五章 砂糖林檎は裏切りの木
からの樽の
「うそ。どうして、ないの? 医者宿で使った時には、樽の半分以上あったのに……確かめたのに。荷台に、
これではルイストンに到着しても、砂糖菓子品評会に参加できない。
作品を作れば、規定量の樽三つの銀砂糖が目減りして、失格になる。
けれど樽三つの銀砂糖を確保しようとすると、作品を作る材料がない。
「……どうして……。どうしてよ!!
アンは
「なにを
開いたままになっていた荷台扉の外から、シャルの声がした。
アンは立ちあがった。足に力が入らず、ふわふわした。落ち葉の降り積もった道を
「なにがあった」
「銀砂糖が。……なくなってる」
「なくなった?」
「……三樽は、残ってる。でも、品評会に出るには、樽三つ分の銀砂糖と、作品が必要なのよ。作品をつくる分の銀砂糖が、ない……」
シャルは
「医者宿では、あったのか?」
「あの時には、あった。確かめた。あの時扉に、鍵もかけた。誰も出入りできないはずなのに」
なのに。銀砂糖がなくなっている。
シャルの
なぜ銀砂糖がなくなっているのか、わからない。
「アン? なにかあったの?」
声を聞きつけたらしく、ジョナスが、キャシーをともなって荷台から出てきた。そしてシャルにしがみつくアンを見ると、
声を出すと、
ジョナスの質問に答えられないアンにかわって、シャルが言った。
「銀砂糖が、なくなってるらしい」
「え? だって、銀砂糖は、荷台に入れてただろう? 鍵もかけていたし、誰も出入りできないじゃないか」
「……いえ。出入りできます」
思い詰めたような声で言ったのは、キャシーだった。
その言葉にふくむところを感じて、みんなの視線が、彼女に注がれた。
「どういう意味だ、キャシー」
ジョナスの問いに、キャシーはうつむいた。
「同族を裏切るようなこと、言いたくないんですけれど……。わたし、見たんです。医者宿に泊まっていた夜に、自分の部屋の窓から。アン様の馬車の荷台は、高い位置に窓があるでしょう? あそこから、ミスリル・リッド・ポッドが出てくるのを、見たんです。月明かりに、体じゅうが、きらきら光って見えました。銀砂糖まみれの姿でした」
──ミスリルが……?
「なんだなんだ、うるさいなぁ。そろって集まって。なんの相談だよ」
──まさか。でも鍵をかけた荷台には、小さな
ミスリルの顔を、見つめる。彼はそんなことをしていないと、信じたかった。
「ミスリル。降りてこい」
厳しい声で、ジョナスが命じた。
「なんだよ。俺はおまえに
「降りてくるんだ!!」
ジョナスの
「な、なんだよ」
「おまえは、銀砂糖が好きか?」
ジョナスの問いに、ミスリルは
「好きだよ。銀砂糖を
「医者宿に
「え?」
「アンが品評会のために準備していた銀砂糖が、一部、なくなってる。医者宿に泊まった夜、おまえが銀砂糖まみれの姿でアンの馬車の荷台から出てくるのを、キャシーが見ている」
そう聞かされて、ミスリルは目をぱちくりさせ、ぽかんと口を開けた。しかしすぐにかっとしたように、キャシーに向かって
「な、なんだよ!! 何を言うんだよ、おまえ。同じ妖精のくせに。俺がそんなことしたって、言ったのか!?」
キャシーはジョナスの背に
「だって、見たんですもの」
「
「アン。銀砂糖を
「キャシーが噓をついて、なんの得があるんだ」
責めるジョナスの言葉を
「人間め、
そしてさらに、アンに
「アン。まさかおまえまで、俺を疑ってないよな。俺じゃない。
ミスリルがおどおどと、言葉を
その言葉を信じたかった。でも、疑いをはらす
──もしかして。……いいえ、
疑いが、アンの心の中で
その気持ちが、アンの顔に表れていたのだろう。
アンの顔を見ていたミスリルの
「俺を、疑ってるんだな。アン。信じてくれないんだな……アン」
「……信じたいの」
「でも、信じてないじゃん!! アンはほんの少し、俺を疑ってる」
ミスリルの目から、涙があふれた。
「わかったよ、アンがそんな目で俺を見るなら、もう、アンの目の前から消えてやる!」
そう叫ぶと、ミスリルはおもいきり
「ミスリル、待っ……」
呼び止めようとしたが、
力が
「もう、これで……。今年の砂糖
シャルは黙って、ミスリルが消えた方向を見ていた。
ジョナスは、考え深げに
「そうだ!! ねぇ、アン。
「
「砂糖林檎は、あるよ! ラドクリフ
砂糖林檎の木は、不思議な木だ。
人間の手で
自然の中で育った砂糖林檎の木だけが、実をつける。
だから砂糖菓子職人は、砂糖林檎の林がどこにあるのか、その実を自分がどうやって確保するかに必死だ。
ラドクリフ工房派の会合で話題になったのなら、砂糖林檎の林がある可能性は高い。
しかし。
「砂糖林檎があっても、それを精製するのに三日はかかる。ブラディ街道でそんなに時間をとられていたら、ルイストンに
「だったら銀砂糖を精製する三日間に、今残っている銀砂糖を使って、作品を作ればいいんじゃない? 銀砂糖の精製と作品作りを、同時にするんだ。それで作品ができて、使った分の銀砂糖を
「そんなこと……」
できっこないと言おうとした。が、ようやくアンの思考はまともに動き始める。
あながち不可能ではないかもしれない。
顔をあげ、ジョナスを見る。勇気づけるように、彼は頷いた。
「できるよ。元気を出して、アン。僕も砂糖菓子職人の
ジョナスが力強く、アンの
「ありがとう。ジョナス」
やっとわずかに
「ごめん。シャル。なんか動転して。シャル、せっかく寝てたのに。起こしちゃったね」
「かまわない」
シャルは言うと、素っ気なくアンに背を向け、火のそばに帰った。
アンはジョナスと
「確かここだ。この場所に、砂糖林檎の林はあるはずだよ。
地図の一点を指さして、ジョナスが言う。
その場所は、ルイストンから馬車で半日の
本当ならば砂糖林檎を
しかし砂糖林檎は、収穫直後に精製しなくては、独特の苦みが抜けなくなる。半日も荷台に
ということは、近場の宿砦にとどまり、そこで必要な量の銀砂糖を精製するしかない。
砂糖林檎の林のまでは、ここから馬車で三日。
そして砂糖林檎を見つけて収穫するのに、一日。
近場の宿砦で精製するのに、三日。
宿砦からルイストンまでの距離は、半日。
砂糖菓子品評会は、八日後。品評会当日に、
ぎりぎりだ。
だが、やれないことはない。アンは決意をこめて、地図を見つめた。
「がんばろうね、アン」
ジョナスは最後にひと言そう
アンは火のそばに帰った。
そのころには、気持ちもかなり落ち着いていた。
シャルの
説明が終わるとアンは
「ねぇ、ミスリルは?」
シャルは、消えかけた火に小枝を投げこみ、答えた。
「消えた」
「どこかへ……行っちゃったの……?」
アンはうつむいて、
草葉はちりっと、
たとえミスリルが銀砂糖を盗んだ犯人だったとしても、彼が違うと言えば、信じてあげることが本当の
ミスリルのことを
「本当に、あいつか?」
シャルがぽつりと言ったので、アンは顔をあげた。
「なにが?」
「本当に、ミスリルが
軽く
だが、確かに。あれほど熱心に、恩返しをしたいとくっついてきた彼が、なぜそんなうかつな
それとも、別の
しかしキャシーが
「わからない……。本当は誰が、銀砂糖を盗んだかなんて……。そんなことよりも今は、銀砂糖の確保よ。意地でもわたしは、今年の砂糖菓子品評会に出るんだから。……ごめんね。シャルに作ってあげるって約束した砂糖菓子、作るの忘れてた。思い出して、今、作ろうとしてたんだけど……。これでしばらくお預けになっちゃった。でも羽を返すのと一緒に、砂糖菓子をプレゼントするから。約束する」
言うと
──間に合うかな? どうか、間に合わせて。お願い、ママ。
◆ ◇ ◆
シャル・フェン・シャルは、
状況から考えれば、ミスリルが食べてしまったというのが、一番可能性が高い。
だがシャルには、ミスリルの
──ミスリルでなければ……誰だ?
◆ ◇ ◆
三日間。アンは前に進むことだけを考えて箱形馬車を走らせた。
昼間は、ろくに
夜は危険で、馬車を走らせることができない。
幸いにも、
あと半日走れば、王都ルイストンだ。
最後の宿砦は小高い
ルイストンが目前であることを実感した。
しかしルイストンを目前にしながら、アンはここを離れられないのだった。
──砂糖林檎を、早く手に入れないと。
翌日。アンは日の出とともに、ジョナスと一緒に馬車を出した。
そして太陽が中天にかかる頃。アンの目に、真っ赤な木の実の姿が飛びこんできた。
「……砂糖林檎」
砂糖林檎の木は、背が低い。せいぜい、アンの頭の上までしか高さがない。
細い幹に、人の指ほどの小枝が無数に
予想外に早い砂糖林檎の発見に、アンの中でやる気がわいていた。
「間に合う。この砂糖林檎を精製しながら、作品をつくれば。
御者台から降りて、荷台から
砂糖林檎を次々籠に
見る間に籠いっぱいになった砂糖林檎を荷台に移し、再び籠をいっぱいにする。五、六回もそれを
砂糖林檎の赤い色を見ると、元気が出る。エマも、よくそう言っていた。
三日間、街道を
そのおかげでミスリルや自分に対するもやもやした感情は、背後に
それよりも、前を見ること。希望があるなら、うだうだ
「さっそく作業開始よ!」
砂糖林檎を荷台に
荷台から
「品評会用の作品を作ったら、すぐに、シャルにあげる砂糖
「食えるものを
「言ったね。わたしの腕前、見せてあげる」
シャルは少しだけ体を起こして、楽しげなアンを見ていた。
砂糖林檎の木は、裏切りの木とも呼ばれる。
真っ赤でつやつやした、
その裏切りの実も、砂糖菓子職人の手にかかれば、上等な甘さに変わる。
まず。大鍋に水を張り、銀砂糖を
いったん水を捨て、再び新しい水を入れて鍋を火にかける。
砂糖林檎が
どろどろになったら、鍋から平たい石の皿に移す。均一にのばして、また一昼夜
するとそれは色を変え、純白の固まりになる。最後に
そして。わずかに青みがかった、純白の銀砂糖ができあがる。
銀砂糖は、
作るべきなのは、祝祭に用いられる大きな作品だ。
荷台に入ると、作業台の下に置かれている紙の束を取り出す。大きさも形もまちまちの、黄ばんだ紙の束は、
それらの紙には、砂糖菓子のデザインが
エマが、こつこつと描きためていたものだった。彼女は砂糖菓子を作るとき、まずこのデザイン画を広げ、この中から作るものを決めていた。
『ママが作った財産。誰にもあげられない。真似させちゃいけないものよ』
エマはこの紙束を指して、そう言っていた。
旅の道中。安い砂糖菓子が欲しいという客には、アンが作ったものを格安で分けていた。アンはエマが指示するデザインで、砂糖菓子を作った。
今は、「このデザインを使え」と指示してくれるエマはいない。
アンは、自分で選ばなくてはならなかった。
迷ったすえに、エマが好きだった、花のモチーフを選ぶ。花の色は、
その時、ふっと耳に、医者宿で出会ったヒューの言葉が
──じゃあ、猿まねじゃなくなるために、なにをどう作ればいいの? わからない……。
考えながらも、黄ばんだ紙を作業台の上に置き、紅、緑、青と、色粉の
樽から、銀砂糖をすくいあげようとした。
「アン。アン」
荷台の
「精製してる銀砂糖を入れる樽は、足りる? 僕の荷台に一つあったから、これ使えば?」
ジョナスは小ぶりな樽を一つ
「まだ水に浸してるのに。精製できるのなんかまだ先よ。それにからの樽なら、二つもあるし」
「ああ、そうか。まあ、せっかく持ってきたから。ここに置いておくよ」
作業台の下に樽を置くと、荷台がどかんと
「それ、からっぽなんでしょう? やたら重そうだけど。すごく
「父さんの作業場から持ってきたから、一級品だよ。銀砂糖が
「ありがとう。でも。なんでそんなもの、旅に持ってきたの?」
「なんとなく、使うかもしれないと思って。それより作るものは、決まったの?」
「うん。今水に浮かんでる砂糖林檎が銀砂糖になる前に、仕上げてみせるから」
「僕も期待してる」
ジョナスはそっとアンに近寄ると、彼女の
「な、なに!?」
「頑張って。アン」
ジョナスの両手がアンの
アンは思わず、持っていた石の器を顔の前にかざした。
「なになになに!? ジョナス!? ちょっと、なにこれ。やめようよ」
「
石の器を片手で押さえ、残った片手でアンの
「君が好きなんだ」
「わたし、そんなつもりないし」
「好きだよ」
「や、やだっ!」
アンの平手が、ジョナスの頰を
ジョナスははっと頰をおさえ、アンから手を
「どうして? アン」
「わたし、ジョナスを好きってわけじゃない!」
「僕は、君が好きなんだよ」
「それはジョナスの気持ちでしょう!? わたしには関係ない」
プロポーズの言葉や、
だが実際、引き寄せられキスされようとした
ジョナスは、その言葉が信じられないという表情をした。当然かもしれなかった。
彼は幼い
「そっか。君が僕を、好きになってくれてればいいと思ったけど」
傷ついたように、ジョナスはわずかに笑った。そこでアンも、冷静さを取り
「……あ……。ごめん。わたし……なんか、
「いいよ。僕が
「うん。ありがとう」
ジョナスは微笑むと、出ていった。アンは大きくため息をついた。
殴られたあとに食事の心配をしてくれるなんて、やはりジョナスはいい人だと思う。
「ジョナスを大好きになってれば、こんなこと、してなかったんだろうなぁ」
銀砂糖を樽からすくっていると、ノックの音がして再び荷台の扉が開いた。
入ってきたのは、大きな
「ジョナス様から。お食事を届けるように言いつけられました。どこに置けばよろしい?」
「ありがとうキャシー。そこの作業台の下に置いて。後で食べる」
顔もあげずに銀砂糖を量っていると、キャシーがひょいと
「一つ。忠告してさしあげます」
顔をあげると、キャシーはひどく冷たい表情をしていた。
「ジョナス様があなたに
「え?……いい気になった覚えは、ないんだけど……」
「ジョナス様が、本気であなたなんかに、恋するはずないじゃないですか」
そのとげとげしい言葉を聞いて、アンは首をひねった。以前、似たような表情を見たし、似たようなことを言われた気がするのだ。
どこでだったか……。確か、ノックスベリー村だ。はたと思い出す。
「キャシー。あなたもしかして、ジョナスのこと好きなの?」
「なんですって!?」
声も裏返っている。キャシーの態度は、ノックスベリー村の女の子たちにそっくりだ。ジョナスの家に間借りしていることに
そうと気がつくと、微笑ましくなった。
「いいね。キャシーは好きな人が自分の羽を持ってるなら、幸せだよね。
「そんな話をしてるんじゃないわよ! わたしはあなたに、いい気になるなと……」
「
「あなたって、本当に馬鹿! お話にならないわ!」
キャシーは肩をいからせて、ぷいと荷台から出ていった。
──キャシーに比べたら、シャルはお気の毒様ね。なんたって心の底から馬鹿にしてる、わたしに羽を
扉の
草の上にさらりと流れるシャルの羽は、
「妖精と人間の恋……」
ふと考える。シャルはかつて心を通わせた人間の少女リズと、もしかして恋仲だったのだろうか? そう考えた途端に、ぎゅっと胸が痛んだ。
その痛みがなぜなのかわからず、アンは自分の感情を
「……なんだろう……」
シャルの思い出の中にいる、リズという少女。なぜか
──なんにしても。
そう思うと、胸に冷たい風が
アンはその囁きを聞かないように、風をふりきり作業に戻った。
銀砂糖に、冷水を加えて練る。銀砂糖は
それに色粉を混ぜて色を作る。それを
色のついた銀砂糖を形作り、へらで
様々な技法で、さらさらの銀砂糖から砂糖
砂糖
アンは荷台の
ジョナスはときどき、アンの荷台に顔を
アンも気まずかったから、あえて声などかけなかった。
ときおり
だが、
砂糖林檎は煮え
この二日。アンは、ほとんど休みなく作業を続けていた。食事も鍋をかき回しながらだし、
そのおかげで、作品はみるみる形になっていった。
エマが作っていたように、
グラデーションで変化する、花びらの色。
作品に取りかかって三日目の朝。砂糖菓子は完成した。
いいできばえだ。作品としては、
だが、アンは
エマの作っていたものと、寸分違わないはずなのに。エマが作ったもののように、一目見て、はっと心を引き寄せられるような磁力が、作品にない気がした。
幾度も、その言葉が頭をよぎる。
けれど技術は完璧だ。
できあがった砂糖菓子が転げ落ちて
それを終えると、ほっとした。
連日の作業でふらふらになったアンは、よろけるように荷台を降りた。
「
草の上に横になり、空を見あげていたシャルの
「終わったのか?」
興味なさそうに、シャルが
アンは
秋の
「品評会まで、今日を入れて、あと二日あるね。今
自然と、
「不思議だった」
静かに、シャルが口を開いた。
「なにが?」
「妖精市場ではじめて、おまえに会ったとき。銀砂糖の甘い
「そう? ドレスに
くんくんと鼻を鳴らして、
「指だ。おまえの指は、甘い香りがする」
「
「俺には、わかる」
「そっか……わたし、銀砂糖ばかり
すると草を
「アン。やったね。荷台の中を覗いて見たよ。すごく
ジョナスの
アンは疲れ切っていたから、顔をあげることもなく、ただ礼を言った。
「ありがとう。ジョナスが、砂糖林檎のことを知っててくれたおかげよ」
「こっちこそ、ありがとうだよ」
ジョナスはわずかに笑って、アンの馬車の方へ歩いていった。
──なにが、ありがとうなんだろう。
アンは不思議に思い、顔をあげる。
するとジョナスが、自分の馬を、アンの箱形馬車に取りつけているのが目に入った。
「なにしてるの? ジョナス」
「出発しようと思って」
シャルが
「気が早いよ、ジョナス。銀砂糖はまだ完成してない。出発は明日よ。それにその馬、わたしの馬じゃない」
「いいんだよ。僕の馬のほうが、速く走るから。これで」
「ジョナス?」
ジョナスは無表情で、自分の馬を取りつけ終わると、アンの馬車の
彼の様子がおかしいと、ようやくアンは気がついた。
立ちあがり、彼に向かって歩き出す。
「ジョナス? なんなの」
「君が僕を好きになって、
その
閉じられていた宿砦の
飛びこんできたのは、キャシーだった。彼女は必死の形相だ。血の
キャシーの背後からは、複数の
シャルが飛び起き、
「なんのつもりだ!」
キャシーはアンの目前に
「だから、いい気になるなと言ったのよ!」
そして手にした肉の塊を、アンの
その瞬間、キャシーはさらに大きく跳躍した。そしてアンの馬車の荷台に飛び乗った。
狼の群れが肉の塊を追うように、一気にアンに向かって飛びかかった。
悲鳴すら出せないアンと、狼の間に、シャルが飛びこんだ。
剣の一ふりで、飛びかかってきた三頭を
狼たちはぱっと散開すると、
「シャル。なに……、これ……」
「おびき寄せたんだ。あいつらが」
──あいつらって、ジョナスとキャシー? なんで、彼らが……。
ジョナスが馬に
──ジョナスは、わたしの作った砂糖
狼に囲まれていることも忘れた。思わず
「ジョナス!!」
アンは走り出した馬車を追い、御者台に飛びつこうとした。
御者台の上で、ジョナスは胸のポケットから大きな
アンはかまわず、しゃにむにジョナスの
しかし狼は
「待って!!」
「バイバイ。アン」
ジョナスの上衣の裾を摑んだ手をめがけて、鞭がふりおろされた。
バシリと熱い痛みが手の
手が離れた勢いで、走る馬車にふりきられるように、草の上に転げた。転んだアンめがけて、狼たちがわっと飛びかかる。シャルが、割ってはいる。
「シャル! ジョナスを追って! 行って! 早く!」
「ここを離れたら、おまえは狼の
「いいわよ。かまわない! 行って! 取り
「断る」
シャルは血しぶきを浴びながら、片時も動きを止めることなく狼たちを斬る。
彼の動きにあわせて流れる羽に、狼が飛びかかろうとする。獣は、
「取り戻して、取り戻して! 追ってよ!! お願い、お願いよ、言うことをきいて!」
「ならば命じろ!
羽を引き
「お願いよ、追って!」
アンは、声を張りあげるしかなかった。
「シャル! 追って、追って!! お願い、追って!! お願い!! お願い!!」
アンの砂糖菓子を
◆ ◇ ◆
斬りすてた狼の死体を足もとに見つめ、シャル・フェン・シャルは立ちつくす。
さすがに息があがっていた。羽に血しぶきが飛んでいる。
ぶるりと羽をふるい、血を
狼たちは
アンは
自分の羽とアンが無事だったことに、シャルは
剣をふって
「……なんで、追ってくれなかったの」
馬車が走り去った門の向こうを見ながら、アンがうつろな表情で口を開いた。
「ジョナスを追っていたら、おまえは狼に
「わかってる!」
突如アンは立ちあがると、シャルに歩み寄った。
「わかってる! でもそれは、シャルの判断。わたしの判断じゃない! わたしは喰い殺されてもいいから、砂糖菓子を
そう叫ぶと、思い切りシャルの胸を両手の
何度も何度も、彼女は打ってきた。
アンの言っていることは、めちゃくちゃだった。しかし彼女自身、それは理解しているはずだ。それなのに、言わずにはおれないのだろう。だからシャルは、させるがままにしていた。
ようやく、アンの両手がさがる。うつむいたまま、ふらふらと残された馬車の荷台の中へ入っていった。
──確かに。俺はあいつの命令を聞いたことは、一度もない。
シャルがこの旅の間に
ただ、あの時。狼がアンに飛びかかった瞬間。
自分の羽が傷つくかもしれないということは、思い
呆然としているアンをとにかく守ろうとして、
ぽつりと、冷たいものが
見あげると暗く暮れ始めた空から、雨の
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