第25話 困ったときはお互いさま

鹿之介は辰次たちについてきた。


「おまえン家にっつうか、一色親分に頼みがあるンだよ」

「親父なら今、家にいねーけど」


一色親分は子分たちが開く花会へ行ってて、二、三日戻らない。

そこのことを辰次が伝えると、鹿之介は困ったようすになった。


「そりゃあ、まいったなぁ」

「頼み事って、急用だったのか?」

「そうなんだよなぁ、どうすっかなぁ。でももう、ここまで来ちまったしなぁ」


辰次たちはすでに家の門の前にいる。

鹿之介は腕を組んで悩みながら、さっと門をくぐった。


「ま、とりあえず。お茶でもご馳走ちそうになって考えるとするか」


図々しく勝手にあがり込んでいった幼馴染に辰次は文句をつぶやいた。


「ったく。お邪魔しますくらい言えや」


辰次はめくら娘の帯を引っ張り、鹿之介のあとを追った。

玄関にはあがらず、庭をよこぎる。

朱鷺は足に段差があたり、立ち止まった。


「あの、き物はどちらで脱げば……?」

「そのままでいい。なか、土間になってっから」


土間とは板も畳もはられていない、地べたがき出しの場所である。

辰次はめくら娘を建物のなかへ引き入れる。


「ここ、うちの台所」


一色家の台所は半分土間で半分座敷の広い空間であった。

土間部分の調理場では、と近所の女房たちがおしゃべりをしながら料理をしている。


「こっち座れ」


辰次に導かれるまま、朱鷺は座敷部分に腰かけた。

座敷の奥で数人の男たちが飯を食っている。

彼らは辰次に気づくと挨拶をした。


「こりゃ親分の坊ちゃん。お邪魔してやす!」


多くの人間でざわざわとする台所。

それは、朱鷺にとって不思議なことだったようだ。


「ふつう、台所とはこんなに賑やかなものなのですか?」


辰次はめくら娘のとなりに腰をおろした。


「いいや、ウチが特別。ここ、近所の溜まり場みたいになってんだ」

「溜まり場?」

「親父が世話好きだからな。子分たちはもちろんだけど、金なくて困ってるような人間までここに飯食いにくるんだよ。おかげでうちは年中よそもんだらけだ」

「いつも見ず知らずの人間のお世話をしているということですか?それは、大変ではありませんか?」


食事の用意の手間や費用の負担をする一色家のことをめくら娘は考えていた。

だが、それほどでもないと辰次は答えた。


「飯作る母さん手伝いに、近所のおばちゃんたちがいつもくるし。あと、米は毎月たくさん、いらねえくらい貰ってるからな」

「お米を無料で?」


この時代、米の価格は変動的であるため、米はかねよりも価値が高い。


「どうしてですか?」


なぜ高価で貴重な米が一色家に大量に毎月入ってくるのか。


「親父が昔やった、義侠ぎきょうってやつのおかげだよ」


辰次はさもつまらなそうな顔で、飽きるほど聞いた『一色親分の遊侠ゆうきょう義侠ぎきょうでん』を語り出した。


「20年くらい昔の話だ。ここら浅草周辺で、強盗殺人の集団が現れた。大きな店に押し入って殺しまでする凶悪なヤツらで、役人どもも手を焼いて、なかなか捕まえられなかったって。その殺人強盗集団をやっつけて捕まえたのが、ウチの親父だった。浅草中の人間が泣いて喜んで大感謝。それから親父は侠客って呼ばれるようになったんだと。ついでに、親殺されて孤児こじになったガキども引き取って面倒もみた。そのなかに、浅草でも一番デカかった米問屋の息子がいたんだけど、そいつが立派に独り立ちして、店を継げるようにしてやった。だからー」

「だから」


急に入り込んだ声に言葉を取られ、語りを止める辰次。

目の前を見れば、細身の男がほほえんで立っていた。


「私にとって一色親分は、大恩人であり親同然。親父には親父には一生、米で困らせない。それが私の親孝行であり、恩返しなんだよ」


男の着る羽織には『米』の文字が染めぬかれている。

辰次は崩していた姿勢をおもわず正した。


くめの兄貴、きてたのかよ」

「親父がしばらく留守にするって聞いたから、おマキ母さんのようすをみにね。そしたら、ずいぶんと懐かしい話をしてるじゃないか」


この男こそ、辰次が話していた『米問屋の息子』であり、毎月一色家へ大量の米を提供する米問屋の主人くめ三郎さぶろうであった。

粂三郎は柔らかな笑みを辰次のとなりへ向けた。


「こちらのめくらのお嬢さんが、おマキ母さんがいっていた、おトキさんだね?京からひとりではるばると江戸へきて、いなくなったお兄さんを探しているとは……さぞ、心細い思いをされているでしょう」


粂三郎は片膝をついてめくら娘の顔をみあげた。

彼はご丁寧に、盲目相手に目線を合わせているつもりらしい。


「きっと親父がお兄さんを見つけてくれますから。もし、ここで何か不便があれば私にいって下さい。おトキさんが不自由なく過ごせるよう、この粂三郎がなんでもご用意いたします」


粂三郎の申し出に、めくら娘は戸惑った。


「あの、ありがとうございます。でも、どうして初対面であるわたしに、そこまでお気遣いを……?」

「身内に会えない寂しさや辛さというのは、とてもよくわかりますからね。それに、困ったときはお互いさまですよ」


粂三郎はめくら娘へ優しい笑みをむけたあと、立ち上がって辰次をみた。


「ところで、お前。昨日はついに浪人と喧嘩したんだって?」


とたんに、辰次は苦い顔をした。


「悪童が刀持ってる侍とケンカしたって、浅草の町中で噂になってるよ。侍に喧嘩売るバカは、この世でお前だけだろうねえ」

「うるっせぇなぁ……」

「その顔じゃあ、親父にもうちゃんと叱られたな?」


小さな笑いをこぼし、粂三郎は辰次の肩を軽く叩いた。


「ま、喧嘩はいいけど、相手は選べよ。じゃあな」


手をひらりとあげ、粂三郎は去っていった。

そこへ、消えていた鹿之介がふたたび現れた。

彼の手にはお茶と菓子皿がのったお盆がある。


「粂三郎さんもわかってねぇなぁ。どんな相手でも狂ったように喧嘩するバカが辰次なんだって。なぁ?」

「なぁ?じゃねーよ。本人目の前にして、思いっきり悪口はいてんじゃねぇよ」

「悪口じゃねぇよ、ほんとのことだ」

「上等だ。今すぐ、てめェと喧嘩したらァ」


凄んでにらみあげてくる辰次に鹿之介はびくともしなかった。

むしろ鹿之介は微笑みながら、手にしているお盆にのった湯呑みを辰次へとよこした。


「まぁまぁ、この茶でも飲んで落ち着けって。はい、こっちはおトキちゃんの分」


鹿之介はめくら娘へお茶をわたし、そのまま彼女のとなりに腰かけた。


桜餅さくらもちもあったから持ってきたんだけど、おトキちゃん食べる?」

「さくら、もち?」

「知らない?桜餅は浅草発祥の江戸名物さ」

「餅菓子ですか?」

「そうだよ。餡子あんこいりのお餅を塩漬けされた桜の葉っぱでくるんでるんだ」

「桜の葉を塩漬けに?葉っぱごと食べるということですか?」

「うん、塩気と餡子の甘みが絶妙にあわさって美味しいんだよ。毎年、桜のこの時期にしかない特別な食べ物でね。桜餅片手に花見する。桜を目で見て、食べて、ついでに匂いも楽しんで。桜でいっぱいってね。これが江戸の春の定番だ」

「桜でいっぱい……あの、その桜餅を食べてもいいですか?」

「もちろん。はい、どうぞ」


手渡された桜餅を朱鷺は両手で受け取り、ちいさなひとくちを頬張った。

彼女は時間をかけて桜餅を味わい、ごくんと飲み込んだ。


「……おいしい」

「気に入った?」

「はい」

「よかった。まだまだあるからね。欲しかったらいってよ」


もぐもぐと桜餅を食べるめくら娘を鹿之介が楽しそうにみている。


「女の子が甘いもの食べてる姿はやっぱり可愛いよねえ。お茶、おかわりいる?」


じゃあ、と辰次が湯呑みを出した。


「俺の頼むわ」

「ああ゛?」


鹿之介は不快感をたっぷりと顔に浮かべた。


「野郎のなんぞ知るか。てめェ自身で入れてこい」

「んだとこの野郎」


辰次はカチンときた。

幼馴染たちはめくら娘をはさんでにらみ合いを始めた。


「ここは誰ン家かわかってんか?」

「一色親分の家だろ。このバーカ」

「そうだよ俺の親父の家だよ。ということは、そのお茶も、その桜餅も、俺のもんでもあンだよ、このバーカ。わかったらとっとと俺にもその桜餅をよこせ」

「これはおトキちゃんの分だ。てめェの分はてめェで取ってこい。それとも、その年になって、自分の面倒も見れねーのかよ、このバーカ」


このまま口で喧嘩していても負ける、と辰次はおもった。

ならば、負けが確定する前に話題を変えてしまう作戦に出た。


「つーか、お前なにしにウチに来たんだよ!?親父に頼みあったんだろ!?その親父いねーんだから、帰れよっ!」


鹿之介の態度が変わった。

彼はため息をついて、困ったようすになった。


「そうなんだよなあ。人、ちょっと貸してもらおうと思ったんだけどなあ……」

「人?」

「明日から新しい公演なんだけど、舞台の準備する人間が急に足りなくなってさ」


歌舞伎の裏方仕事をする鹿之介。

公演前日に設置する大道具の準備に人手が足りなくなったらしい。

一色親分のところに人手を借りにくる人間はよくいる。


「子分でも、なんでもいいから、八人。いや、五人でもいいから、貸してくれればなんとか間に合うんだけどな……」


辰次は視線を背後へとむけた。

そこには飯を食っている男たち四人がいる。

彼らは一色親分の子分ではないが、普段から飯を食いに来ている日雇い働きの若者たちだ。


「オイ、オメーら。明日、仕事あるか?ヒマなら歌舞伎座の仕事しねーか?」


辰次と彼らの話はついた。

人手を四人即座に手配してくれた幼馴染に、鹿之介は笑顔で感謝した。


「いやあ、助かった!これで徹夜は回避だ!ほんと、持つべきものは友だよ」


鹿之介は立ち上がって、辰次の両肩に手をのせる。


「公演中も少し手伝ってほしいから、明日は丸一日よろしくな!」

「は?」

「お前を入れて五人」


鹿之介は辰次を手伝わせる気だった。

辰次は両手にのる手を乱暴に払いのけながら立ち上がった。


「オイ、なに勝手に数に入れてんだ!?」

「いいじゃん。どうせお前、ヒマだろ?」

「ヒマじゃねーよ!」


辰次はめくら娘を指さした。

彼女はまだ夢中で桜餅をほおばっている。


「俺は、コイツの面倒みなきゃいけないんだよ!」

「1日くらいお前なんかいなくたって、おトキちゃんは大丈夫だよ。どうせいたとこで、ロクに面倒みれてないんだろうし」

「なんだと!?」

「ね?おトキちゃん、こんな馬鹿いなくたって平気だよね?」


めくら娘がごくりと口の中のものを飲み込んだ。

それはまるでうなずいたようにみえた。


「ほら、大丈夫だって」

「嘘つけッ!コイツ、なんもいってねぇだろ!つーか、コイツはいつまで食ってんだよ!何個目だ、それ!?」


そこから、幼馴染たちはくだらない言い争いを続けた。

だが最終的に辰次が折れて、鹿之介の仕事を手伝うことを渋々と了承した。

鹿之助が帰ったのち、辰次は桜餅を食べよう思った。

が、遅かった。

皿にあった桜餅は、すべてめくら娘が平らげてしまっていた。

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