第16話 男谷道場 二

武家風の若者ふたりは竹刀と道着姿で、あきらかに男谷道場の生徒だった。

そのうち一人が辰次の顔をみるなり眉をひそめた。


「なんだお前、また懲りもせずに道場へ来たのか?」


そういった相手の若者を辰次はにらんだが、すぐさま視線を外した。


「相変わらず目つきも態度も悪い奴め」


にらまれた若者は少したじろぎながら、ふんと鼻を鳴らした。

その彼に、もう一人の若者がたずねる。


「なぁ、誰だコイツ?」

「そうか、お前は今年から入ったから知らないよな。コイツは去年まで道場に通ってたヤツで、浅草の博徒の息子だよ」

「はぁ?博徒の息子……?」


若者の顔に強い不快感の色がうかんだ。


「まさか、みんながいってた去年の暮れに喧嘩騒ぎを起こしたヤツか?」

「そう、そいつだよ。先輩五人相手に木刀で喧嘩して全員に怪我させた、浅草の悪童とかいうヤツだ」


若者ふたりは冷たい視線を辰次へとむけていた。


「男谷先生はどうしてそんなのにまで入門を許したんだ?道場の評判に傷がつくような人間は迷惑だとおもうんだがな」

「まったくな。で?今度はまたどんな迷惑かけにここへ来たんだ?」


いつもの辰次ならここで喧嘩腰になるが、珍しいことに彼は大人しい態度で答えた。


「……もう、迷惑かけるつもりはねえ。今日は少し聞きたいことがあってきた。となりの女が、いなくなった兄貴を探してる」


若者たちは初めて辰次の横にいる朱鷺へ目をむけた。


「めくらの娘?」


朱鷺が挨拶するように頭を小さく下げた。


「兄の神崎政輔を探しております。ひと月ほど前から、この近くの長屋に住んでいるらしいのですが、ご存じないでしょうか?」


若者ふたりは互いに顔を見合わせる。


「聞き覚えのない名だな。あるか?」

「いや、俺もないな。その兄とやらは、どこから来た人間だ?お主、出身は?」


京の都です、とめくら娘が答えるとふたりは彼女を凝視した。

まるで彼女を観察するような目つきのふたりに辰次は眉根をよせた。


「オイ。コイツの兄貴に心あたりあるのか?それともないのか?どっちだ」


鋭くたずねる辰次に、若者ふたりは苦笑いをかわしあった。


「いや、ないよ。な?」

「ああ、ないな。それじゃあ、俺たちは稽古があるから」


かれらはさっさと道場のなかへ入っていった。

なんだアイツらは、と悪態をつく辰次にめくら娘が声をかける。


「柏木さまは、まだ道場からお戻りではないですか?」

「そういや、まだだな。ちょっと様子、見てくるか」


道場をのぞこうと、辰次は入り口まで行った。

すると、先ほどの若者ふたりの話す声が聞こえてきた。


「あれが京女かあ。そうなると、京女は美人ばかりというのはウソだな」

「ま、世間の評判なんてそんなもんだろ」

「色白だったけど、顔かたちがなあ。そもそも目が開いてない顔ってのが、ちょっと怖い気がするよな?」

「わかる。愛想笑いのひとつもしないで、なんか暗いし。目のない能面みたいな女だった」

「うまいこと言うな」

「それに、あの身長だ。みたか?」

「ああ、俺たちよりも高かったな。あんな大女おおおんな、初めて見たぞ」

「めくらで器量もなく、愛想もない大女おおおんなか」

「嫁の貰い手に苦労しそうだな」


彼らは笑いまじりに話していたのは朱鷺の容姿に対する悪口だった。

辰次は憤りを感じ、手にする帯を強くにぎった。

この帯の先、すぐうしろには彼女がいる。


(絶対、いまの聞こえてたよな?)


辰次はためらいながらも、おそるおそると後ろを振り返りみた。

朱鷺は小首をかしげていた。


「今の話し声は、先ほどの方たちのでしょうか?」


辰次は動揺しながら、なんとか言葉を探してしぼり出す。


「あ、いや、そのアレだ。えーと……き、気にすんな」

「何をですか?」

「え?いや、それは……その、奴らが言ったこと……」

「……ああ、もしかして」


辰次が言い出せないことを朱鷺がさらりと言った。


「あの方たちがおっしゃっていた、わたしは見た目が悪いという話しですか?」


辰次はうなずくこともできずに黙る。

朱鷺の方は淡々とはなし続けた。


「知ってはいましたが、世間的にわたしは器量なしという女の部類のようですね。しかも役に立たない、目も見えない女です。そのような女、誰も嫁に望まないだろうから、嫁ぎ先に苦労するだろうというのは、至極真っ当なご意見だとおもいます」


朱鷺は悲しむだとか、怒るだとかいう感情の色はいっさいみせなかった。

それが辰次には、彼女がみずから悪口を受け入れ、自虐を繰り返しているというふうにみえ、しゃくにさわった。


「気に入らねぇな」


辰次は眉間にしわをよせ、顔つきをけわしくさせた。


「てめえで、てめえをさげすむようなヤツはみてて腹が立つ」

「え?」

「卑屈な人間ってのは、みてるのもイヤなくらい嫌いなんだよ、俺は」


辰次は大きく舌打ちをし、道場の方をにらみつけた。


「それに、陰でこそこそと悪口言うような卑怯な野郎どももな」


辰次が道場の入り口へと足を踏み入れ、にぎっていた帯を手放した。


「おまえ、ここにいろ」


戸惑うめくら娘を置き去りにし、辰次は道場内へと入った。

ちょうど戻ってきた柏木と鉢あう。


「残念だが、朱鷺さんのお兄さんを知っている人間はいなかった……って、どうした?」

「先生、ちょっと立ち合い頼む」

「は?立ち合いって、まさか……お、おい!」


辰次は先ほどの若者ふたりを見つけ出し、真正面から向き合った。

眉をひそめている彼ら『卑怯者』へ、辰次は堂々と胸を張って息を吸った。


「この一色辰次、お二人に剣術試合をお頼み申す!」


辰次の声は道場内に響き渡り、全員の動きが止まった。

若者ふたりは不快感をあらわにしている。


「庶民の分際で、しかも博徒が生意気に苗字なんぞ名乗りおって」


もうひとりが小馬鹿にするように、辰次を鼻で笑う。


「お前と俺たちが試合だと?冗談はよせ。俺は剣術六年、となりのコイツは十年。お前の方は、たったの二年とちょっとで初心者もどきだろ?それに、今までやった練習試合を忘れたか?お前、俺に勝ったことがなかったろ?」


事実、辰次はこの若者と数回練習試合をしたことがあり、すべて負けている。


「結果がみえてる試合なんか、やったって無駄だ。そもそもお前みたいな庶民の、しかも博徒の息子とかいうクズを、武家の俺たちが相手にしてやるのも馬鹿らしい」


若者ふたりは辰次をあざけり笑った。

それに対し、辰次はうっすらと笑みを浮かべた。

辰次からすればこの程度のののしり、嘲笑など慣れっこであり、たいしたことではない。


「なんだ、怖気づいたのか?」


辰次は受けたものをそのまま相手に返すため、二人をあざけり笑った。


「武家のご子息が、たかが庶民の初心者ひとりにビビって、売られた喧嘩を買わないってか。こりゃあいい笑い話になるな。町中で言いふらしてやるか。そうなると、大事な大事な武家の家名とやらに傷がつくなぁ?ま、おまえらの家の名前なんてしょせん犬のクソほどある下級侍のひとつだろうから、知ったこっちゃねーがな」


辰次は耳をほじくりながら、不遜な態度をみせた。

若者ふたりは辰次の挑発に乗った。


「このチンピラ風情が」


怒りをあらわにし、ふたりはそれぞれ竹刀をにぎった。


「そこまでいうなら本気で相手をしてやる!」

「へぇお侍さまの本気とはそりゃあ、ありがてえなぁ」


辰次はニヤニヤとしていた。


「どこまでもふざけた態度のヤツだ。早く竹刀を持て!」

「まあ待てよ。せっかくお侍さまが本気で相手してくれんだ。だったら、ちゃんと礼儀をみせねーとな」


辰次は道場の壁ぎわにあった木刀三本を手にし、そのうち二本を若者二人の方へ投げた。


「本気で勝負してくれるっつうなら、こっちだろ?なあ、お侍さま?」


悪童は木刀を肩にかつぎながら不敵な笑みをうかべていた。

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