第2話 からあげ事件

 そんなこんなでやってきた楽しみの弁当の時間のことであった。


「もーらいっ!」


 ひょいと前から伸びてきた指が、隼人の弁当箱にずぼりと差し込まれた。

 何ごと。

 隼人は思わず、ぎょっと目をむいた。その間に指は隼人の残しておいたからあげをつまみ、指の主の口の中に放り込んでいた。


「ん〜! へへっ」


 からあげ盗人は、咀嚼と笑みに整った顔をくしゃりと揺らした。隼人は失われたからあげに呆然としつつ、目の前の少年の顔と名前を一致させていた。


「こら、ユーヤ」

「んぐ」


 後ろから、にゅっと手が伸びてきて、盗人の首に腕をかけ引き寄せた。盗人――ユーヤは、からあげをごくんと飲み込んだ。


「オージ、危ないだろ」

「だからって食べたら駄目だろ」

「だって好きなんだもん、からあげ」


 むっとユーヤは油に光る唇を尖らせた。それからちろっと指先と唇を舐める。


「もん、って何キャラだよ!」

「も〜ユーヤは本当自由だね〜」


 わいわいと人が集まってくる。隼人の周囲の生徒たちが、にわかに彼らを見つめる。

 ユーヤを引き寄せた少年、オージは「全く」と、息をついた。秀麗な顔は、その名の通り王子のようだ。


「目についたもの何でも口に放り込むんだから。それでこないだも、腹壊したろ」

「ぐっ……へーきだって! オージは過保護なんだよっ」


 ぷい! とユーヤが顔をそらした。その様子を、彼らは微笑ましく見守る。

 しかし、隼人はと言うと、その言葉にむっとしていた。

 その流れじゃ、まるで俺んちのからあげが悪いものみたいじゃないか。

 とっといてそれはない。

 隼人の気持ちは、まんま顔に出ていたらしい。ユーヤを小突くうちの一人が、隼人を見て「ほらー怒ってんじゃん」と、大笑いした。短髪に、大きく開いた口から鋭い犬歯がのぞく。


「ごめんね〜こいつわんぱくだからぁ」


 さらにもう一人が、ぐねっと隼人をのぞきこんだ。淡く脱色した長めの髪と泣きぼくろが印象的だ。


「ほら、観念しろ」

「えー、当たりキツっ!?」


 頬を掴んでのオージの決め台詞に、ユーヤがおどける。わははは……どっと笑い声が上がり、隼人は憮然となる。

 たぶん、返事しなくてもいいよね。

 隼人はあたりをつけて、お弁当を再開した。


「やだぁ、すごい怒ってる」


 女子の一人が、おののくように口元に手を当てて笑った。


「てゆーか頭すごいよね」

「スズメバチの巣みたい!」

「それー!」


 女子たちに大盛り上がりされ、隼人はかっと頬が熱くなった。生まれつき毛量の多いくせっ毛は、隼人の隠れたコンプレックスだった。何でこの人たち、こんなひどいこと言うんだろう? 知り合って間もないのに。さっきの「謝れよユーヤ」な犬歯の男が、隼人の髪に、おそるおそるさわろうとしてすぐ引っ込めた。なんだよ! ちゃんと洗ってるぞ!

 さすがにいたたまれなくて、隼人はご飯を食べる手を止めた。それに、一定の満足を得たらしい彼らは、ユーヤを見た。ユーヤは皆の期待を受け、ニコッと笑ってみせる。


「ごめんな? おなかすいてんのに取っちゃってさ! えーっと、誰だか、わかんないけどっ」


 どっとひときわ大きな笑い声が立つ。さすがに腹が立った隼人は、持っていた箸を机においた。カタン! と高い音が立つ。


「な、中条だよ! 一ノ瀬悠弥いちのせゆうや君!」


 思ったより大きな声が出てしまった。あたりがしんと静かになる。ユーヤたちはぎょっとしたように固まり、それから明らかに引いた顔を見せた。


「え、俺の名前しってんの?」

「大好きかよ……」


 明らかに不審者を見る目に、隼人は引き下がれなくなる。動揺を抑えるために、マイボトルを引き寄せると、ふたを開ける。


「クラスメイトの名前を覚えるのは当然だよ!」


 そうして、余裕を持って飲むふりをした。あくまでふりである。本当にのむとむせてしまうから。それでも手は、緊張にぶるぶるふるえたが、どうにかやりきり、ボトルを机の上に置いた。


「えー……キモッ」

「何マジになってんの?」

「ストーカーみたい」


 女子が、隼人をさげすみの視線で見つめる。犬歯の男も、「まあまあ」と声をあげる。


「腹減ってんだろ?

「たしかにね~」


 彼ら以外からもさざ波のように笑いが起こった。オージが、「ユーヤ」と言うとユーヤは、「あっそ」と笑った。


「なんかごめんな? 友達になれっと思ったんだけど」


 そう言って肩をすくめると、きびすを返した。皆も後に続く。

 隼人は、自分が間違ったんじゃないかと思った。けれど、追いかけて謝る気にはならなかった。まあいいや、謝ったって聞かないだろう。隼人は思い直し、もくもくと食事を再開した。おなかの底は、冷えたみたいに冷たかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る