第44話 決行日の朝

 下山が時計を見ると、時刻は朝の5時だった。

 

 普段ならもう少し布団の中で横になっているところだが、今日はすぐに布団から出た。


 昨日は早めに就寝したが、なかなか寝付けなかった。


 だが、この感覚は下山にとって、とても心地よかった。


 遠足の前日、ワクワクしてなかなか寝付かず、朝も早めに目が覚めた時の懐かしい感覚を、下山は思い出していた。


 布団から出ると、下山はシャワーを浴び、体を清めた。


 シャワーの後はレンジでパックに入ったお米を温め、卵焼きを焼き、そこにサバの缶詰とインスタントの味噌汁を添えて朝食をとった。


 朝食は、いつもとったりとらなかったりしていたが、今日はしっかりとった。


 食事を終え身支度を整えても、まだ7時前だった。


 家を出るまで時間はまだたっぷりあったので、下山はストレッチをし、体をほぐし始めた。


 目を瞑り、呼吸に集中しながら体を伸ばしていると、心臓の鼓動がいつもより早い事に気がついた。


 緊張している? 


 そりゃ、そうだろう。


 これから自分がこの世に生を受けた理由を証明しに行くのだから。


 緊張していることが、逆にこれから行うことの重要性を証明しているようで誇らしかった。


 ストレッチを終えても、まだ8時にもなっていなかった。


 さあ、どうしようかと部屋の中を見まわしていると、部屋の中が汚い事に気がついた。


 そうだ。


 俺、しばらくここに戻って来れないんだ。


 もしかしたら、刑務所にいる間に、この部屋は他の人の手に渡っているかもしれない。


 それなら、少しは片付けておかないと。


 大家さんや次に借りる人に迷惑をかけたくないと思った下山は、出発予定時刻の10時まで部屋の片付けと掃除を行った。




 朝10時、下山とともに西原議員暗殺計画を進めていた上田は、報酬をもらうため、郊外にある廃ビルに足を運んだ。


 車を降り廃ビルの中に入ると、机の上にボストンバッグが一つ置いてあった。


 上田はここで当座の資金300万円とラオス行きの航空券を受け取ることになっていた。


 上田は中身を確認するため、バッグのファスナーを開けた。


 しかし、そこには何も入っていなかった。


 嘘だろう?


 上田はバッグをひっくり返して、本当に何も入っていないか確認した。


 だが、バッグの中には、本当に何も入っていなかった。


 くそ。


 騙された。


 上田はすぐにテレグラムを使って、あじさい土木の長瀬に普段使用を禁止されている電話をかけた。


 しかし、長瀬は電話に出なかった。


 あいつら、なめやがって。


 こうなったら、全てぶちまけてやる。


 上田は廃ビルを出て車に乗り込んだ。


 そして、エンジンをかけると、すぐに街に向かって車を走らせた。


 ぶちまけるなら、週刊誌がいいか? 


 いいや、派手にテレビ局に売ったほうがいい。


 会話やメッセージのやり取りは、全て記録しておいた。


 下山がやらかした後、俺もあいつらとのやり取りを全て残すようにして正解だったな。


 これを出せば、あいつらを有罪にできるはずだ。


 でも、待てよ。


 そうなったら、俺はどうなるんだ?


 上田は一度冷静になろうと思い、道路の脇に車を停めようとした。


 だが、ブレーキペダルを踏んでも、車は減速しなかった。


 なんでブレーキが効かない? 


 そうか。さっき、ビルに入った隙に……。


 ブレーキオイルが抜かれたことに上田が気づいた時には、車は道路の外に大きく飛び出していた。




 自由憲政党から参議院選挙に立候補している熊野は、車の中で街頭演説に出るための準備をしていた。


「先生、どうぞ」


 隣に座っていた秘書が、生姜とハチミツを混ぜた喉にいい飲み物を手渡してきた。


「ありがとう」


 熊野はすぐに飲み物を口に含んだ。


 今日までの17日間、自分にできることは全てやった。


 最初はあまり乗る気ではなかったが、多くの支援者に期待をかけられ背中を押されたことで、気持ちがどんどん変わっていった。


 今は自分の為だけでなく、みんなのためにも勝ちたい。


 外で待機していた秘書が、後部座席のドアを開けた。


「先生。お願いします」


「うん。じゃあ、行ってくる」


「お願いします」


 秘書たちの声援を受け、熊野は車の外に出た。


 周囲には多くの聴衆が集まっていた。


 熊野は聴衆に笑顔で応えつつ、街宣車の上にあがった。


 車の上では、西原議員が笑顔で迎えてくれた。


 熊野は笑顔と軽い会釈で西原に応えると、秘書からマイクを受け取り、聴衆に向かって口を開いた。

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