ささくれだった哀しみに

大黒天半太

ささくれだった哀しみに

 ささくれた指先を見つめる。帰ったら薬でも塗ろうと、ぼんやり思う。


 有り体に言って、視線を反らしているのも(現実と心理の二重の意味で)、思考が現実から逃避気味なのも、自覚してるわかってる


 治すには、それに触れなくてはいけないし、ささくれた部分を切り取ったり、適当な薬も選ばないといけない。

 イライラした感情に任せて、ささくれを引きちぎるか噛みちぎるかすれば、傷口は拡がる悪化する一方だ。


 それがわかってるのに、抑えきれないのは、自らの未熟と受けとめるしかないだろう。


 この痛みは、過去の、ひいては今の自分が招いたものだ。



 熱を出して寝込んでしまった彼女に代わって、ここ数日、久しぶりに料理と洗い物をやっただけで、こんなに簡単に手荒れがするとは、始めた時には思わなかった。


 自炊していたのは、大学生で独り暮らし始めた頃から、彼女と一緒になる前までくらいだったから、まだ皮膚も若くて丈夫だったんだろう。

 同じようにやってるつもりなのに、ダメージは全く違う。


 調理の過程で、手が込んだモノを、好むようになったからか?

 手が濡れたままの作業もあるし、濃いめ、薄めの調味液も工夫するようになった。


 以前より楽しんでやってるつもりだったが、自分の手も調理道具の一つとして、細かく手入れすべきだったのかも知れない。


 単純に、皮膚も回復力も若くないってだけなのかも知れないが。



 流石に、ここまでくると、下手な濃度の調味液すら痛い。


 生姜醤油を作るのに、チューブのおろし生姜を生醤油で溶き、豚肉を入れて、和えただけだが、調理用のポリエチレン手袋を出し忘れただけでこの有り様だ。


 生姜醤油に浸けた豚肉はタッパーに入れたまま、明日の夕食の調理前まで、冷蔵庫で寝かせておけばいいだろう。


 手を洗い、調理用具を洗い、昨日の残り物を今夜の夕飯用にレンジで温める。


「明日は、美味しい豚の生姜焼きが出来るからね」

 仏壇で微笑む彼女の遺影に、私はいつものように話しかけた。


 指先よりも心に染みる痛みが、私の目から涙の粒になって、零れた。


 彼女からの返答は、もう返ってこない。


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