神の使いと侠客

吾妻橋露

一八四六年

第1話 白い兎

白いうさぎとかいて白兎はくとという古い一族が京にいた。


白兎家98代目当主である朱理しゅり丑三つ時うしみつどき(深夜二時)をすぎて屋敷に帰ってきた。

朱理は白髪まじりの眉をひそめる。


「なんだこの声は?」


屋敷の奥からうなるような人間たちの声がしている。

あわてたように下働きの男が出てきた。


朱峻すしゅん様が外から祈祷師きとうし達を呼ばれたようで」

「わが家に祈祷師だと?」


朱理に鋭い目つきでにらまれ、下男は肩をわずかに震わせて頭をさげた。


「その、奥方さまをおもってのことかと……」


朱理は不快感を顔にあらわにし、屋敷の奥へとむかった。

男がひとり落ち着かないように部屋の前をうろついている。

朱理の息子、朱峻すしゅんであった。


「父上!お戻りですか」


朱峻すしゅんの言葉を朱理は無視した。

朱理は、けわしい顔で右側の中庭をじっとみている。

そこには白いころもを身につけた五、六人の男たちがいた。

かれらは真ん中の焚き火をぐるりとかこみ、手を合わせてなにごとかを唱えている。


「お前が、あれらを呼んだのか」

「はい。我が白兎の者たちが安産の祈祷きとうを許されているのは、みかど御子おこが生まれる場合のみと、おきてさだめられてますので」

「そのような当たり前のことを私は確認したいのではない。白兎の者以外が、この本家で神々へと願う儀式をするなど。我が家の品格ひんかくをさげることになるということが、わからぬのか?」

「わかっております。ですが、今回だけはどうかお許しください」

「ならん」

「父上」


朱峻すしゅんはひどく疲労した顔で、若干いらだちをみせた。


「今夜で四日目です。我が妻、真名鶴まなづるが産気づいてから三日三晩みっかみばんとすぎたのに、まだ子が産まれないのです」

「そうか。難産とはなんともわずらわしいものだな。妊婦のうめき声でもうっとおしいというに、さらにこのよそ者どもの騒音。耳障りでかなわぬ」


妻のお産を心底迷惑がる朱理に、朱峻は怒りを感じて拳を強くにぎりしめた。

しかし、これ以上父親に抗う気力は彼にはなかった。


「……帝が」


怒りをほどくように、朱峻は強くにぎった拳をゆるめた。


「先ほど帝が、父上をお呼びになったと聞きました。このような夜分にどのような御用だったのですか?」

託宣たくせんたまわった」

「なんと。神々が帝を通じて、お言葉をこの白兎へ?そのようなこと、初めてではありませんか?」

「うむ。少なくとも、私が生きているこの五十年近くの間、そのようなことはなかったな」

「それで託宣は?どのような内容だったのですか?」


朱理は視線をとなりの部屋へとうつす。

ふすまがしまるこの部屋の向こうでお産は続いている。

お産の痛みにもだえ苦しむ女の声とそれを励ます女たちの声が、とめどなくれでてきていた。


「白兎の血を色濃く受けた子がこの世に出てくる」

「それは、もしや私の子のことでしょうか?」

「おそらく。そして、その娘は我が一族にとって、最悪ともなり幸運ともなると」


ひときわ大きなどよめきが部屋でおこった。

誰もが待ちにまった赤子の誕生だとおもった。

が、すぐさまそれは悲鳴へと変わり、何かがおかしいときづかされる。


「真名鶴!」


朱峻がいちもくさんに部屋へとかけこんだ。

目にした異様いような光景に朱峻は混乱する。


「これは、いったいどうしたというのだ!?」


女達が全員、気を失ったように倒れている。

中央にしかれた布団の上で仰向けになる女がわずかに手を動かした。


「す、しゅん、さま……」


真名鶴は、か細く切れそうな声で夫を呼んだ。


「真名鶴!そなたは意識があるのか!?」


朱峻は妻をだき起こし、彼女の痛ましい姿に胸がしめつけられる。

真名鶴の全身は、身につける白い衣もふくめ、汗と血でベッタリとしていた。

とくに彼女の両足は血で真っ赤に染まっている。


「何があったのだ!?この女たちは、どうして気絶したのだ!?」

「あれに……」


真名鶴は視線を前方にある小さなおけへとむけた。

桶には湯がはってあり、そこに何か白いものが浮いている。


「あれが出てきたとき、みな、目をむいて倒れました……なんておぞましく、けがらわしい姿……」


真名鶴はすがるように、夫の胸へと弱々しく手をのばす。


「申し訳ございません。私は、あなた様におのこを産みまいらすことができなかった……そればかりか、あのようなまわしいものを、この世に産みだしてしまった……」


真名鶴のほほに涙がつたう。

すべての気力を失った彼女の白い顔は恐ろしいほど美しかった。


「死をもって、おびしとうございます……」

「何を馬鹿ばかなことを!」

「私は、朱峻さまを心よりおしたいしておりました」

「私もだ!我が妻は、終生お前一人だけだと決めている!だから、だから死ぬな!」

「ああ、なんて嬉しい言葉……そのお心に甘えて、最後に、お願いを……」

「最後など、そのようなこと……!」

「あれを」


真名鶴は顔を夫の胸にうずめ、細く白い指で桶のなかにあるものをさす。


「どうかみえないところへ……あれと、あんなものと一緒に埋められるのは嫌でございます。墓はどうか別に……あれは我が子などではない。化け物でございます」


真名鶴の全身から力がなくなった。


「真名鶴!ゆくな!起きよ、真名鶴ッ!」


完全に息絶えた妻の体をだきしめて朱峻は激しく泣いた。

一方で、朱理は冷淡れいたんだった。

息子を慰めるつもりもなく、すでに朱理の関心は小さな桶へとむいている。


「これは……」


朱理は桶へ両手をのばし、浮かんでいた白い物体をすくった。


「父上!」


妻の亡骸なきがらを横たえ、立ち上がった朱峻は叫んでいた。


「それをこちらに渡して下さい!」


悲しみ、怒り、憎しみといった負の感情が朱峻の体のなかでうずまいていく。

朱峻の瞳の色が変わる。

彼の瞳は、濃い赤に黄色をおびた朱色となった。


「息の根があるのならば、すぐに止めます!」

「なぜだ?やっと産まれたお前の娘だぞ」

「妻はそれに殺されたのです!」


朱色の瞳で朱峻は、父親の腕にある産まれたばかりの自分の『娘』を激しくにらんでいる。


「よくも生みの母を殺したな。このけがれた忌まわしき赤子め!我が手で殺してやろうぞ!」


朱峻は短刀を取り出してひきぬいた。


「父親に子殺しをさせるとは、なんたる親不孝ものめが。お前のような娘など、最初からこの世に産まれてこなければよかったのだ。父上、さぁ早くそれをこちらに!」

「……いや。これは生かしておこう」


刃をむき出にしたまま、朱峻は動揺どうようした。


「な、なぜですか!?」

「この赤子の姿をみよ。かつてのご先祖さま方、始祖しその血を強く受け継いでおられた、かつての白兎一族の姿と同じだ。まさしく先祖返りの姿といえよう」

「しかし!だからといってそれが、我が白兎になんの役に立つというのですか!?男ならまだしも女です!子供を産むしか役に立てぬというのに、その人とはおもえぬ姿では、どんな男も寄りつかないでしょう。それに子供を産む能力、いや人としてのまともな体を持っているのかどうかすら、わかりません!」

「だが、白兎としての力はあるようだ」


朱理は気絶している女たちを一瞥いちべつした。


「一族の役に立つかもしれん。育ててみよう」

「その忌まわしい赤子を生かし育てると!?私はそのようなこと許せません!」

「許す?お前が?」


朱理が瞳の色を変える。

白く濁っていた瞳が朱色へ変わる。

朱理の瞳は、赤みよりも黄色みが強い朱色でするどく光る。


「お前の許可をいつ、私が必要とした?白兎の当主は、今、誰だ?」


朱峻の顔に怯えの色がうかんだ。

かれはけもの強者きょうしゃへと服従ふくじゅうするように、頭をたれて大人しくなった。


「父上、いえ。朱理様でございます」

「そうだ、私だ。私が決めたことにうさぎの群れはしたがう。なぜか、わかるな?」

「はい。それが古来より二千年と続く白兎のおきてだからです」

「ちがう。それが、帝におつかえするために、我らご先祖さまが決めた掟だからだ。そうして一族の秩序を守り、強さを守ってきた……が、血が薄まってきているのはいなめないな」


朱理は落胆した表情を息子へとむけている。


「血が濃い女を選んで生ませた子は、あきれるほど物分ものわかりが悪い。血が濃くてもこれでは一族をまとめられぬ。血筋だけでなく、頭のしも確認しておくべきだったな」

「父上、私はかまいません。ですが母上のことを悪くいうのはどうかおやめを……」


息子のしぼり出すような苦しい声は、父親の耳には届かなかったようだった。

朱理はすでに朱峻をみておらず、外へと視線を向けていた。

中庭にいる祈祷師の男たちは朱理の視界に入らないようひれ伏している。


「正室に生ませたほうは、賢いが肝心な血が薄く、白兎としての力が弱い。まったく。強き兎の群れを維持するのは難しいな」


独り言にちかいつぶやきをこぼし、朱理は腕のなかへと朱色の瞳をむけた。


「さて、この子兎こうさぎはどうだろうな?まず、人の前に出すには問題がありすぎるか。しばらくは北の離れに鍵をかけて入れて育てるとしよう。仮名けみょうはどうする?」

「……」

「何か考えていなかったのか?」


朱峻は赤子から顔をそむけ、うつろな目を下へとむけた。


「そのようなものにあたえる名など……贅沢ぜいたくすぎると思います」

「ただの仮名だ。記号と同じで意味などない。役に立たなければ、取り上げるまでだ。何かないのか?」

「……」

「なさそうだな」


ふむ、と考え込む朱理の目に入ったのは真名鶴と呼ばれていた女の死体だった。


「その女の評判は、たしか、名前にある鶴のように白く美しい。だったか?」

「……はい。おだやかに羽をおりたたみ、雪に降り立つ鶴のように、容姿だけでなく、所作しょさまでもが上品で美しいと。自慢の妻でした……」

「それにちなむか」


信じられないものを見るような目つきで朱峻は父親をみた。


「トキ。そう呼ぼう」


朱峻の手から小刀が落ち、彼は膝から崩れるようにしゃがみ込んだ。

朱理は生まれたばかりの孫を抱いて、血と死がただよう穢れた場所から足早に離れていった。


その後、白兎一族内でうわさとなった『忌子いみこ』は、屋敷奥深くでひっそりと育てられた。

彼女がようやく世に出られたのは、16年後のことである。

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