第47話 親子 三

庭で朱鷺とは、たくあん用の大根を干していた。


「辰次ィ!いまの言葉は何だ!?てめェ、そんなふうに思ってたのか!?」


一色親分の怒鳴り声が響き、二人は手をとめた。

庭に面した廊下ろうかから辰次があらわれた。

辰次は後ろにむかって返すように怒鳴った。


「ああ、そうだよ!アンタは侠客さまだからな!正直に言えよ!死にかけで行き場のないクソガキをあわれんで、仕方なく引き取ったんだろ!?ついでに子供いなくて可哀想かわいそうな母さんのためにちょうどいいともおもったんだ。どうせ俺は、そこらへんでクソをらしてる野良の犬猫と同じだよ!」


怒りをあらわにした一色親分が出てきて、辰次の胸ぐらにつかみかかった。


「いま、なんっつった!?」


辰次も憤りの色をみせ、一色親分をにらみ返す。


「金貸してふみ倒された相手の子供なんぞ、憎たらしい以外のなんでもねぇッつったっんだよ!そんなガキを養子にして、母さんなぐめて機嫌とって、馬っ鹿じゃねーの!?」

「この……っ!」


一色親分は辰次を殴りつけようと拳をふりあげた。

だがそこで、自分たちをみている人間に気づいた。


「おまき……」


女房の顔を目にした一色親分は拳をふりあげたまま呆然ぼうぜんとなった。

まきはほほえみながら、うっすらと目に涙をにじませていた。

彼女は辰次へやわらかい眼差まなざしをむけた。


「辰次」


まきのひどく優しい声が辰次を呼んだ。


「お腹、すいた?お餅でも焼いてあげようか?醤油に砂糖つけて、海苔を巻いて。アンタ、好きでしょ?」


養母ははの顔をみて、辰次は呆然としたように固まっていた。


「……かあ」


辰次は『母』を呼びかけて、口をつぐんだ。

この人を母と呼ぶ資格は自分にない。

そうおもって、辰次は彼女から顔をそむけると、逃げるように玄関の方へと向かった。


「辰次、どこに行くの!?」


まきは『息子』を呼び止めようとする。

一色親分が最後の怒鳴り声をあげる。


「辰次!虚弥蔵について行くなら死んでも世話みねえぞ!それでも行くのか!?」

「おまえさま!?死ぬなんて、どういうことですか!?」


門の扉が乱暴に閉まる音がした。

それが辰次の一色親分へ対する返答だった。

まきが駆け出す。


「待って、辰次!」


辰次を追いかけて出ていくまき。

一色親分は無言で彼女を見送ると、ひどく疲れたように重い腰を縁側におろした。


「親分さん」


朱鷺が大根をもって、一色親分の前に立っている。

一色親分はようやく盲目めくら娘の存在に気づいた。


「……おトキちゃんか」

「あの、何があったのですか?それに、辰次さんのお話はいったい……?」


一色親分は長いため息をもらした。


「……昔、賭場の常連客である男に金を貸したんだ」


一色親分は昔話をしはじめた。


「飲んだくれのしょうもない男でな。やっぱり金をなかなか返せず、利子もふくめて百両もの借金になった。とうぜん俺は子分ども引き連れて、金を取り立てに野郎が住んでる長屋へ押しかけていった」


その日を思い出すように、遠い空をみる一色親分。


「部屋は荒れ果てて、男はいなかった。かわりに、部屋のすみでぐったりとしる小汚いガキが一匹いたんだ。ガリガリでえて、虫の息のようなガキだった。その今にも死にそうなガキに、母ちゃんはどうしたと聞けば、死んだと答え、父ちゃんはと聞けば、いなくなったと答えた。そこで俺はこういった。俺は博徒ばくとで金貸しだ。てめえの父ちゃんが俺から借りてる金を返しにもらいにきたってな。俺は父親の居場所を聞こうとしたんだ。けど、ガキはどう勘違いしたのか、俺にむかってこう言いやがった」


一色親分の記憶の中にいる、小さな薄汚れた子供が恐ろしいにらみをきかしている。


「金ならねえよ。それでも欲しいなら、俺の命をもってけ。でも、ただじゃやらねぇぞ。そういって、包丁を手にして怖いくらいに鋭くにらんできた。ありゃあビビったね、なんて馬鹿なガキだと」


一色親分は軽くふっ、と鼻で笑った。


「博徒に啖呵たんかをきるなんざ、あの状況で普通はしねえよ。でもガキの度胸には感心した。それに、そのガキの目つきの悪さを気にいっちまった。だから、そのガキを俺の息子として育てることに決めたんだ」

「それが辰次さん?」

「ああ。子分どもには散々とめられたよ。正気かって。金の回収しにいったのに、金は取り戻せず、反対に金のかかる子供を拾ってきたんだ。そりゃあ他人からみたらただの阿呆あほうだわな。でもな、俺はこうおもった。俺は運がいい、たったの百両でいいもんを拾いあてたってな」

「いいもん?辰次さんが、そのいいもんですか?」

「オウ。おトキちゃんは見えねえからわからねえだろうが、辰次のにらみってのは凄くてなァ。ガキの頃から大人でさえも黙らせちまう凄みがあんだよ。アイツは眉間のしわをただ深くさせるだけじゃねえ。あのしわに、アイツ自身の意地をこめるんだ」

「意地?」

「相手が大人だろうと格上だろうと、絶対に負けない、くっしないという意地だ。この全てが、辰次のにらみにすべてつまってんだ」


朱鷺はまぶたの裏でぼんやりと辰次の姿を思い出す。

だが、当然のように顔の部分はかすんでいる。

いままで人間の顔など気にしなかった朱鷺。

でも、この瞬間、辰次という男の顔がどうしてもみたくなってきていた。


(どんな顔のひとなんだろう?)


一色親分は続ける。


「人がみれば悪い目つきというが、俺からみれば大物の証さ。だから、盃交わす親分子分じゃなく、養子に、本当の息子にしたんだ。俺の残りの人生と金、すべてをアイツに、辰次にぜんぶける。これが一色忠次、人生最後の大博奕よ」


朱鷺が小首をかしげた。


「辰次さんに賭けたとは、どんな賭けですか?」


一色親分は、カラリとした晴れわたる空のような清々しい笑みを浮かべた。


「アイツはきっと俺よりもデカい男になる。なんてったってアイツは俺よりも侠客きょうかくの心をもっている男だからな」

「きょうかくの、心?」


一色親分は胸をはって誇るように侠客の心を朱鷺へく。


「侠客の心とは、仁義じんぎだ」

「じんぎ?」


朱鷺の頭に浮かんだのは神さまを意味する『神祇じんぎ』であった。

だが、一色親分は彼女の知らない人の世の『仁義じんぎ』を口にする。


じんとは、人としての優しさと思いやり。そして、とは人としての正しい行いのこと。この仁と義を信条にし、侠客は己の利益など考えず、ひたすら誰かのために動く」


この仁義が辰次にあると、一色親分は朱鷺へ教えた。


「辰次は自分で喧嘩をするのにという掟を作ってるんだ」

おきて?」

「アイツが喧嘩をする基準だ。喧嘩相手は必ず強そうなヤツ、もしくは卑怯ひきょうなヤツだと決めてるらしい。いじめっ子とかだな。でもアイツのおかしいとこは、もうひとつの、いじめられてるヤツの方にも喧嘩売るってとこだ。黙っていじめられてんじゃねえよ、バカってな」


朱鷺は男谷道場での出来事を思い出していた。

辰次は朱鷺の陰口をたたいた武家の子息二人と喧嘩をし、朱鷺の方には悪態あくたいをついた。


「でも、やり返すならつき合ってやる」


一色親分の言葉が、朱鷺の頭の中で辰次の声として重なる。


「辰次は、人としての正しい優しさを持ってる。イジメられてる方の心を奮い立たせて、二度とイジメられるような人間になんかなるなと、無意識に伝えてるんだよ」


それでも朱鷺は、辰次という人間を、侠客を理解できなかった。


「……わからないです。わたしには、その侠客という人間の心が、とても矛盾しているようにおもえます」

「おトキちゃん。人間の心はいつだって矛盾だらけで、とても複雑でわかりづらい。まさにいま俺の心がそうだ。勝手に出てった子分と馬鹿な息子に、ついさっきまで本気で怒ってた。どうにでもなりやがれ、てめえらなんか死んでも知らねえぞってな。だけど今はもう違う。このまま可愛い子分どもと息子を放ってはおけない。どんなことになっても助けてやらねえといけない」


一色親分が腰をあげた。


「そうすべきだ、そうしたいと俺の心は強く言っている」


目に強い光と意志を取り戻した一色親分は、残った子分たちと話し合うために家の中へ戻っていった。

朱鷺は庭にひとり残された。


(わたしはどうするべき?)


神祇官じんぎかんとしての使命を考えれば、朱鷺はいますぐにでも神使の蛇がいるという大名脇坂の屋敷へ行くべきだった。

彼女は大根を抱きしめながら、胸に手をおいた。


(わたしの心はどこ?)


自分の心へ問いかける朱鷺。


(聞こえない?なにか、言って?)


朱鷺は庭にはりついたように動けなかった。

まるで彼女の心がそうすることを望んでいるように、体が、足が、その場から離れることを拒否していた。

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