい事務所の中は狭く、クーラー代をケチっているのか熱が籠っていた。
外れなのかな、と思いつつ(初めて訪れる不動産屋なので基準がわからない)、カウンターに座って新居の相談を始めようとしたら。
その店員さん(でいいのか?)は、赤いボタンの付いた、白い箱を抱えていた。
「?えっと、何って、五億年ボタンですけど」
店員さん(名札には「田中 物件貸貸(たなか ぶっけんかしかし)」と書かれていた。田中さんと呼ぼう)は、どうしてそれが気になるのかわからない、というような、きょとんとした表情で答えた。
「それでですね、このスーパー、ここだけの話、お惣菜がめちゃくちゃ旨いんですよ。私も常連でして」
「いやごめんなさい、お惣菜よりは流石に五億年ボタンの方が気になります」
「そうですか?私のお勧めはカキフライです」
「カキフライあるなら話変わってくるなあ!」
今は昼時少し前の11時ごろ。ちょうどよく腹が減ってくる時間帯だ。
飯の話は、耳を通して胃までダイレクトに届く。
私のお腹が「ぐぎゅるるる~~」と鳴った。いやむしろ「カキキキキ~~~」と鳴ったと言ってもいいかもしれない。
話が変わってしまってはいけないので、懐から栄養バーを取り出し、食べながら話すことにした。
これで空腹には邪魔されないだろう。
「ひや、はひふらいはいいんれふよ、ひやはとでふわしふひひまふへど(いや、カキフライはいいんですよ、いやあとで詳しく聞きますけど)。……もぐもぐ、ごくん(もぐもぐ、ごくん)。で、色々聞きたいことはあるんですけど、五億年ボタンって、あの五億年ボタンですか?」
「ええ。あの五億年ボタンです」
「精神が崩壊する奴?」
「精神が崩壊する奴」
「それがどうして不動産屋に?」
「私が作りました。趣味が高じて」
「趣味が高じて!?」
「はい。私、趣味をそのまま仕事にしたクチの人間で。趣味が物件探しなんですよね。物件と言っても、現実にあるものよりは、フィクションの世界の、例えば中世ファンタジーのお城とかディストピア系SFの集合住宅とか、そういう特殊な物件の間取りとか見積もりとか、そういうのを妄想するのが好きなんです。で、ですね。私、気付いちゃったんですよ」
田中さんが手をぽんと合わせ、こちらに視線を向けて言った。
「五億年ボタンが、この世で最も理想的な物件だって」
「何を言ってるんですか?」
「五億年も住めるんですよ?しかも移動時間も必要ないし、部屋の広さは無限だし、それに、望んだものはなんでも現れるらしいじゃないですか。コンビニもスーパーもカキフライも、徒歩0分のところにあるも同然ですよ」
「それはボタン押した奴が発狂し過ぎて幻覚を自由に操れるようになったみたいな話じゃないんですか?」
「別に幻覚でもいいじゃないですか。美味しければ。カキフライとか」
「腹減るんでカキフライって言うのやめてもらえます?」
腹が、今度はもうはっきりと「カキフライ!!!!」と鳴った。
栄養バーをもう一本取り出す。
「というわけでですね。こちらの五億年ボタンは、弊社の方で用意している物件の一つになります」
「個人の趣味で作ったものですよね??」
「社長に掛け合いました。『試したら良さがわかりますよ!』って言って、ちょっとボタン押してもらって」
「魂の殺人だ!!」
「出てきた後、社長『×××××××……!!』って言ってました」
「あんま名状し難い言語使わないでくれません?初めて聞きましたよ現実でピー音」
「まあちょっと、人の形は辞めちゃってましたけど」
「やば~~。ちなみに何の形だったんです?」
「チワワ」
「チワワかあ」
「それも、毒チワワです」
「毒チワワ」
人間の終着点って毒チワワなんだ。
「じゃあピー音の裏で流れてたの犬の鳴き声じゃん」
「毒チワワは鳴き声にも毒が含まれてますからね。直接聞くと危ないんです」
「田中さんは大丈夫だったんですか?」
「
「あなた本当に人なんですか?」
「ギリ人です。人5.1:毒チワワ4.9です」
「持っていかれかけてるじゃないですか」
毒チワワってどく・はがねタイプなのか?
「まあはい。作ってる途中で試したりしたのでね。2.45億年ボタンぐらいの時に」
「五億年でピッタリ10毒チワワなんですね」
「何言ってるんです?」
「何言ってるんでしょうね」
本当に。
ずっと喋ってたら暑さもますます増してきた。
「五億年ボタン、押します?中の部屋、クーラーガンガンですよ」
「絶対に嫌です。まだ人間でありたいんで」
「別に5億年スタートしないと中に入れないってわけじゃないですよ。見てくださいここ」
田中さんが箱の側面を指差す。
そこには、箱と同じ色の小さなボタンがあった。
赤いボタンの存在感が強過ぎて、言われないとまず気付かないだろう。
ボタンには、小さな字で「※内見用」と書いてあった。
「れっきとした物件ですから、一度入ったらもう入居、ってわけにはいかないんですよ。まずは内見ボタンを試しに押してもらって、それで気に入ったら五億年ボタンを押してもらって本入居って感じで」
「色々と言いたいことはありますけど、社長さんにもこのボタンを押してもらえば毒チワワになることはなかったんでは?」
「尊い犠牲でした」
「その時はこのボタンなかったってこと?」
そろそろ暑さが限界を迎える。
さっき栄養バーを二本も食べたので、口の中もあり得ないくらいパッサパッサだ。
社長さん改め毒チワワさんの犠牲に感謝して。
ポチっと。
「ああこれ、引くタイプのボタンなんです」
「そんなボタンこの世にあっちゃならないだろ」
言い終わる前に田中さんがボタンを引き(きも!)、私と田中さんの意識はそこで一旦途切れた。
いやどうだろう、別に田中さんが気を失うところを見ていたわけではないので、もしかしたら私だけ失神して田中さんは全然ピンピンしてたのかもしれない。
怖。
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