奇妙な間取りの家で、青年は晴れやかに微笑む【KAC20242】

弥生ちえ

家はただ静かに訪問者を待つ


(ああ、急がなくちゃ……!)


(何でこんなことになったんだろう。充分に余裕があったはずなのに―――?)


 住宅メーカーで営業員の仕事について3か月。ようやく仕事に慣れてきたところの失態に、黒之は焦っていた。


 大した学歴もなく、都会に出て来たばかりで、連戦連敗の面接続きの後、ようやく見つけた仕事だったこともあり、黒之は懸命に仕事に取り組んできたはずだった。


(油断してしまったのだろうか?)


 腕時計に視線を落とせば、お客様との内見アポイントの時間まで、5分を切っていた。まだ試用期間の3か月を乗り越えておらず、気も張っていた。余裕をもって会社を出たはずだった。


 迷う様な複雑な道ではなかったはずだ。閑静な住宅街の中に建つ一軒家。けれども最寄りの駅まで徒歩10分と云う優良物件。土地に不慣れな者でも、そう迷うことなく辿り着ける場所だ。


(そう言えば……)


 ふと、先輩の言葉が頭を過った。自分に引継ぎを行った先輩が、会社を辞する直前に人目を憚る様に告げてきた言葉だ。


『悪いことは言わない、君もあの物件のリフォームが終わる前に辞めた方が良い』


 黒之は、無情に時を刻んで行く小さな盤面に、焦れた視線を送りながらハンドルを切る―――


「あ!」


 車の急ブレーキ音が、静かな日常に沈む住宅街に響き渡った。




     ◇ ◇ ◇




 黒之が、後から知ったことだが、彼の就職した住宅メーカーは、曰く付き物件を抱えていた。条件は良いのだが、価格を下げても興味を示すものは現れなかった。曰くが曰くを呼び、買い手がつかないまま、ただ草臥くたびれていくだけの物件。


 ――そこで住宅メーカーは、悪いイメージを払拭し、何とか買い手、借り手を見付けようと、大掛かりなリフォームに踏み切った。


 そして、ようやく内見の予約が入ったのだ。




     ◇ ◇ ◇




「こちらが、本日ご紹介させていただきます物件となります」


 内見は、予定通り始まった。久々の歓迎すべき来客のため、事前に開け放たれた扉。


 その脇に立つ真新しいスーツを着込んだ青年が、地方からやって来たばかりの赤いパーカーの男を案内する。


「あぁ、玄関脇にインナーガレージまで! これなら自家用車も持ってこられますね」


 声を弾ませる男は、都会の駐車場代は家賃と変わらないくらい高価だ――と聞いていた。だから、引っ越すにあたり趣味の車を諦めようかと悩んでいたところ、この物件を知ったのだった。


「以前の家主様も、お車をお持ちでしたから。中とリモコンで開閉が出来ますよ」


 築30年だというこの建物は、外観こそ多少の劣化が見られるが、室内は新築同様にリフォームされており、玄関を上がった男は声を弾ませる。


「素敵な家ですね! これで賃借料が、あの価格なんですか!」


「えぇ、そうなんです。内装は全面リフォームしましたので、新築同様です」


「けど、あの価格ですよね? 何かあるんじゃないんですか?」


「そうですね、なかなか買い手がつかなかった原因の一つが、この間取りでしょうか」


 特にこの辺りとかですね、とスーツの青年が玄関のすぐ傍の折れ戸を示す。にこりと微笑む青年が、開ける気は無いらしい。何を勿体ぶってと思いつつも、好奇心に駆られた男が手を掛けると、折れ戸は待ち構えていたようにパカリと開いた。


 すると1畳にも満たない狭い空間が現れ、突き当りに開き戸、左手にもう一つ折れ戸が現れた。


「ここ、玄関横だっていうのに、脱衣所もない風呂場だったんですよ。タイル張りの風呂だった場所を、リフォームでユニットバスと脱衣所に分けましたので、ご覧の通り少々窮屈な間取りにはなってしまったんですが」


「確かに。風呂場の前は玄関ですからね。毎日の入浴がスリリングすぎる」


 苦笑するスーツの青年に、男も釣られて笑う。


「以前は、あの奥の扉も風呂場直通だったんですよ。インナーガレージから直接風呂場に……といった寸法で」


「なんとまぁ」


 ポカンと口を開けた男だ。以前の家主は一体何を考えて、こんな破廉恥な造りにしたんだろうと、色々考えを巡らせるが、まったくもって見当はつかない。


「とは言え、アウトドアの好きな方にはお薦めの物件ですよ。山や海での汚れを部屋に持ち込むことなく、こうして入り口ですっかり落として入ることが出来るんですから。色々な道具も、車から風呂場へさっと持ち込んで洗うことが出来ますしね」


「なるほど! いやー、そこまでアウトドアに特化した家だったんですね。けど確かに、毎日入る風呂がこれだと悩んでしまうかもしれませんね」


 はっはと大仰に笑ってみせた男は、けれどすぐに表情を消し、どこか探る視線を青年に向ける。青年とて、男の言おうとしていることが分かってはいるのだが、既にあの・・事件から5年の歳月が経っている。しかも今回は、こうなることを見越しての賃借契約での取引だ。双方が押し黙って相手が口を開くのを待つ。


 沈黙に焦れて、先に口を開いたのは男の方だった。ぐっと唇を引き結んで唾を飲み込み、微妙な笑顔を作りながら口を開く。


「そうそう。この家って……アレ、なんだってね。俺も地方から出て来たばっかで良く知らなかったんだけど、何年も前に、事件があった――とか? って」


 3年過ぎた賃借物件には、過去に起こった死にまつわる出来事を明示する義務は無い。だから男は、緊張しながら、慎重に、言葉を選んで尋ねたのだが、意外にも青年は、落ち着き払った様子で静かに首肯した。


「確かに。この物件には過去何度かに渉って、殺害が行われた――とされる噂がありましたね。けれど家からは、何の証拠も出なかったそうですよ」


「えっ!? けどそれって、証拠が出てこなかったってだけで、ここで何も起こってないって事にはならないですよね?」


 男が気色ばんで食って掛かるが、青年はさらに落ち着き払って話しを続ける。


「証拠が無ければ、どうにもなりません。ただ、この家の持ち主だった男の自家用車、そこから被害者の血液や毛髪などの証拠品が見付かり、彼は刑に服しているはずです。まだ裁判中の様ですが、被害に遭った人数の多さや、死体遺棄が確定している以上、ここへ戻って来ることは無いでしょう」


 落ち着きはらった青年の物言いは、とてもではないが冗談を言っている風でもない。それが決定打となり、噂を聞きつつも好条件すぎる賃借物件に心惹かれていた客は、ついにそそくさと建物から逃げ出すことになった。




     ◇ ◇ ◇




 スーツ姿の黒之が、腕時計に何度も視線を落としながら急ぐ。


 ようやく目的地。待ち合わせ時間から大分過ぎてしまったが、内見客はまだ居てくれるだろうかと気が気ではない。時間よ止まれの念を込めて、視線は何度も腕時計へと向かう。


「ぅわ! と」


 黒之は叫びながらも体を捻り、戸口から飛び出してきた赤いパーカーの男を避けながらたたらを踏む。


 注意散漫だったせいで、どんな状態なのかは良くわからないが、衝撃が無かったからぶつかりはしなかったのだろう。改めて飛び出してきた相手を見れば、以前来店時に内見の予約を入れた男だった。


(良かった、お客様に遅刻した上に体当たりをする――なんて、二重の失態をせずに済んで)


 そう考えて、黒之は小さく安堵のため息を吐く。


「いや、ここは遠慮させていただきます!」


 急に建物の中に向かって大声で喚き、慌てて立ち去る客の顔は真っ青だ。


 自分の到着前に、待ち兼ねて先に入ってしまったのだろうか。それとも、自分の遅刻が彼を怒らせてしまったのだろうか――黒之は、嫌な予感に焦りつつ、大声で男を呼び止める。


「お客さま! お待ちくださいっ!!」


 何度も呼び掛けるが、微かな反応も示してもらえない。相当憤慨させてしまったのか、内見客の赤いフードの男は、最後まで黒之に一瞥いちべつもくれずに去ってしまった。





「あぁ~……。試用期間も最後の最後になんて失態だよぉ。はぁ、日報にはなんて書けば良いんだぁ……」


 黒之は、頭を抱えつつ内見予定だった家を見遣る。


(そういえば、何で扉が開いているんだ?)


 家の鍵は、住宅メーカーでしっかり保管しているため、彼らセールスマンが来なければ開けられることはない。だが、玄関扉は大きく開かれている。先程、内見客が飛び出してきたから当たり前と言ったらそうなのだが。


 だが、そもそも開けてもいない家の中に、どうして先に客が入っているのか? その説明が付かない。


(まさか! 俺が遅れたから、鍵を壊して中に入ったとか!? 勘弁してくれよーー!)


 慌てて確認しようと玄関に入れば、一段上がった玄関ホールに、自分と同じ様な真新しいスーツに身を包んだ青年が立っていた。


 一瞬、会社が自分の代わりの営業員を送ってくれたのかと考えたが、すぐにそれは違うと気付いた。


「だれだ? あんたは」


 向ける言葉は警戒心も顕わなものだ。


 それもそのはず。黒之以外、あの住宅メーカーに若い社員はいない。滅多に出社しない社長の他、古参の社員が一人――それも、免許を持たないだとか、年だから遠くへは行けないとかなんとか理屈をこねて、ほとんど事務所から動かないような老齢に差し掛かった男だ。あとは、3か月前に自分と入れ替わりで退職した先輩が若かったが、目の前の青年は彼ではない。


「お言葉だな。君の代わりに接客をしてやったって言うのに。まあ、次の客は君が相手をすることになるんだけどね」


「は?」


「僕はもう逝くよ。何年も離れられなかったけど、ようやくここがリフォームされたお陰で人が通うようになってくれた。これだけ綺麗ならすぐに次の奴が来るさ」


 黒之の理解を置いてきぼりに、ひとりつらつらと話す青年はどこか晴れやかな表情だ。


「じゃあな」


 急ぎ言い切った途端に、青年の持つ色彩全てが薄くなり、透明になって行く。


(幽霊!?)


 目の前の青年の笑顔には不釣り合いな呼称だが、そうとしか思えない。ふいに、家の中が暗くなり、黒之の背後で玄関扉がバタンと閉まった。


「待てよ!どういうことだ!?」


 青年に呼びかけるが、彼はただ解放された喜びを満面に浮かべて消え去って行く―――




     ◇ ◇ ◇




 この家では、過去数回にわたって、訪問販売員を狙う連続殺人事件が起こっていた。


 家主であった男は、ふらりと引き寄せられるようにやって来た訪問販売員を言葉巧みに家の中へ引き込み、殺害しては近郊の山へ。


 玄関を上がってすぐ風呂場があり、そこから直接ガレージにも繋がる間取り。それは、痕跡を洗い流しやすい風呂場で事件を起こし、誰の眼にも止められずにインナーガレージから隠蔽へ向かうに都合の良い構造だった。


 そうやって幾つもの事件は起こされていたらしい。


 ただいつからか、元家主が拘留されてからもこの家で消息を絶つ者が出始めた。希望を持った駆け出し社員が就く仕事――訪問販売員や、この家を取り扱う販売業者に被害者が出ていたようだが、何故か何の証拠もなく、ただ不穏な噂ばかりがひっそりと囁かれるだけだった。




     ◇ ◇ ◇




『続いてのニュースです。今日午後○時○分ごろ、国道○号線の○○交差点で、乗用車が交差点脇の電柱に衝突し、運転する会社員、黒之〇〇さんが死亡する事故がありました―――』

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奇妙な間取りの家で、青年は晴れやかに微笑む【KAC20242】 弥生ちえ @YayoiChie

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