第40話 腹を括って下さい
明日の未来建設の古賀と新崎食品の社長である新崎は、市内にある料亭の個室で、前知事の堀雅喜が来るのを待った。
「堀先生、遅いですね」
新崎が不安そうに口を開いた。
「選挙応援が忙しいのでしょう」
「だと、いいんですが」
「大丈夫ですよ。堀先生は途中で降りたりしませんよ」
ここで堀に西原暗殺計画から降りてもらっては困る。
新崎に言った言葉には、古賀の願望も含まれていた。
「失礼します」
襖の外から女中の声が聞こえた。
すぐに襖が開き、堀が姿を現した。
「すいません。遅れてしまって」
西田と新崎は立ち上がり、堀を迎えた。
「お疲れ様です、堀先生。どうぞ、そちらにおかけください」
西田に促され、堀は二人と向かい合う形で席についた。
「本日は何ヶ所くらい回られたんですか?」
新崎が堀に質問した。
「そうですね。5ヶ所くらいですね」
「知事を辞めた後もあちこちからお声がかかるなんて、先生の人気の高さがうかがえますね」
「いやいや。私は県連会長としての仕事をしているだけですよ」
堀は謙遜してみせたが、表情にはしっかり笑みがこぼれていた。
「失礼します」
女中が料理とお茶をもってやって来た。
堀は一切、酒を飲まない。
だから、二人も堀の前で酒を飲むことはなかった。
「それでは、選挙の勝利を願って」
西田の音頭で、3人はお茶を軽くその場で掲げて口をつけた。
「どうですか、景気の方は?」
茶碗を机に置き、堀が二人に聞いてきた。
「厳しいですね。先生が引っ張ってこられた公共事業のおかげで、何とかまわっている状況です」
古賀は素直に自分の気持ちを伝えた。
「そうですか。新崎さんの方はどうですか?」
「私の方も芳しくないですね。販路を開拓するため営業をかけていますが、大きな成果はまだでておりません」
「お二人とも、すいません。私が一期で辞めなければ、そのような苦労をなさらずに済んだのに」
「いえいえ。先生のせいではないですよ」
古賀はすぐに否定した。
堀の努力は古賀もよく分かっていた。
だからこそ、今でも堀を支持しているし、彼を再び政界の中心プレイヤーに戻したかった。
「先生。選挙の手応えはどうですか?」
新崎が堀にたずねた。
「今のまま進めば、おそらく我々が圧勝するでしょう」
「それは、西原議員に何かあってもですか?」
古賀が言葉を付け加えた。
「えっ、ええ。もちろんです」
堀の返事には、少しためらいのようなものが感じられた。
三人の間に重たい空気が流れた。
「古賀さん。新崎さん。本当にやるんですか?」
堀が念を押すように聞いてきた。
「先生。私たちはもう引き返せない所まできているんです。先生も腹を括ってください」
古賀は少し圧をかけるような形で言った。
「分かりました」
これ以降、堀はこの話題に触れなかった。
今大世が兄の事故を知ったのは、次の日の朝だった。
「N県立病院まで」
大世はタクシーに乗り込むと、すぐに行き先を運転手に伝えた。
松岡ジュリアとの逢瀬を邪魔されたくなかった大世は、スマートフォンの電源を切っていた。
そして、朝になって電源を入れて、初めて兄の事故を知った。
タクシーに乗ると、大世は下平由佳にこれから病院へ向かうとメッセージを送った。
少し経って彼女から「分かりました。ロビーで待っています」と短いメッセージが返って来た。
おかしい。
いつもの彼女なら、ここで怒りの電話やメッセージを返してくるはずだ。
普段と違う彼女の態度に、大世は彼女の本気の怒りのようなものを感じた。
病院に到着し中に入ると、由佳がロビーのソファーに腰をおろしていた。
彼女は大世に気づくとすぐに立ち上がり、こちらへやって来た。
「おはようございます、大世さん」
「ああ。おはよう」
「ご案内します。ついてきてください」
二人はエレベーターに乗り、来紀がいる病室へ向かった。
病室までの移動中、彼女は一言も言葉を発さなかった。
大世も普段と違う彼女の雰囲気から気軽に声をかけられず黙っていた。
エレベーターを降り、502号室と書かれた病室の前まで来て、やっと由佳が再び口を開いた。
「私はエレベーター前の待合室で待っています。面会が終わったら知らせてください」
「分かった」
由佳は軽く一礼すると、今来た道を戻って行った。
大世は病室のドアをノックした。
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