第3話 辰次

下町浅草にある浅草寺せんそうじという寺はとても大きい。

広い敷地内の神さまをまつるいくつものお堂にまじって神社がひとつある。

この神社のご神木、樹齢六百年のイチョウの大木の前に、数人の子供たちが集まっている。


「よし、大人はいねーな」


子供たちはご神木の下をどんと陣取じんどった。

かれらは10〜13才くらいの近所の悪餓鬼がきたちである。

粗末そまつわら茣蓙ござをしいて座り、たがいに顔をみあわせる。


「おめェら、金はもってきたな?」


悪ガキどもが懐から穴あきの銅一文銭どういちもんせんをじゃらじゃらと出した。

茣蓙ござの上に銭の山ができた。

いわゆる子供博奕ばくちをしようというのだ。


「さぁ、ご開帳かいちょうだ!」


しきり役であろう少年が銭の山へと片手を突っ込んだ。

そして、拳をそらへ高々と突き上げる。


「この手の中にある銭の数、偶数か奇数か!?ちょうはんか!?さァ、はったはったァ!」


客役である子供たちは「丁!」とか「半だ!」と次々と叫んでいくが、決めきれずに悩む子もいる。


「まだどっちといわねぇヤツはケチってんのか?それとも、ビビってんのか?こんな二択の簡単なけでおじけずくなんざ、それでもてめェ江戸っ子か!?江戸の男なら、どんどんと思い切ってってみやがれ!」


しきり役の少年の口上こうじょうはシャキシャキと歯切れよく、小憎らしいほど上手い。


「よーし、全員賭けたな?」


いくぜ、と少年が拳をひらこうとした。


「よォ、ガキども。威勢がいいじゃねぇか」


若い男三人組が子供たちを見おろしていた。

真ん中の細身の男が、しきり役の少年へニヤリと嫌な笑みをむけた。


「お前が胴元どうもと役か?」

「だったらなんだよ。ここは子供むけだぞ。大人は本堂裏ほんどううらにある賭場とばに行けよ」

「おいおい、勘違いすんな。俺たちは博奕遊びなんぞに興味はねぇよ」

「じゃあ何の用だよ?」

「大人として、注意しにきてやったんだ」

「はぁ?」

「博奕遊びなんかの賭け事は幕府が禁じてる犯罪行為。れっきとした御法度ごはっと違反で罪になるんだぜ?」

「そんなこと知ってるよ」

「ほーう、知ってて破ってんのか」

「そんなの大人だって同じだろ?江戸中に賭場はたくさんあって、大人たちは堂々と遊びに行ってる。オレたちも同じことして何が悪いんだ」


ふん、と少年はふんぞり返って生意気そうに鼻を鳴らした。


「わかってねぇな。俺は、お前が胴元やってんのがいけねぇっていってんだよ。博徒ばくとって知ってるか?」

「バカにすんな、それくらい知ってるよ。博奕を商売にしてる大人のことだろ」

「そうだ。人と金を集めて賭博をひらき、遊び代をとるヤツら。それが博徒だ。まさにお前がやってることそのまんま。博徒は捕まれば、即牢屋で拷問ごうもんの島流しだ。どうだ知らないだろ?こわくなったか?」


しきり役の少年は男をにらみあげ、悪ガキとしての意地いじをみせる。


「んなもんでビビるかよッ!ようは、役人にみつかんなきゃいいんだ」

「へぇ。あくまでこのチンケな賭場をやめねぇってか」

「うるせぇ!ここはオレの賭場だ!口出すんじゃねぇ!」

「こりゃとんでもねぇ悪ガキだな。いちど牢屋に入って、お役人さまにしつけけてもらった方がいい」


男は連れの二人へと命じる。


「おい、どっちか役人よんでこい。残った方は、俺とこのガキどもを見張ってるぞ」

「な!?おい!やめろよ!」


しきり役の少年があわてて立ちあがる。


「やめてほしいか?なら」


男の視線は銭の山にある。


「その金、全部よこしな」


子供たちはさぁっと青ざめた。

しきり役の少年がぐっと拳をにぎる。


「ふざけんな!お前ら最初からそれが目的だったんだな!?」

「違うなあ。俺たちは世間の厳しさっつうのを教えてやってんだ。その金は、その授業料としてもらっといてやる。いいから、銭をおいてさっさと帰りな。お前らガキは家で母ちゃんのおっぱいでもしゃぶってろ」


少年たちは大人の不良におびえた。

だが、れっきとした男でもあった。


「ナメるなッ!」


かれらは立ち上がって銭の山を守るように両手を広げた。


「これはオレたちの金だ!お前らなんかに渡すもんか!」

「本当にクソ生意気なガキどもだな。そうだ、役人より怖いトコにつき出してやろうか?」

「なんだと?」

「博徒の大親分、一色いっしき親分だよ。ここいら浅草一帯、一色親分の縄張りだ。そこで勝手に博奕なんか開いてるヤツいてみろよ。みつかりゃ殴られ、蹴られ、指も全部切り落とされるぜ」

「一色親分がそんなことするもんか!親分は浅草一の侠客だぞ!?そもそも、お前ら下っ端みたいなチンピラ、親分が相手になんかするもんか!」

「このガキィ、生意気かしやがって。痛い目みないとわからない馬鹿らしいな」


男が少年の胸ぐらをつかみあげた。


「お主ら、何をしている!?」


浅草寺の僧侶のひとり俊応しゅんおうが通りかかった。


「その子をはなしなさい!」

「ちっ、坊さんかよ。おい」


坊主をみて男は仲間のひとりへ目配せした。

うなずいた男が俊応へと立ちはだかる。


「どきなさい!子供たちをどうする気だ!?」

「ジジィの坊さんは下がってな。俺たちはこのガキどもに世の掟を教えてやってんだ」

「弱いものをいじめるのが世の掟ではないぞ!」

「違う、違う。俺たちはな、何がエライかっていう、世の常識の話をしてんのさ」

「なに?」

「坊さんも知ってんだろ?この世はお侍さま、徳川様の天下だ。神さまなんぞより、徳川様の幕府が一番エライ。エライものへと従うのが世の決まりだ。なぁ、お前ら?」


男の仲間二人が同意するようにニヤニヤと笑みをうかべている。


「俺たちは幕府に従って、御法度を守ろうとしてるだけさ。だから、その金は没収。胴元役は大罪ってことで。罰を与えなきゃなあ」


男が拳をふりあげる。

少年は殴られることを覚悟して目をつぶった。


「おい、いい加減にしろ」


うなるような男の低い声だった。

ご神木の裏からぬっと大きな影が出てくる。


「てめェら、ようは賭場荒とばあらしだろ?」


影は背の高い青年だった。

精悍せいかんな顔つきで、体も鍛えたようにほどよく引き締まっている。

キリッとしまったなかに荒々しさのあるいい男だ。

が、目つきがすこぶる悪い。


「つまらねぇごたく並べやがって、クソどもが」


青年の悪鬼あっきごとにらみに、その場の全員が恐怖で固まった。

年少の子たちにいたっては涙目だ。


「てめェ」


恐ろしい睨みの青年が、少年をとらえている男の腕をつかんだ。


「いい年した男が、ガキいじめてんじゃねェよ」

「い、いてぇっ!?」


骨がきしむほどの激痛に男は顔をゆがませ、たまらず少年から手をはなした。


「くそ!おい、喜八きはち!やっちまえ!」

「オウ!」


喜八とよばれた男が青年と対峙たいじした。


「へぇ」


青年が感心するように喜八を頭から下までながめた。

喜八は肉のころもを着ているかのような体格であった。


「デケェな。もしかして元力士りきしとかか?」

「だったらなんだ。おじけづいて逃げるか?」


青年が小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「元とはいえ、天下の人気者お相撲すもうさんが、金欲しさにガキをおどすとか。落ちたもんだな。いや、そんなんだからか。どうせ、てめぇは土俵どひょうすらふめずに部屋逃げ出した、根性なしの力士くずれだろ?」

「ああ?なんだと、この野郎。んなバカみたいな、イカれた格好しやがって」


青年の格好は全体的に派手だった。

髪型は、長い黒髪を赤いひもで乱雑に結いあげている。

身につける羽織は渋い赤みの海老色で、真ん中に大きな龍の絵がおどっていた。


「テメーみたいなのは、どうせ職なしのチンピラだろ。このカスが」

「ああ゛?」


青年の目つきはさらに鋭くなり瞳はギラついた。


「わかってねーな、この洒落シャレた格好を。ま、しょうがねぇか。力士なんざ裸が着物きものみてぇなもんだしな」

「んだとおッ!?この野郎、てめェのそのイカれた着物脱がして、土下座させてやる!」


青年がニヤリと凶悪な笑みをうかべた。


「やってみろよ」


元力士の喜八はでかい図体を生かし、勢いよく体ごとぶつけにいこうとした。

が、青年の方が早かった。

かれの強烈な頭突きが喜八の顔面にきまる。


「でめ、びぎょうだぞ……」


鼻っ柱を折られ、喜八は大量の鼻血を出している。


「あー?何言ってっか、わかんねー」


「なっ!」とさけぶと共に、青年の拳が喜八の顔にのめり込む。

そこから青年は元力士の喜八を一方的に殴っては蹴った。

まるで鬼が喜んで暴れているようで、喜八の仲間二人は青ざめて震えあがった。


「どこ行くんだよ?」


逃げ出そうとしていた男二人を青年が捕まえる。


「俺に喧嘩売ったんだ。最後まで、ちゃんと相手してけ」

「い、いや、俺たちは遠慮してー」


青年は最後まで言わせなかった。

結果、賭場荒らし三人組は、顔面血だらけ、体じゅう青あざだらけにされた。

さらに、着ているものをがされてほぼ全裸、褌一丁ふんどしいっちょうで正座させられる。


「こんなもんか?もっと持ってんだろ。出せ」


青年の手はかれらの財布を巻きあげていた。


「それが、俺たちの全財産です」

「しけてんな」


チッ、と舌打ちをした青年を喜八が恨めしそうに見あげる。


「くそ、強すぎる。こうなったら……お前!親分に言いつけてやるからな!」

「は?」

「俺たちは、一色親分の子分だぞ!」


とっさな喜八のでまかせに、仲間二人も調子を合わせはじめる。


「そ、そうだ!一色親分に言ってやる!」

「親分にかかれば、お前なんか、すぐにこの浅草を歩けなくなるからな!」


青年が眉をひそめた。


「はあ?親父に?」

「そうだ!その親父に……ん?親父?」


青年は男たちの顔をじっくりとながめている。


「やっぱ、見たことねー顔だな。子分の子分か?最近入ったヤツはわかんねーんだわ、俺」


三人組はもしや、と汗をかき始める。


「あのぅ、まさか、一色親分の子分さんですか?」

「いいや」

「じゃあ、お知り合いで?」

「いや、息子」


三人組は心臓が飛び出るほど驚いた。


「親分の息子ーっ!?」

「待て!一色親分の息子って、あの有名な悪童あくどう辰次たつじ!?」


かろうじてあった血の気が、男たちの顔からどんどんと消えていく。


「鬼みたいに馬鹿強くて、元横綱よこづなを半殺しにしたって、あの噂の悪童か!?」


悪童あくどう』としょうされた青年は腕を組んでむっとした。


「ありゃあ、事故だ。親父が貸した金を取り立てにいったら、あのくそデブ、キレやがってよ。刃物出してきやがったから、こっちもその場にあったハサミ投げたんだ。それが刺さってさらに暴れたから、大人しくなるまで殴ってやっただけで、俺は悪くねぇ」


三人組は戦意を完全に喪失した。

すいませんでした!と彼らは口々にして神社から逃げ出していった。


「あ、おい!もう二度とここにはくんなよ!?」

「辰次……お前な」


僧侶の俊応が呆れたような眼差しを辰次にむけていた。


「なんだよ、説教ジジィ。いたのかよ」

「お前こそ、最初からそのご神木の裏にいたんだろう」

「なんで知ってんだよ」

「最近よくそこで昼寝してるのをよく見てたからな。なぜ早く助けに出てこなかった?危うく子供達が殴られるとこだったぞ」

「そこのボウズがせっかく男の意地はって頑張ってたんだ」


しきり役の少年を辰次はみて、ニヤリと笑った。


「邪魔しちゃ無粋ぶすいってもんだろ。なぁ?」

「え?」

「いい胴元っぷりだったぜ」


辰次は賽銭さいせん箱へ歩み寄ると、賭場荒らしたちからとりあげた金を財布ごとなげ入れた。

俊応が眉をひそめる。


「おい、それはなんのつもりじゃ」

「ガキどもが開いた賭場の場所代と、喧嘩の迷惑料」

「そういうつもりなら、ちゃんと神さまへ行儀良くじゃな」

「ジジィの説教はもう聞き飽きた。じゃあな」

「これ!」


胴元役の少年が俊応をみあげた。


「お坊さま、あの兄ちゃん、何者?」

「アレはな」


俊応はため息をつく。


「悪ガキがそのままデカくなった者だ。喧嘩と博奕ばかりするしょうもない男め。仕事もせずに毎日ぷらぷらと。まったく」

「でも、オレたちを助けてくれたよ。しかも、一色親分の息子だって。親分とおんなじで侠客みたいだった」

「違うぞ。あんなのは喧嘩の口実こうじつ、ヤツの気まぐれだ。ただ単に、ヒマだっただけであろう。よいか、アレは善人ではないぞ」


神社の鳥居を出ていく辰次の姿に、俊応は顔をしかめていた。


「悪いお手本だ。お前たちも博奕はほどほどにな」

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