第12話 一色親分 二
火鉢とは、灰に炭火をいれる暖房器具のことである。
この日も、長火鉢の銅製の炉に火はつけられており、辰次たちが入ると部屋は十分に暖められていた。
辰次はめくら娘の袖を引っ張って、一色親分の真正面へと導く。
「おまえは客だから、こっちに座れ」
めくら娘はゆっくりと膝をおって座り、朱色の杖は体に寄せるように右側においた。
一色親分が「さて」と口を開いた。
「話を聞く前に、その頭巾、とって顔をみせてくんないかい?それが話し相手への礼儀ってもんだからな」
めくら娘の箸のような細い指がゆっくりと動いた。
彼女は頭巾をつまんでめくるようにとり、素顔をようやく人目にさらした。
両眼の閉じた顔、そして髪の毛は陽に焼けたように明るく、肌は雪のように白い。
普通の若い娘の容姿であると辰次はおもった。
でもそれは、辰次が外で見た彼女の印象と違っている。
辰次は違和感をおぼえつつ、それはあの閉じた両眼のせいではないかとおもった。
実際のところ、固く閉じられたまぶたのせいで、彼女の顔立ちは良いとも悪いとも、誰にも判断ができない状態だった。
「改めてご挨拶いたします」
めくら娘の鈴のような声が鳴った。
彼女は親指、人差し指、中指をそろえて畳へつけるという、いわゆる三つ指をつく。
「名を、朱色に鷺で
深々と頭をさげる彼女に、一色親分は目を丸くさせた。
「これはこれは。ご丁寧な挨拶を頂いちまったな。ささ、もう頭をあげな」
一色親分は姿勢を伸ばしてきっちりと座り直した。
「ご立派なご挨拶、しかと頂戴した。申し遅ればせながら、手前もご挨拶を申し上げよう。俺の名は
真面目な面持ちが一変、一色親分は顔をほぐして柔和な笑みをうかべた。
「俺は、そんな大層な男じゃあない。御法度の裏街道を歩く、社会からあぶれた、ただの無法者さ。そうやってぶらついてるおんなじ奴らを拾ってまとめてたら、ありがた迷惑なことに顔役なんてまで任されちまった。まぁなんだ。俺相手にそこまで気張るこたぁねぇってことだ」
「では、兄探しを……」
「俺にできる範囲でやってろうじゃないか」
「ありがとうございます。ご協力、感謝いたします」
朱鷺がまたもや三つ指をついて頭を深く下げた。
そんな彼女に、一色親分はすっかり感心してしまっている。
「お行儀も言葉遣いも、本当にお上品な娘さんだねえ……お兄さんの名前は確か、『かんざきまさすけ』だったか?」
「はい」
「その『かんざき』というのは苗字だな?堂々とそうやって名乗りあげるところをみると、ご実家はただの町人身分じゃねぇだろ?」
この世は
「実家は……代々、
「なるほど、神職か」
しんしょく?と辰次がつぶやいた。
一色親分があきれた顔を息子へむける。
「バカおめぇ、神職が何か知らねぇのか?」
馬鹿にするなといわんばかりに辰次はむっとした。
「知ってるよ。神社で働く神主とかのことだろ?違くて、さっき俺がおもったのは、神職の人間は堂々と苗字名乗っていいのかってとこだよ。アイツらは俺らといっしょで町人の身分だろ?」
「特別枠ってやつだよ。医者や
「なんかずりィな、それ。俺ら庶民が苗字名乗れば生意気だって
「そりゃあ仕方ねぇよ。ごく一般的な普通の庶民が苗字持つなんてのは贅沢だって、大昔からの常識なんだ」
めくら娘がふと気づいたように口を挟む。
「親分さんは、
「博徒の俺が?はっはっ、まさか!」
一色親分は彼女の言葉を一笑にふした。
「俺のこの『一色』はな、ご先祖さまが侍働きをしたおかげだよ」
「侍働き……ということは、親分さんのご先祖さまは武士だったのですね?」
「ああ。江戸に都ができる前、300年くらい前の古い話だ。俺のご先祖は、京の方で活躍してた武士だったんだよ。戦ばかりの戦国時代も終わって、天下泰平の世になり、戦働きが華だった武士のご先祖さまは仕事に困っちまった。それで仕事を探しに江戸へ来て、武士の身分は捨てて町人へとなって……とまぁよくある話だな」
「そういうことだったのですね。では、ご親戚など京にいらっしゃるのでしょうか?」
「まあな」
その一色親分の言葉に、辰次が眉根をよせて驚くように反応した。
「は?初耳なんだけど?」
「かなり遠縁で、他人みたいなもんだ。俺自身、一度会ったきりだよ」
一色親分はあまりそのことについて話したくないようで、めくら娘の方をみて、さっさと話を次へ移した。
「今では町人になっちまった『一色家』だが、俺はそれなりに誇りに思っててな。だから、金貸しの屋号として使ってるんだよ」
「親分さんは金貸し業もなさってるので?」
「そりゃ
「いえ、そのようなふうにはおもっていません。人の世では、様々な生き方をするのだと勉強になりました」
「こりゃ面白いこと言うお嬢さんだね。さ、俺の話はここまでにして、お嬢さんの話に戻ろう。探しているお兄さんは、つまり神社勤めの人間だったってことかい?」
「はい。兄は、ひと月前ほどに、勤めていた神社から突然消えました。江戸へ逃げたとの情報を得て来たのですが、いると聞いていた本所石原の孫左衛門長屋にはおらず、その他の手がかりもなく……」
「ふむ。本所石原の孫左衛門長屋か……」
一色親分は考えるように腕をくんだ。
「本所にゃ俺の子分どもがたくさんいる。そいつらに聞き込みさせよう。ちいっとばかし時間をくんな。何日かはかかるだろうから、その間はお嬢さん、いや。おトキちゃんは、うちで気長にゆっくり待ってな」
親しみをこめ、一色親分はめくら娘を『おトキちゃん』呼んで優しくほほえんだ。
呼ばれた本人は小首をかしげている。
「それは……こちらのお宅に滞在してもよろしいということでしょうか?」
「もちろんだ」
「では、お代を先にお支払いいたします」
「お代?」
「はい。滞在費と謝礼をふくめ、いかほどがよろしいでしょうか?言い値をお支払いたします」
「おいおい、みくびっちゃあ困るよ。この忠次、お嬢さんにたかるほど金になんか困っちゃいねぇよ」
「え?」
「金なんていらねぇよ。んなこと気にしなくていいから、好きなだけ何日でもうちにいな」
「……」
めくら娘は困惑したように言葉を発さなくなった。
そこへ、まきが小鍋を手にして部屋に入ってきた。
まきは甘酒の入った小鍋を火鉢の上に置こうとした。
「あらやだ、
辰次は長火鉢の引き出し部分から鉄の輪っかを取り出した。
この鉄の輪っかー五徳が炭火の上にのっかり、さらにその上へまきが小鍋を置いた。
小鍋からほんのりと甘い香りが漂う。
一色家の甘酒はいつもまきが手作りしている。
この日も彼女は朝から米と麹を鍋に入れてとろ火で半日ほど煮込んでいた。
「この甘酒は作りたてだから、甘みは少し足りないかもしれないけど、香りはいいでしょ?」
そう言いながら、まきが甘酒を湯呑へ入れて配り始める。
一色親分が最初に甘酒をもらった。
「うん、いい香りだな。ところで、おマキ」
「はい?」
「今日からしばらく、このおトキちゃんがうちにいることになった。色々と面倒を見てやってくれ」
「まぁこの若いお嬢さんがウチに?」
まきは喜びの色をうかべ、戸惑っている様子のめくら娘へほほえんだ。
「嬉しいわ!男ばっかりのこの家に、女っ気が増えるのね。おトキちゃん、何か不安なことあれば遠慮なくいってね。さァ、これ。おトキちゃんの分の甘酒よ」
めくら娘の手を包み込むようにマキは湯呑みをもたせた。
「まぁこんなに手を冷やしちゃって。この甘酒飲んで、体を温めなさい。ちょっと熱いからね。ゆっくり気をつけて飲むんだよ」
朱鷺はぎこちなく湯呑みに口をつけた。
しっかりとした甘さと温かさが、彼女の喉から胸へと広がる。
「おいしい」
朱鷺は思わず言葉をこぼしていた。
「これが甘酒……?」
「もしかして甘酒、初めて?」
「はい。このような美味しい液体、初めてです」
めくら娘の言動にまきはやや面食らう。
「面白いコトいう子ねぇ」
一色親分が甘酒をすすりながら辰次へと視線をむけた。
「俺は明日から花会だ」
「知ってるけど」
「俺のいない間、おトキちゃんの世話は頼んだぞ」
「え?なー」
『なんで俺が』という言葉を辰次は飲み込んだ。
一色親分がキツくこちらをにらんでいたからだ。
渋々と了承したように辰次は黙って甘酒を飲んだ。
一色親分は目つきをゆるめ、次にめくら娘を見た。
「おトキちゃん。俺は明日から花会で、家をしばらく空けるからな」
「花会?お花の鑑賞会があるのですか?」
めくら娘以外の全員が、虚をつかれたような顔になった。
そして、一色親分が声をあげて笑い始める。
「あっはっはっ!こりゃ失礼した。おトキちゃんは
「はい」
「おい、辰次」
辰次はあぐらにひじをついて不機嫌そうな面持ちである。
「……何?」
「ここら辺の名所見物に連れってってやんな」
「はあ?無茶いうなよ。めくらにどうやって名所を見せんだよ」
「お前はほんっとう思いやりっつうのがねぇんだな、このアホ。見えなくたって、聞こえたり、なんか食ったりすりゃ、十分に江戸見物になるだろうが」
「……どこ連れてきゃいいんだよ」
「浅草寺あたりは当然だな、うん。あとは……そうだ!
「男谷ぃ?剣術道場なんて連れってって、どうしろっつうんだよ」
「稽古する音がビシバシ聞こえて面白いだろう。それにあそこは本所石原に近い。道場に出入りしてる奴らに、おトキちゃんのお兄さんのこと聞いてみろよ。意外と知ってるヤツ、いるかもしれねぇぞ?」
「俺、あんまあそこに近づきたくねぇんだけど」
渋る辰次にめくら娘が頭をさげる。
「お願いします、辰次さん。兄の情報を少しでも集めたいので、その剣術道場へと連れて行ってください」
めくら娘が頭を深くさげ続け、辰次は苦い顔になった。
「……わかったよ」
「ありがとうございます」
めくら娘は全ての動作がゆったりとしていて礼儀正しかった。
自分とは全てが正反対な彼女に辰次は苦手意識が芽生えつつある。
「おい、もういいから。頭あげろって」
辰次はめくら娘の世話も、剣術道場へ行くことも乗り気ではない。
だが、このめくら娘を連れてきたのは辰次自身であって、奇妙な責任感というのを感じていた。
自分の中にある不満を辰次は甘酒とともに飲み込んだ。
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