第48話 夕七つ なぐりこみ

辰次は家を飛び出して、まっすぐに叔父おじ虚弥蔵こみぞうの賭場へ行った。

最初、虚弥蔵こみぞうは辰次を歓迎しなかった。


「辰次、これは危険な喧嘩になるぞ。命、捨てることになるかもしれねえ。おまえみたいな若いのが、そんなことはもったいねえぞ」


虚弥蔵こみぞう義兄あに義姉あねがこの養子を大切にしていることを知っている。

だからか、この男にはめずらしく辰次をさとしにかかった。

けれど辰次の意思は固かった。


「俺の命なんざ、とっくの昔に捨てらてれたも同然なんだ。それを親父に拾われた。親父への恩と筋を通すため、俺は親父と縁切ってでも叔父貴たちと一緒に行く!それに、このまま武士どもめられっぱなしで黙って何もしねェなんざ、死んだ方がマシだ!」


虚弥蔵こみぞうは辰次の覚悟を汲みとった。

辰次へと虚弥蔵こみぞうが刀をわたした。


「使い方はわかるな?斬りつけるんじゃねえ。ブッ刺してひねるんだ。それで確実に相手をれる」


刀がひどく重い、と辰次は感じた。

虚弥蔵は集まった六人の男たちの顔をぐるりと見た。


「覚悟はいいな、野郎ども!武士なんぞ度胸も気概きがいもねぇただのクソッタレどもだ!身分にふんぞりかえって威張ってるだけのクズどもに、刀の使い方と本当の男の喧嘩ってやつをみせつけにいくぞ!」


夕七つすぎ(およそ午後4時すぎ)、日は落ち始めて、あたりはうっすらと暗くなっている。

あかりがない農村地域を辰次たちは歩いてゆく。


「いちおう、待ち伏せに気をつけろよ。ヤツらとの待ち合わせ場所は、この先の亀戸かめいど村にある家だ」


虚弥蔵が目的地を明かし、辰次は自分が数日前に同じ道を歩いたことにようやく気づいた。

武士の賭場荒らしたちとの待ち合わせ場所につくと、辰次はさらにおどろいた。

そこは、朱鷺といっしょに訪れた神崎政輔の家だった。

見覚えのある茅葺かやぶき屋根の一軒家の表に男がひとり立っている。


「一色親分さんの子分さん方ですね?」


色白で顔がのっぺりとした男だった。

ゆったりとした口調で、言葉の端々になまりのようなものがあった。


神崎かんざきと申します」


辰次は男を凝視しながら、きっとこの男があの『神崎政輔』だとおもっていた。

神崎は武士というよりも腰がひくい商人という印象で、愛想笑いを浮かべてこちらへ頭をさげている。


「私は、このたび龍野たつの藩士はんしのみなさまより頼まれ、仲裁人として参加いたします。よろしくお願いいたします」


虚弥蔵が神崎をにらみつけた。


「仲裁?んなもん必要ねえ。こっちはてめぇみたいなヒョロい大根に用はねェんだ。それともヤツらは俺たちにビビって、てめぇだけをよこしたのか?」

「まあまあ、そう喧嘩腰にならずとも。とりあえずなかへ入って、お酒でもお飲みになって下さい」

「酒だと?」

「はい。龍野藩士の方々が、みなさんのためにと用意して中で待っております。さあどうぞ」


予想外のもてなしに、博徒たちは戸惑いながら神崎の案内について行った。

なかの座敷では武士五人が酒を飲んでいた。

どの男も辰次は見覚えがある。

虚弥蔵の賭場にきた赤松、辰次がご利益札を取りあげた飯尾、そして残り四人は小料理店いすみ屋で暴れていた武士であった。


「これは、これは虚弥蔵親分」


赤松がうすい笑みを浮かべ、盃を虚弥蔵たちへとむけた。


「待っていたぞ。まずは一杯、どうだ?」


眉をひそめて怪しむ虚弥蔵と博徒たちに、赤松は腕を広げた。


「我らはここに争いに来たのではない。ほらみな、丸腰であろう?」


赤松のいうように、武士たちは誰ひとりとして刀を持っていなかった。


「ふん、どっかに隠し持ってんじゃねえのか?それかその酒に毒でも盛ってるんじゃねえのか?」


そういった虚弥蔵の前で赤松は酒をあおった。

うまい、と一言もらす赤松。


「この酒は我が龍野藩からのくだりもの、上方かみがたの酒でも一番といわれるなだの酒だ。江戸では貴重なこの酒に毒などいれぬさ。なァ?お前たち」


赤松に呼応するように、他の武士たちも頷きながら酒を飲み干した。

辰次は妙だとおもった。

武士たちの異様な落ちつきもそうだが、部屋全体が異常に酒臭かった。

まるで酒びんを何十本もひっくり返したかのような酒ぐささだ。


(コイツらそんなに飲んでたのか?)


辰次がみたところ、武士たちの面は正気で、酒に酔っ払っているには見えなかった。

神崎が出てきた。

彼は愛想笑いをふりまきながら、仲裁人としての仕事をし始めた。


「皆さんおそろいになりましたところで、さっそく本日の本題にはいりましょう。まず、状況の整理をさせていただきます。龍野藩士の方々が、一色親分さんの賭場で博奕遊びをしたところ、運よく勝ちが続いた。これを子分の皆さんは、イカサマだと疑って、争っているというところでよろしかったですか?」

「疑いじゃねえ!絶対にイカサマだ!」


拳を叩きつけ、憤慨する虚弥蔵。

神崎はまあまあとなだめるように両手をあげた。


「落ち着いてください。そちらに多大な損失があり、お怒りになっていること、よくよくわかりました。そこで、龍野藩士の方々からご提案があります」

「提案だと?」

「はい。ひとつ条件を提示するので、これを承知していただければ、今後いっさい一色親分さんの縄張りへ近づかないとお約束するそうです。いかがでしょうか?」

「……なんだ、その条件とやらは?」

「飯尾さんが失くしたお守り札を返していただくことです」


虚をつかれたように虚弥蔵は眉をあげた。


「はァ?なんだそれは?」

「一色親分さんの息子さんが、飯尾さんからとった木のふだのことです」


部屋中の視線が辰次に集まった。

辰次は腕を組んでしかめ面をしている。


「知らねえよ、んなもん」


しらを切る辰次だが、ふところには『札』がある。

神崎が困ったように眉をさげた。


「嘘はいけませんよ?」

「知らねぇもんは、知らねぇよ」

「でも、飯尾さんはたしかにあなたに取られたといっております」

「しつけーな。知らないっつってんだろ」

「そうですか……では、神様に聞いてみましょう」


何をいってやがる、と博徒たち全員はおもった。

神崎がチラリと上へ視線をむけた。


「ひいっ!」


突如、博徒のひとりが悲鳴をあげた。

なんだ?とばかりに博徒たち全員が彼の指さす方向、上をみあげて凍りついた。

そこには白い大蛇がいた。

吹きぬけの天井で、太いはりのひとつに巨体をまきつけ、赤い両眼で博徒たちを見下ろしている。


「神崎」


白い大蛇が老いた男のような声でしゃべった。


「貴様のいうように、その小僧は嘘をついている」


大蛇は体を伸ばし、頭を辰次へと近づける。

よりいっそう強くなった酒の匂いに辰次はめまいがしそうだった。


ふところにワシの札が一枚あるのが、みえているぞ」


辰次は確信した。

この大蛇こそ朱鷺が追っている神使の蛇であり、酒臭さけぐささの原因であると。

だが、辰次は想像を超えた大きさの神使の姿に驚愕して動けなかった。

そんな辰次を守るかのように、叔父虚弥蔵が動いた。


「このバケモノ蛇があッ!」


大蛇へと斬りかかった虚弥蔵。

が、刀は大蛇の皮膚にはじかれて折れた。

大蛇の体は異常な硬さだった。


「馬鹿め。人間が作った刀なぞで、ワシが斬れるわけなかろう」


大蛇が嘲笑あざわらい、ギラリと光る赤い両眼で恐怖する博徒たちをみすえる。


おろかで弱い人間ども。ワシのことなど夢だったとおもえ。貴様らは酒を飲みすぎた。呑気に寝てるがいい」


とつぜん博徒たち全員、気を失なったように倒れた。


「小僧、まだ意識があるようだな」


大蛇が辰次をにらんでいた。

辰次は倒れかかる体を両腕でささえ、ひどいめまいと気分の悪さになんとか耐えている状態である。


「神崎。はよう、その小僧から札をとりあげい。札のせいで、ワシの目の効きが悪い」

「蛇神様、ここは私にお任せを」


そういって出てきたのは、飯尾だった。

飯尾はニヤリとした嫌な笑みを浮かべて、辰次の胸ぐらをつかみあげた。


「まさかお前の方からくるとはな。叔父を脅しておまえをさそい出す面倒がなくなった。ツキ札なしでも俺はツイているらしい。もしくは、お前の運が悪いのかもしれんなァ?」


飯尾が力まかせに辰次を殴り始めた。

辰次が倒れこむと、その身体からだを足でった。

飯尾の暴力に辰次は無抵抗だった。

大蛇ににらまれてから辰次の体はいうことがきかず、ただ痛みに耐えるしかなかった。

しかし、先ほどから続く気分の悪さには耐えられずに吐いた。


「きたねぇガキだな。よそ様のうちをよごすとは、よほど親のしつけがなってないとみえる」


転がり苦しむ辰次を武士たちがせせら笑った。


「やっぱり持ってるじゃないか」


飯尾が辰次の懐をさぐって札をとった。


「人のものをとるわ、嘘をつくわ、ほんとうにタチの悪いガキだ。おまえのようなガキを悪童というんだろうな。まあそんな悪童も、牢屋敷にぶち込まれれば、ただの大人しいガキになるだろう」


辰次は遠ざかる意識のなかで、遠くの方からピーッと呼び笛がなるのを聞いた。


(クソ、クソ、クソッ!やっぱりはめられた!)


大勢の人間が入ってきた、そう感じたのを最後に辰次の意識は落ちた。

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