第7話



 自宅のリビングのソファに寝そべりながら、夏生はぼんやりと天井を眺めていた。

 垂れ流しているテレビでは、夕方の報道番組が始まり、アナウンサーが淡々と今日のニュースを報じる。

 隣接したキッチンでは、母が夕飯の支度に取り掛かっていた。

 部屋着にしている中学時代のジャージを身にまとい、だらりと手足を伸ばして考えるのは、和佳のことだ。

 昼間に聞いた彼女の言葉がどうやっても忘れられない。

(あんなに楽しそうにしてたくせに、なんで急にあんな顔して……)

 しかも、終いには申し訳ないだなんて、意味が分からない。夏生は恐ろしさすら感じていた。

「……ねえお母さん」

「ん~?」

 母の背中に呼びかけ、夏生は身を起こした。

「死ぬのが怖くないって、どういうときだと思う?」

 それまで、リズム良く聞こえていた包丁の音がぴたりと止まった。どことなく空気が重くなった気がして、夏生は慌てて弁明する。

「私がそう思ってる訳じゃないからね!? 学校の人で、ちょっとさ……」

 あからさまに安堵されると、罪悪感がちくりと胸の内を刺す。

 中学二年――陸上をやめた当初の夏生は、母からはずいぶんと憔悴して見えていたらしく、あれだけ打ち込んでいた陸上をスッパリやめ、スパイクやらも処分して……とどこか危うい雰囲気を持っていたらしい。夏生自身にそんな気は全くなかったけれど――。

 そのせいか、母はこういう話題には敏感だった。ニュースで若年者の自殺が報じられると、ちらりと心配そうな視線を送ってきていることも知っている。

 夏生からするとそんな気は微塵もなく、ただただ困惑と煩わしさを感じていた。

「学校の先輩で、生まれつき長生きできないっていう人がいるんだよね……その人、死ぬのが怖くないんだって」

「死ぬのが怖くない、か……未練もなくて人生生き抜いたぞって人だと、もしかしたら笑顔で死ねるのかもしれないけど……若い子じゃねえ……」

「未練がない……」

 ふと思い返されたのは、怖くないと言ったときの笑顔。なにもかも受け入れて、抗おうという気もなく微笑んだ顔。

 弁当を見たことがないって言っていた。あの体では、外に出ることもほとんどなさそうだ。

 外のことを知る機会がないから、未練もないのだろうか。だから、自分の体のことも受け入れられてる……?

(本当にそうなのかな……)

 漠然と、もやもやした感情が胸にたまっていく。直感のようなものが、そうじゃないと告げている気がした。

「ねえお母さん、明日のお弁当二個作ってくれる?」

「ええ? 二個も食べたら太るわよ?」

「私だけで食べるわけじゃないよ」

 ぎょっと苦言を呈する母に、すかさず返す。しばらくして、母は再び背中を向けながら「二個作るのはいいけど……」と前置きし、

「夏生、あなた部活はなにもやらないの?」

 躊躇いがちに訊ねてきた。

「やらないかな……勉強ついてくの大変だし、電車通学だから登下校に時間もかかるしね」

「そう……夏生が自分で決めたならいいけど……」

 代桜女は、高等部は部活動を強制していない。希望者のみが入部する。けれど、八割ほどの生徒はどこかしらの部活、または同好会に所属しているものだ。

 きっと母は、「部活をやらないのか」というよりも、「もう陸上はしないの?」と訊きたかったのだろう。

 ハッキリとやめた理由を伝えたわけではないけれど、親故の勘なのか、察している部分はある。

「夏生」

「……ん?」

「ごめんね……」

 現にこうして謝罪してくる時点で、夏生がなにに躓き、やめるに至ったかほとんど正解を導き出しているといっても過言ではない。

 自分の名前を呼ぶ辛気くさい声のトーンで、なにを言おうとしているのか夏生には大体察せられた。

 肩を落とす母の後ろ姿をチラリと見て、夏生は「別に……」と素っ気なく返すのだ。この二年間、何度も同じようなやり取りを繰り返してきた。

 本当は「気にしてない」と告げられれば母の気持ちも少しは軽くなるのだろう。

 夏生の両親は、二人揃って動物の副種族持ちだ。副種族はほとんど遺伝によるものだと判明しており、順当に行けば夏生も動物の副種族を持っているはずだった。しかし、結果として夏生はなにも持たずにこうして生まれてきた。

 母は、夏生が副種族持ちとの格差に悩み、走ることをやめたと察しがついている。そのため、自分が娘を無種族に産んでしまったことを悔いているのだ。

 だからこその「ごめん」。

(もう、いい加減にしてくんないかな……)

 夏生自身、もし両親のどちらかを受け継いでいたらと思ったことは何度もある。けれど、それを理由に二人に当たり散らすようなことはしたことがない。

 母のこれは、押しつけがましい自己満足だ。そして、それを素直に受け取れない夏生も、なかなかに面倒な質だと自覚していた。

 謝罪を受け、その通りだ、母のせいだと振り切れてしまえたら良かった。でも、母に「ごめんね」と言われる度に、ますます夏生は今の自分がダメな存在なのだと、突きつけられている感覚になるのだ。

 母の謝罪を聞く度に、うんざりしながらもう止めてと叫び出したくなる。

 母親が、どうしてありのままの私を受け入れてくれないの、と身勝手な欲望が飛び出てくる。

 それらを全て押し殺して「おにぎりと卵焼きは絶対入れてね」と空気を入れ換えるように明るい声でへらりと言った。

 そんな夏生の意図を察した母も、「あんたも手伝うのよ」と、じとりとした目で笑いまじりに振り返った。



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