第18話 男谷道場 四

辰次は試合に勝ったが、高揚感は薄く、どこか冷めていた。


(やっぱりこんなもんか、武家の子息ってのは)


辰次は去年の乱闘でひとつ学んだことがあった。

それは、武家の子息たちは『痛み』に極端なほど弱いということであった。

案の定、辰次の相手である彼らもたった一回の打ち込みを体に受けただけで、しなびたように崩れ落ちた。


「俺みたいな庶民の初心者に負けるなんざ、稽古けいこが足りねえんじゃねーの?ま、剣の稽古よりも前に、人の常識っつうのがテメーらには足りねえみてーだけど」


辰次は木刀を突き立て、腰をかがめて彼らを近くでにらみつける。


「女の見た目をやかましくいう野郎は、もういっぺん母ちゃんの腹の中から出直してこいや」


武家の子息たちは、先ほどの会話が聞かれていたとさとった。

よりいっそう苦々しい表情を浮かべる彼らを辰次は一瞥いちべつし、立ち上がった。

朱鷺の姿が辰次の目に入る。


「おまえ……」


とたんに辰次は眉根をよせた。


「なんでいんだよ。入り口で待ってろっつったろ?」

「辰次さん。今、試合をした相手の方たちは、先ほど入り口で話した方たちですよね?どうして、あの方たちと試合を?」

「……アイツらが気に食わないから喧嘩した。ただそれだけだ」


柏木が気になってきたようで口をはさんだ。


「トキさん、彼らと何かあったのですか?」

「わたしは兄を知らないかとお尋ねしました。そのあと、わたしと辰次さんは、あの方たちがわたしについて話しているのをぐうぜん耳にしまして」

「トキさんのついて?」

「はい。わたしは器量も愛想もなく、嫁の貰い手もないだろうとおしゃっていました」

「何!?」


柏木の様子が一変する。

目つきを鋭くさせ、辰次に負けて地に膝をつく彼らをにらんだ。


「貴様ら、なんてことを……!」


憤る柏木の怒鳴り声が道場に響く。


「馬鹿者め!人の容姿を悪様あしざまにいうなど、おろか者がすることだ!ましてや、目の見えぬ、か弱いご婦人にたいしてなど言語道断!同じ武家の人間として、なんとも情けない。剣士としてはおろか、男として恥を知れッ!今すぐここで、朱鷺さんへ謝罪をせよ!さもなければ、この道場へは二度と入らせん!」


彼らは悔しげな表情をうかべながらも朱鷺へと頭を下げた。

柏木も彼女へと深く頭をさげた。


「トキさん、うちの生徒がまことに申し訳なかった!」


柏木は律儀で真面目な男である。

年頃の女の気持ちというものを心配していた。


「彼らのいったことなど、決してお気になさらぬように。器量や愛想など、そんなもの結婚には関係ありません。人間は中身です。目が見えずとも、年頃であれば嫁の貰い手などすぐに見つかりますよ」


そして、柏木はめくら娘を心配しすぎた。


「そうだ!私がよき相手をご紹介しましょうか?」

「……え?」

「この辰次など、いかがでしょう?」


朱鷺も辰次も予想外の話に理解が追いつかず固まった。

柏木のみが、どんどんと事を進めようと喋っている。


「コイツは真面目とは言いがたいですが、根は悪い男ではありません。それに、親父殿はあの一色親分。ご両親のお人柄はとても良く、資産は十分にあります。嫁ぐには好条件の家だと思いますよ」


めくら娘との結婚の縁組をされそうになっている。

そのことにようやく辰次は気づいて、大慌てで柏木を止めに入った。


「待て!なに、勝手なこといってんだ!」

「ちょうどいいじゃないか。お前、お見合い相手が見つからないんだろ?」


はいそうです、とはまさか言えず、辰次は苦々しい表情をうかべる。


「なんで、知ってんだよ」

「この間、一色親分殿が来てそう言ってたぞ」

「親父の野郎!こんなとこまで来てグチこぼしてんのかよ!」

「それくらい息子が心配だということだ。そんな親父さんを安心させてあげるためにも、この縁談話、私にまかせろ。な?」

「は?まかせる?」

「ああ。実はな、私は、仲人なこうどというのを一度やってみたいと思ってたんだ」

「ふざけんな!てめェが仲人やってみたいなんて理由で俺の人生を決めんじゃねえ!」

「なんだ、朱鷺さんが相手じゃ不服か?」


辰次は一気に言葉が詰まった。

横目でめくら娘をみつつ、辰次の叫びは心の中で続いていた。


(断れるかァ!ここで俺がイヤだとかいったら、たったいま俺が叩きのめしたクソ野郎どもと、俺が同じになっちまうだろうがァ!)


辰次は嫌な汗をかきながら覚悟を決めた。


「……あっちが……嫌じゃなけりゃ……」


柏木は顔を明るくさせ、期待を込めてめくら娘をみる。


「トキさん、辰次はこういっている。どうだろう?」


妙な緊張感が辰次をおそっていた。

彼女に断って欲しいのか、欲しくないのか辰次にはもはやわからない。

ドキドキとしながら、めくら娘の返事をじっと柏木と共に待った。


「……あの」


朱鷺は小首をかしげて、口を開いた。


「もしかして、わたしは辰次さんとの結婚を勧められているのでしょうか?でしたら、その、わたし……許嫁がいます」


固まる男たちへめくら娘は小さく頭を下げる。


「だから、申し訳ありませんが、辰次さんと結婚は無理だと思います」


すいません、と謝るめくら娘に辰次は「ハァァア!?」と素っ頓狂な声を出して怒りだした。


「テメー、さっき嫁の貰い手がないだろうとかいってたのは、なんだったんだよ!?」

「だから、わたしには家が決めた相手がいるのですが」

「ああ゛!?」

「不必要な情報とおもい、話しませんでした」

「話せよ!その重要な情報がないせいで、こっちは無駄な喧嘩をしたあげく、うっかりと人生において重要な選択をしちまっただろうが!」


柏木が慰めるように辰次の肩へ手を置いた。


「残念だったな。なあに、またいい相手が見つかるさ」

「なんで俺がフラれたみたいになってんだ!?」

「若いうちはフラれるのもいい経験だ」

「うるっせーよ!つか、俺は告白もしてなきゃ、フラれてもねぇよ!くそ、やっぱりこんなとこ来るんじゃなかったぜ!」


手にしていた木刀を放りなげ、辰次は捨て台詞を吐く。


「もうこんなボロ道場に用はねェ!男谷先生によろしく言っとけ!じゃあな!」


辰次は肩をいからせ、大股で足を踏み鳴らして道場を出て行った。

しょうがない奴め、となかば笑いながら柏木は辰次を見送った。


「トキさん」


柏木はめくら娘の方を向いた。


「残念ながら、今日きている生徒たちの中で、トキさんのお兄さんを知っている者はいませんでした。けど、本所石原に住む生徒たちはまだまだいます。何かわかればすぐに知らせますよ」

「調べていただけるのですか?」

「ええ、もちろん。聞くことなど簡単ですから」

「ありがとうございます。では、お礼はどのようなものをお望みでしょうか?」

「お礼?そんなもの結構ですよ」


手を横にふり、柏木は笑みを浮かべた。


「困ったときはお互い様です。早くお兄さんが見つかるといいですね」


朱鷺はおどろいたように口をわずかに開いたまま固まった。

彼女は柏木の言葉の意味が理解できなかった。

江戸の人間たちがみせる『親切心』というものに朱鷺はずっと戸惑っていた。


「トキさん?どうかされましたか?」

「……いいえ。これで、失礼いたします」


江戸の人間は理解できない。

そう思いながら、朱鷺は最も理解できないと思っている男の元へと行った。

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