月がきれい
シャルロット
Prologue ~白い月が昇る~
八月も終わりに近づいた日の夜。風が吹く度に、道の向こうに生い茂る山の木々がざわめいている。合宿の宿からすこし離れた川辺の道にはせせらぎの音に混じって、道を進んだ先にある滝からも轟々とした水音が聞こえていた。まばらな街灯に照らされたお土産屋さんの続く店先も、今は明かりを消してひっそりとしていた。
ふと人の気配を感じて、隼人(はやと)は足を止めて振り返る。20mくらい離れたところで、夏菜(なつな)が早足とも駆け足ともつかないような速さで、とてとてっと駆け寄ってくるのが、街灯の薄明かりの中に浮かび上がった。
「どこに行ったのかと思っちゃった」
程なく隼人に追いつくと、夏菜は腰に両手を当ててわざとらしく怒ったポーズをしてみせた。
「合宿中の僕の行動って、なーちゃんさんの管理下だとは知りませんでした」
あえて先輩である夏菜のあだ名を使って少しからかうように隼人が言うと、夏菜は本格的に眉をひそめて説教モードに入った。
「あのね丸くん、そういう皮肉っぽい言い方はよくないよ?丸くんのそういうところ、怖がってる後輩もいるんだからね」
「す、すみません。そんなにガチ説教されると思ってなくて……」
バツの悪そうな隼人の表情に焦ったのか、
「あ、ち、違うの、別に私怒ってるわけじゃなくて、その、本当は丸くんいい子なのにもったいないよって思っちゃって、それで・・・」
と夏菜があわあわと両手を振って釈明した。
「わかってますよ、先輩。すみません。皮肉っぽいのは自覚あるんですけどね」
「ううん、私も変なこと言っちゃった、ごめん」
二人の間に一瞬の沈黙が横たわる。それを無理やり押しのけるように、夏菜はぱんっと手を叩いた。
「そうだった、私は君にお届けものがあって来たのだよ」
少し芝居がかった口調でそう言うと、体の後ろから肩掛けの小さなポシェットを引っ張り出した。
「そんなブツ隠してたんですか」
「隠してないよ!人聞き悪いなー」
冗談めかして言った隼人に、夏菜が笑いながら答える。ポシェットから取り出したのは、銀色のアルミにうっすら汗をかいた缶チューハイ2本だった。アルコール度数が低くて、大学生の飲み会で定番のあれだ。
「はい、これ丸くんの分」
右手に持った缶を差し出してくる。
「僕、お酒飲めないんですよ」
「え、まったく?」
虚を突かれたように夏菜の眉尻が下がる。
「あんまり飲めないっていうのは知ってたから、一番アルコールが少ないやつにしたんだけど、そっか・・・」
全身から滲むほどのしょんぼりしたオーラが可哀想なような、心くすぐられるような感じがして、隼人は夏菜の右手からすっと缶を引き抜いた。
「あ、いいって、無理しなくて」
慌てて隼人の手から缶を奪い返そうとしたが、身長155cmの夏菜では、頭の上まで持ち上げられた缶を取り返すのはかなり厳しかった。
「せっかく持ってきてくれたんですし、いいじゃないですか。飲みましょうよ」
「お酒なんて頑張って飲むものじゃないもん」
「でもなーちゃんさんじゃ取り返せないでしょ?」
「そうやって意地悪するのよくない!」
何度かぴょんぴょんと飛び跳ねていたが、勝ち目がないことを認めたのか夏菜はしぶしぶ引き下がる。その隙に、隼人は手早くプルタブを倒して缶を開けると、チューハイを一口飲んだ。レモンサワーの味だった。
「乾杯しましょ」
隼人が缶を軽く掲げてみせると、夏菜はふわっと優しい顔になり、自分の缶を開けた。同じレモンサワーの缶だった。
「乾杯」
「かんぱーい」
コツンと小さく缶をぶつけると、二人でまた一口飲んだ。
「向こうの方まで少し歩きますか」
「いいよ」
隼人と夏菜は、川沿いの道を二人並んで歩き始めた。
短い橋の真ん中で二人は立ち止まる。どちらからともなく欄干にもたれかかりながら、誘われるように雲が浮かぶ夜空を見上げた。上空の方は風が早いのか、雲は思ったよりもすいすいと空を横切っていった。そしてその隙間から、白く輝く月の光がすっと差し込んだ。
「うわあ、すごいくっきり月が見えるよ」
「ほんとですね、夏なのに珍しいくらい」
「うんうん」
隼人の横で無邪気にはしゃぐ夏菜。右手に持った缶の中で、半分くらい残っていたお酒がちゃぷんと音を立てた。
「ねえ丸くん」
「はい?」
「すごく綺麗な月だね」
うっ、と隼人は返事に詰まる。
「……そうですね、綺麗な月だ」
ともすれば気づかないかもしれないほどの短い躊躇いに、夏菜はやはりなのかあえてなのか、触れないままで続ける。
「はやく当てないとねー、丸くんの例のアレ」
「あ、それって初日に言ってたのですか?まだ諦めてなかったんですか?」
「もちろんだよ」
夏菜は勢いよく振り返った。
「合宿終わるまでに、絶対丸くんの好きな人当ててみせるんだから!」
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