第13話


 帰宅した夏生をみた母は、その手の中のものを見て驚いた顔をする。

「どうしたの? ぬいぐるみなんて買って。珍しい~」

 リビングのテーブルに買い物を置き、リュックを下ろす。ぬいぐるみ含め、水族館後にショッピングエリアで色んな店を回って買い物をしたから、リュックは意外と重くなっていた。

 開放感に肩をグルグルと回しながら、夏生はキッチンから出てきた母に「それお土産」と一つの袋を顎で示す。

「なーにこれ? ……あめ?」

 そういって小さい袋から取り出したものを見て、母が首を傾げた。

 縦長の袋に包装されていたのは、うちわをモチーフにした飴細工だ。うちわの持ち手部分は透明なプラスチックの棒で、その先には扇部分にあたる丸い飴。透明な飴には、紫色の紫陽花が咲いている。

「うん、飴細工のお店があってさ……うちわ飴っていうらしいよ。開封しなければ半年から一年保つんだって」

「へえ~綺麗ね~」

「味はりんごらしいよ」

 私は鬼灯柄。と夏生は自分の分も取り出して見せた。

「先輩は、これじゃなくてもっと大きい飴細工買ってた。金魚の形そのまんま飴で作ってあるの。そっちは乾燥剤取り替えると数年保つんだって……ぬいぐるみもあるし、持って帰るの大変じゃない? って言ったんだけどさ~。金魚がいいって譲らなくてさ」

 水族館には金魚のエリアもあって、和佳はそこで見た本物にそっくりだと微笑んでいた。今日の思い出に……と二十センチぐらいある長方形の箱に入った金魚の飴を買ったのだ。

 透き通った飴はゆらりと今にも動き出しそうなほどにリアルで、グラデーションのように広がる橙が照明にあたって艶を帯びていた。

(荷物に苦労してたけど、楽しそうだったな……)

 思い出すのは、大荷物に四苦八苦しながらも、ご満悦そうな和佳の横顔。バスに乗っても膝の上で大事に荷物を抱えてて、けれど、そのうちうつらうつらと舟を漕ぎ始めたので、見かねた夏生がそっと腕から引き抜いて支えていた。

「楽しかったのね……」

 感傷に浸るような声で母が夏生を見つめて言う。

「まあ、先輩がなに見てもはしゃぐからさ。なんかつられちゃって……」

「あんた陸上しかしてこなかったから、行事ごとだっていっつも面倒だ~って言ってたのに……それより走ってたいって」

「どうしてもそういう日は部活なくなるしね」

 ――着替えてくるね。

 夏生はそう言ってまとめた荷物を持って二階の自室に向かった。母の感激したような目が気恥ずかしかったのだ。夏生が遠足を楽しんできたのが、よほど嬉しいらしい。

 制服をぬいで、さっさと部屋着に着替える。

 相変わらず外ハネする髪を後ろでまとめて縛る。最近になって、ようやく結べるぐらいの長さになった。

「ぬいぐるみに飴細工、食品サンプルのキーホルダー……プラネタリウムで買った惑星型のキャンドル……」

 プラネタリウムは飲食店街の奥にあって、水族館以外はマップを見ずに回っていたから気づくのが遅かった。辿り着いたときには、ちょうどプログラムが始まったところで、次の開場を待っていると、集合時間に間に合わない。残念だが、ショップだけ見て帰ってきたのだ。

 普段、ここまで物を買うことが少ないから不思議だ。こんなにたくさん買い物をするなんて――。

「先輩につられたんだよね……」

 今日の思い出に……。

 和佳はそれを口癖みたいに言って、お店に入る度になにか買っていた。

 たくさん買い込む姿は、それだけ楽しんでいるのだと嬉しくもあったが、最初で最後の外出を楽しんでいるようにも見えて、少し胸が切なくなった。

 この人は、今日のことを一回限りの奇跡だと思っている。

 そんなふうに夏生には見えた。

 ――私は、花ね。

 どこまでも無機質で、恨みも辛みもなにも感じない声が耳に返ってくる。

 なにかに急き立てられるように、夏生は学校の鞄からタブレットを出して検索画面を開いた。

「ジョアナ……アメリカの人か……副種族ステージはⅢ」

 検索結果の一番上に出てきたサイトを開くと、まずジョアナのプロフィールが出てくる。

 約三十年前、齢三十五で亡くなったとされている。出した書籍は和佳が言っていたと見られる一冊だけ。

 その本の謳い文句は『私は人か、それとも魚なのか』。

 発売後、同じように副種族に悩む人々が共感し、一躍ブームになったらしい。

「人か、魚か……」

 そんなことで悩んだりするんだ。夏生には分からない感覚だ。

 ページの下方には関連サイトとして、副種族所以の病気症例や日常生活に支障を来す人向けの福祉制度が並んでいた。

 とりあえず、上にあったものを開いてみる。

 ずらりと並ぶ数字の列。その中に、ステージⅢに区分される人の成人するまでの死亡率があった。

「およそ十パーセント……去年の成人未満死亡者数は……」

 そこには、ゼロが四つはつく数字が並んでいた。新生児の死亡を除くと少しは下がるが、それでも多いな、と夏生は思った。

「その副種族を持ってただけで、死んじゃうんだ……」

 こうやってみると、ジョアナの享年三十五も、和佳の三十までは、という余命も長く生きた方なのかもと思ってしまう。

(いいなあって思うだけだったけど、大変な思いしてる人もいるんだよね……当たり前だけど……)

 その現実を見てしまえば、安易に副種族を持つ人が羨ましいとも、だからこそ嫌いだとも大手を振っては言えない。

 知らなかったから好きなだけ羨んだり、恨み言を言えた。知ってしまうと、今までのように好き勝手思うことは出来なくなる。

 でも、やっぱり走り続けていたかったなと思うのだ。副種族さえあれば続けられた。

 副種族がないから走ることをやめた夏生。副種族のせいで普通の生活が出来ない和佳。諦めた二人。この二人が出会ったのはなんの運命だろう。

「あきらめた……?」

 自然と浮かんだ言葉に、思わず首を傾げる。ポチポチとタブレットの検索ボックスにその単語を入力した。

「諦める……望みなどを実現の見込みがないと知り、思い切る……断念する……」

 望み――?

(陸上は、私のやりたいことだったのかな……)

 ずっとその生活が普通だったから、そんなこと考えたこともなかった。毎日練習して大会に出て、順位を付けられて……。やりたい、というよりも、それが自分の日常だと本気で信じていた。

 そもそも――。

「私、なんで陸上クラブ入ってたんだっけ……」

 小学校に上がってすぐ、近くの運動場で週末に開いていた陸上クラブに入った。でも、入部当初の記憶なんて覚えてない。

「ほんと、なんのために走ってたんだかわかりゃしない」

 自嘲する笑みが不格好にこぼれる。

 第一部のほうで優勝出来たって、副種族がある人たちの足元にも及ばない。観客にも前座だと言われ、見てももらえない。人生の半分以上時間をかけてきたのに、全部無駄。……本当に馬鹿みたい。

 その時、自分を嘲る夏生の心に、ふいに春の風情のような陽が差した。

 ――すごく綺麗に走るのね。

 耳の奥に蘇った言葉が、琥珀色のきらめきを思い出させる。宝石みたいな澄んだ瞳の輝きに、夏生の心にぬるま湯みたいな温かいものが広がった。そうして、刺々しい感情がふやかされて柔らかくなる。

「ふうっ……はあ~……」

 ぐっと勢いよく背中を反れば、デスクチェアの背もたれがギシッと悲鳴を上げる。

 天井から差す照明の光に眼を閉じる。その眩しさに、あの春の日の木漏れ日を思い出した。

 ――すごく、綺麗に……

 そよ風みたいに耳の中で反芻する言葉に、なんとなく、夏生は報われた思いがした。



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