第9話 小料理屋いすみ 店外 一

つ(午後6時)すぎ、月が薄っすらと出ている。

江戸の喧騒けんそうはやまない。

浅草の小料理屋いすみの店先では、浪人と博徒たちの喧嘩が始まったばかりだった。

鉄ノ進が博徒たちへと叫ぶ。


「おめェら!刀はぬかすなよ!?」


浪人は刀を持っていようと抜かない。

江戸の町市内での抜刀ばっとうは罪になるからだ。

鉄ノ進の意図は浪人への牽制けんせいと同時に、仲間たちへの忠告でもあった。


「拳だけ使え!余計なおしゃべりはすんなよ!」


相手を挑発しすぎるなと、鉄ノ進は暗にいったのだ。

部下である男ふたりは「オウ!」と野太く応えた。

しかし約一名、全くわかっていない者がいた。


「刀ぬいたとこで、コイツらちゃんと振れるのかよ?そこら辺の棒切れでも持たしたほうがマシなんじゃねえの?」


辰次は不敵な笑みを浮かべながら拳を鳴らす。


「どいつもコイツも、おっさんで歯応はごたえなさそうだな。俺がひとりで全員相手にしてやってもいいぜ?」


辰次の挑発は敵味方のおっさん全員をイラッとさせた。

鉄ノ進が青筋を立てて叫ぶ。


「この馬鹿ガキ!辰次、俺の話わかってなかったのか!?無駄にむこうをあおるな!こら!聞いてんのか!?」


普段から辰次は察しは悪く、人の言うことなども聞かない。

辰次はただ真っ直ぐに喧嘩相手へむかっていく。


「まずは、てめェだ!このツキ男!親父を馬鹿にしたこと、後悔させてやらァ!」


飯尾は身構えつつも、気迫こもる辰次に怖気おじけづいている。

逃げ腰で後退あとずさりしていた。


「この頭の悪いクソガキめ!来るな!」


飯尾がそばに立てかけてあった木の板を辰次にむかって投げ飛ばす。


「んな木屑きくず、あたるかよ」


投げつけられた木の板を軽くよけ、辰次は殴りかかろうと拳をふりあげた。

ゴロゴロゴロ。

頭上から何か重い物が転がる音がして、辰次は足を止める。


「なんだ?」


拳を振りあげたまま、辰次は上をみあげてギョッとした。


「はァ!?」


太い丸太などといった木材が、屋根の上から次々と転がり落ちてきていた。

まさに木材の雪崩なだれである。

辰次は後ろへと大きく飛びのいて間一髪でよける。


「あっぶねェな!なんでいきなりこんなもん降ってくんだ!?」

「あ、それ」


いすみ屋の店主が辰次のうしろにいた。

女将さんと一緒に喧嘩の野次馬となっている。


「昨日、大工さんが屋根の修理にきて使ったもんだ」

「はあ!?」

「まだ修理終わってないからって、そのまま屋根の上に置いてったんだよ」

「だからって、なんで今、落ちてくんだよ!?」

「さぁ?辰坊の運が悪いんじゃねぇの?」

「ああ゛!?」

「ほれ、俺に怒ってる場合じゃねーぞ。おめえの喧嘩相手は、あっちだ」


そういって店主が指さす方向に飯尾がいた。

となりの建物の陰から、おそるおそると辰次をうかがっている。


「この野郎!今度こそ……!」


辰次は勢いよくけ出した。

地面に散らばる木材をよていき、飯尾へと殴りかかろうとする。

ゴロゴロゴロゴロ

ふたたび、先ほど聞いたような音がしはじめた。


「あ、そういや」


いすみ屋の店主が思い出したようにつぶやく。


「おとなりも屋根の修理してってたわ」


第二波、木材の雪崩が辰次へ襲いかかってくる。


「だから、何でいまッ!?」


辰次は足をもたつかせながら、木材の雪崩から逃げる。

おかげでカッコ悪く地面に尻もちをついた。


「くっそ、どうなってんだよ!?」

「侠客さまの息子さま」

「うわァ!?」


降って湧いたような女の声に辰次は驚いた。

声がした方へと振りむくと、先ほどの尼が立っていた。


「今度は何だってん、だ……?」


見上げた先にあった尼の顔を目にして辰次は言葉を見失った。

白い頭巾の奥にあったのは、両目を閉じた若い娘の顔だった。

彼女の肌は雪のように白く、髪の毛も珍しいくらいに明るい色をしている。

そして、彼女の背後には宵闇よいやみに浮かぶ満月。

このすべての景色に辰次は心を奪われていた。


「息子さま、教えていただいてもいいですか?」


辰次をみおろす尼は不思議そうに首をかしげている。


「このような遅い時間、たくさんの人が外に出て喧嘩をなさっているのは、この世では普通なのですか?それとも、ここが江戸だからですか?」


辰次には彼女が何を言っているかまるで理解できなかった。

だから、ぼう然とおもったことを口にする。


「お前は、この世の人間か?」


この娘は、この世ではない違う世からまぎれ込んできたのではないか。

そうとしか思えないほど、辰次からみて彼女は奇妙であった。


「この世とは、現世げんせのことでございますか?ならば間違いありません。わたしは京の都より参りました」

「きょう?って、西にある?あの京?」


娘の言葉がだんだんと辰次を現世うつつへと引き戻す。


「京の都から来た女で、目が……ん?目が見えない!?」


しっかりと両まぶたが閉じられた娘の顔を辰次は凝視する。


「おまえ、めくら!?」

「はい」

「しかも若い!?」

「16ですが、それは世間さま的に若いのでしょうか?」

わけぇよ!つか、その年で尼!?」

「仏門に入った覚えはないので、それは違うとおもいます」

「はァ!?尼じゃないのかよ!?」


辰次は勢いよく立ち上がり、奇妙なめくら娘を見おろす。


「おまえほんっと、何なんだよ!?何でここにいんだよ!?」

「兄を探すため、侠客さまのお力添えを頂きたいのです。ご紹介いただけますか?」

「状況を見ろよ!いま、そんなことしてる場合じゃねーんだよ!」

「お言葉ですが。わたし、見えません」


あ、と辰次は気まずくなり口を閉じた。


「辰次!!」


鉄ノ進が叫んだ。


「ボケっとしてんじゃねえ!後ろから来てんぞ!」


辰次の背後から飯尾が迫ってきていた。

転がっていた木材を拾ったようで、木刀のようなものを手にしている。


「クソガキにはコレで十分だ!」


辰次はめくら娘を一瞥いちべつし、小さな舌打ちをする。


(俺が避ければ、コイツにあたっちまう!)


辰次は飯尾の一太刀ひとたちを腕であえて受けた。


「くそ、さすがにいてェな」


右腕が腫れていくのを辰次は感じた。

とにかくめくら娘を避難させようとおもった。


「おまえ、あぶねーから下がってろ!」

「この喧嘩は、どうすれば終わりますか?」

「はァ!?」

「この喧嘩が終わったら、息子さまは、わたしを侠客さまのもとへご案内して下さいますか?」


喧嘩の最中だというのに、めくら娘にはまったく緊迫感がなかった。

一旦距離をとっていた飯尾が木刀もどきを身構え、また襲いにかかろうとしている。

早くめくら娘を避難させなければ、と辰次は焦った。


「わかったから!あの浪人野郎を大人しくさせてから、案内でも何でもしてやるっつうの!」

「そうですか。あの浪人の方が、大人しくなればいいのですね」

「は?何いって……って、おい!下がれっていっただろ!何で前に出んだよ!?」


困惑する辰次の前で、めくら娘は奇妙なことをした。

偶然かわざとか、めくら娘が地面に散らばっている丸太ひとつを蹴った。

ゴロゴロと勢いよく転っていく丸太。

それは、ちょうど襲いかかってきていた飯尾の足をとった。

飯尾は顔面から勢いよくすっ転んだ。

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