第22話

 十月半ば――文化祭当日。

 残暑も消え、十月に入ってからは過ごしやすい日々が続いている。夏らしい真っ白なブラウスは、少女たちの肌を覆い隠すようになり、黒いボレロの下にしまわれた。

 秋晴れの真っ青な空を窓越しに眺め、夏生は陽差しに目を細めた。

 土日の二日間に分けられている文化祭だが、初日の土曜日は所属学生だけののんびりしたもので、二日目の日曜日が一般の参加者も交えたものとなり、学生間では「本番」と認識されていた。

 夏生は二日間ともに午前の二時間が当番として割り振られていて、接客の真似事を淡々とこなしている。

 華やかに、しかし派手すぎないようにと色を抑えた装飾は、落ち着くと中々に好評である。

 教室内なので、さほど席数は多くないもののメニューは軽食とドリンクだけなので、そう長居するものもいない。

 夏生の仕事といったら、客の案内と注文をとること。そして商品を出して会計する。

 品数はそう多くはなく、サンドウィッチが数種類とドリンクも片手の数ほど。それぞれ数字が割り振られているので、注文のミスもなく聞き取れるし、すでに出来上がって可愛らしい袋に包装されたものを出すだけなので、想像していたほど苦ではない。

 なんでも、クラスメイトのうちの一人が懇意にしている老舗パン屋のメニューを特別に卸してもらったらしく、それを売りにしていることもあるので、客足は途絶えない。

 ちなみに、初日――昨日の昼食にはそのサンドウィッチを二つ予約しておいて和佳と一緒に食べた。サンドウィッチといってもパンは厚く中の具材もぎゅうぎゅうに詰まっていたので、ボリュームがあり満足感があった。

「店員さん背、高いですね」

「モデルさんみたーい。やっぱ代桜女の制服って可愛いよね~」

 どうして背が高いだけでモデルになるんだろうか。その二つの言葉を、人生の中で何度と聞いてきた夏生は、内心でそう思った。そして、なぜその二つは図ったように大体セットで言われるのだろう。

「ありがとうございまーす」

 大学生と思しき若い女性二人を席に案内し、適当に礼を言って注文をとる。

 装飾をしたパーテーションの裏に回って厨房担当――といっても番号の商品を出すだけだが――の生徒に、「二番と四番のパン……ドリンクは紅茶二個」と告げると、手際よく商品を渡された。

 サンドウィッチは紙皿にのせているが、その紙皿も縁に花の装飾が入っていて(凝ってるな……)と感心してしまう。

 さきほどの推定女子大生の席に品物を持って行って裏に下がると、同じようにホール担当だった朝川がひょこひょこと近づいてきて耳打ちする。

「夏生さん、そろそろ交代の時間ですわ」

「あ、まじか……」

 時計をみると長針が垂直を向こうとしている。ちょうど交代の生徒が教室に戻ってきたこともあって、夏生は制服の上につけていたエプロンを取ってその生徒に渡した。

「楽しんできてくださいね」

「うん。行ってきます」

 ひらりと手を振って教室を出て、廊下を見渡す。やはり一般公開されているだけあって人が多い。夏生は女性の平均身長を優に超えているからまだいいが、和佳なんかは埋もれてしまいそうだ。

「あ、いた……ん?」

 廊下の隅で縮こまっていた和佳を見つけたが、どうやら同じ年頃の男二人に声をかけられているようだ。困ったような和佳の顔を見て、夏生はズカズカと大股で近づく。通行人は、体の大きな夏生を避けるように左右に避けていった。

「これ、どこだか分かんなくて。もし時間あったら案内してもらえませんか?」

「あ、でも私、人を待ってて……」

「ちょっとだけ、途中まででもいいんで」

 食い下がる男に、和佳は困惑してとうとう口を閉じてしまった。助けて上げたいとは思っても、夏生と待ち合わせしている時間はもう迫っていて、ここを離れるわけにはいかない。

 どうしよう、と慌ただしく揺れる瞳が、近づいてくる夏生を捉えてほっと緩む。

 それにちょっと嬉しくなって、夏生の歩く速さが上がった。

 和佳の表情が和らいだのを了承してくれるのだと思って笑った男の前に割り込み、夏生は和佳の肩に腕を回して抱き寄せた。

「それ、本校舎の二階……食堂のスペースでやってますよ」

 男の持っていた地図を上から覗き込み、同じ目線で言ってあげると、彼らは突然の乱入者に驚きビクリと一歩後ずさった。

「あ、そうなんすね」

「ここから見えるあの建物だから」

 窓から見える本校舎をゆびさし、「あれだよ、あれ」と強調すると、男二人は反射的にこくこくと頷いた。

「じゃあ、私らはここで」

「あ、あざっす……」

 ぽかんとした二人を置いてさっさと立ち去る。階段の踊り場まで歩いて人影が減ったところで歩みを止めて和佳を覗き込むと、同時に彼女の細い肢体が脱力して夏生の胸にもたれかかった。

「の、和佳さん?」

 慌ててその体を抱き留め、へなへなと崩れ落ちた和佳と一緒にしゃがみこんだ。

「お、男の子と喋ったの初めてで……ビックリした……」

「大丈夫? 怖くなかった?」

 とんとん、と細い肩を叩いて宥める。

 幼少期から女子校で、それ以外は家に引きこもらざるを得なかった和佳は、たしかに男性と接する機会はなかっただろう。

 ああいう女子生徒目当てでくる他学校の生徒もたまにいる、と聞く。とくに、代桜女はお嬢様学校でよく知られているので、物珍しさに見物しに来る者もいるのだ。だが、ほとんどは生徒の保護者や近所の人、受験生などで、ああいった場を弁えない輩は少ない。

 それに何かあっても警備員が校舎内を巡回しているので、大きなトラブルはないという。

 それを聞いていたものの、もっと気をつけて上げれば良かったな、と後悔してしまう。

「どうする? どこか入って休む?」

 今日の昼食は外の出店を回る予定だったが、辛いようなら夏生のクラスのように屋内で店を出しているところに入ってもいい。

 和佳の体の方が大事なのでそう提案したのだけど、当人に首を振られてしまった。

「ううん。出店回るの楽しみにしてたの。だから行きましょう?」

「和佳さんが平気ならいいけど……」

 そうしてロータリーと正門通りに並んでいる出店に向かっている途中で、立ち売り箱を首からかけた涼音とバッタリ遭遇する。いつも一緒にいる友人とおにぎりの移動販売をして回っているらしい。

「……涼音さん、似合わないですね」

「はあ? 喧嘩売ってるの?」

 だって冷ややかな仏頂面の美少女の首におにぎりの立ち売り箱って……。アンバランスだな、と眺める夏生の横で、和佳は目を輝かせた。

「おにぎり! すごい、そうやって校内を回ってるのね」

「和佳先輩! ぜひお一つどうぞ! ちなみにおすすめは鮭です!」

「涼ちゃん、これなら当番でも先輩のこと探せるって張り切ってたんですよ」

 ぐいっとトレーを差し出す涼音に、隣の友人が苦笑してつけ加えた。

「じゃあ一つもらおうかしら……」

 そう言ってポケットから小銭入れを出す和佳を、夏生が慌てて止める。

「和佳さん、小食なんだからおにぎりなんて食べたらほかのもん入らなくなりますよ?」

「でも、せっかくだし……」

「ほかにどこか回るところが?」

 涼音の問いに頷き、「外の出店で食べ歩き」と答えると、涼音はかっと目を瞠って「はあ?」と声を上げた。

「あんたこんな晴れた日に和佳先輩連れて外なんてなに考え、考え……て……うぐ、日焼けだけは気をつけなさいよ」

 最初は信じられないとばかりの勢いだったが、少しずつ萎んでいくと、最後にはぐっと拳を握ってなにかに耐えるような声音で吐き出した。

 和佳が楽しみにしていることが分かったからだろう。たぶん、夏休み前の涼音だったら、全力で止めていたと思う。

「ちゃんと日傘持って行きます。ね、和佳さん?」

「ええ。食べているときは交代で差そうねって話してたの」

「それならいいですけど……楽しんできてください」

 渋い顔ながらも送り出す涼音の言葉に、和佳は満面の笑みを浮かべて「うん」と頷いた。

 夏生が祭りの写真を送ったときから、屋台を見てみたいと思っていたらしい和佳は、人の多さに驚きつつも子どものように目の奥に光を灯らせていた。

 青空の下の屋台なので祭りのときとは雰囲気が違うけれど、装いは同じようなものだ。

 なるべくたくさん楽しめるように、と一つの屋台で一つだけ購入して半分こするのが約束だった。

 たこ焼き、フランクフルト……あいにくと夏生のおすすめイカ焼きはなかったけれど、チョコバナナやベビーカステラなど、祭りのときと同じメニューのものは多く見受けられた。

 たこ焼きをまるごと一つ頬張って、熱さに小さく悲鳴を上げる姿を見守ったり、チョコバナナを食べているときに、最後の一口が割り箸から落ちてしまって沈む和佳を慰めたり。

 楽しくって、ずっと笑いっぱなしだった。

 そうして昼食時が過ぎると、通りの人混みも少しはマシになる。その頃には二人揃って満腹だったので、校舎に戻り、再び階段を上って今度は三年生の教室に向かう。

 展示物が多いせいか、他のフロアに比べて人影は少なかった。また、見回っている人々も静かに展示物を眺めていることが多く、声を出すと存外響く。

 普段よりも声を潜めながら、夏生たちは和佳のクラスへと入った。

 ちょうど人が出払っているのか、中には誰もいなかった。

 中央に何個か机が固めてあり、その上にテーブルクロスと代桜女の敷地を模したミニチュアがある。そして、ところどころに矢印が引っ張ってあって、その場所を拡大するような写真が一緒に置かれている。

 これは学校案内用の掲示みたいだ。

 壁際には、生徒が撮ったであろう写真が、吹き出しのコメントとともに貼られていた。

 風景だけのものもあれば、生徒が映っているものもある。

 思い出の部室や、過ごした教室。体育館に正門――この学校で過ごしていると自然と目にするそれらが、写真として綺麗に並んでいた。

 そして。

 ほかのどれよりも見慣れていて、夏生にとって思い出深いものが目にとまる。

「これって……いつものベンチ……?」

 若々しい緑色の芝生の上にぽつんと置かれた一つのベンチ。背後には木々の影が見え、ベンチは陽差しを受けて木の温かさを醸し出している。そこには、閉じられた白い傘が立てかけられていた。

 隣り合った吹き出しには、たった一言――『宝石箱』。

「まさかこれって」

 振り返れば、和佳が頬を薔薇色に染めて恥ずかしそうにはにかんでいた。

「あ、あのね。下田さんから話を通してもらって……写真貼るだけだから手伝いなんて気にしなくていいって……それで、その写真撮るのも手伝ってもらって、学校の中を色々回ったんだけど、私の中の思い出らしい思い出って、ここしかないなって。楽しかったことを思い出すと、全部このベンチに繋がってるの。全部、夏生ちゃんに繋がってるの……それで、その、ベンチを……」

 尻すぼみになっていく言葉は、照れと不安が混じっていて、ちらちらと琥珀の瞳が夏生を見上げてくる。

 じわじわとこみ上げる衝動に名前を付けるとしたら、それは愛おしさとか感激とか、たぶんそういうものだと思った。

「ありがとう、和佳さん……」

 そっと和佳の指先を握って引き寄せ、その肩口に額を押し当てた。夏生の反応に当初は慌てふためく和佳だが、夏生が喜んでいると分かると、照れくさそうに笑って頭を撫でてきた。

(ねえ、和佳さん……)

 私は、あなたの中になにかを残せているだろうか。

 写真や動画で色んなものを見せて、なにもなかった和佳の心に少しずつ思い出がたまっていってくれればいいと思っていた。そうして、その積み重なった思い出が、いつか和佳の未練になってくれれば、そうすれば死ぬのが怖くないなんて淋しいことは言わないでくれるだろうと……。

(ちょっとは、伝わってたかな)

 ああ、こんなに嬉しいことなんてあるだろうか。肩口に顔を寄せたまますり寄ると、和佳の首筋からふわりとほのかな花の甘い匂いが鼻腔をくすぐった。

 

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