第31話 「動の救い」と「静の救い」

 明日の未来建設の社長である古賀義隆は、早朝から仕事に励んでいた。


「社長。秋元建設とやっているプロジェクトですが、進捗状況に問題はないのですが、最近の材料高騰により、資材の購入額が当初の見積りよりも多くなる可能性が出て来ました。どういたしますか?」


 社員の小林が、古賀のそばに来て意見を求めて来た。


「今のところ、工期に問題はないんだな?」


「はい。順調にいけば」


「分かった。足りなくなったら、工事が長引いた時の予備費をそちらに回してくれ」


「分かりました」


「滝口」


 古賀は社内で一番若い滝口の名前を呼んだ。


「はい」


「板垣さんとこの見積もりの件、どうなっている?」


「はい。具体的な見積もり額をつけて、複数の案を提示しておきました」


「そうか。決まったら教えてくれ」


「分かりました。あと、社長」


「なんだ?」


「湊橋の現場工事が終わったので、引き渡しの立ち会いを頼みたいと先方が言って来ているのですが、どうしますか?」


「そっちは、お前たちに任せる。俺は会合があるから、そっちを優先する。うまくやっといてくれ」


「分かりました」


「じゃあ、頼んだぞ」


 古賀は今できる全ての指示を社員に出し、会社を後にした。




 方丈探偵事務所の秋田は、コース作りの手伝いをしに、再び教団のスタジオを訪れた。


 中では簡易的なスケートボードの障害物が、長濱たちの手によって複数作られている最中だった。


 そしてその脇では、今来紀がスケートボートの練習を行っていた。


「お疲れ様です」


 秋田は来紀にあいさつした。


「おう。お疲れ」


 来紀は精悍な声で応えた。


「ひょっとして、土日もずっと練習していたんですか?」


 来紀の着ているジャージには、擦った後が複数ついていた。


「ああ。すっかり鈍っていたからな。じゃないと、いい映像、撮れないだろう?」


「来紀さんって、本当、真面目な方ですよね」


「何、言ってるんだよ。俺はただ、みんなの期待に応えたいだけさ」


 来紀は少し照れくさそうに言った。


「新しき学びの宿を継ごうとしているのも、みんなの期待に応えたいからですか?」


「うーん、そこはちょっと違うかな。俺は天音以外だったら、誰でもいいと思っているし」


「えっ、そうなんですか?」


「ああ。特に大世だったら、間違いなく教団をいい方向へ持っていけると信じてる」


「でも、大世さんと来紀さんだったら、なんていうか真逆のような感じがするんですが」


「その通り。俺とあいつは真逆の立ち位置で、人の幸せを願っているからな。なあ、秋田くん。君は死ぬまでに一度でいいから大きなことを成し遂げたいとか、生きた証が欲しいって思ったことないか?」


「そりゃあ、ありますよ」


「これは以前、心理学の先生から聞いた話なんだけど、その先生がアメリカに行って凶悪犯を収容している刑務所を訪問した時、受刑者たちに一番怖いものは何かってたずねたんだ。なんだと思う?」


「お金がなくなることですか?」


「意味のない人生。そこにいる人たちは、子供の頃から貧乏で、お腹をすかして盗みを繰り返していた人が沢山いたんだ。でも、誰一人、貧困が怖いと言わなかったんだよ」


「何か、考えさせられる話ですね」


「ああ。それともう一つ、これは別の心理学者が言っていた話なんだけど、退屈であるということは、人間にとってとても危険な状態なんだそうだ。さっきも言ったけど、人は人生の意味を求めたがる。退屈していた時に、他人から君にしかできないことがあると言われたら、心動かない?」


「ええ。ちょっと引かれます」


「テロ活動をしている人たちから話を聞くと、退屈だったから組織に加わったって答えた人がけっこういたんだ」


「あっ、俺、来紀さんと大世さんが目指しているものが、何となく分かって来ました。つまり、二人はそれぞれ違う形の救いを提供しているんですね」


「その通り。俺の救いはいわば、動の救い。人に退屈を与えず、誰かのために役に立っているという実感を皆に与えることを目指しているんだ。それに対し、大世の救いは、静の救い。人生に意味なんか求めなくてもいいじゃないか。それよりも、目の前の人たちと一緒に楽しく過ごそうよ。あいつはそういう立ち位置で、やっているんだよ」


「動の救いと静の救い。やり方を違うけど、苦しんでいる人を救いたいという部分は共通しているんですね」


「ああ。納得してくれたか?」


「はい」


「それじゃあ、休憩終わりということで、ちょっと見ていてくれ。今、その手すりの上を滑るから」


「分かりました。じゃあ、俺はそこから来季さんの滑るところを録画しますね」


「ああ。頼む」


 秋田はポケットからスマートフォンを取り出し、来紀が滑り降りてくるところを撮るため、手すりがついた階段の下に移動した。


「来紀さん。いつでも、いいですよ」


「じゃあ、いくぞ」


 スケートボードに乗った来紀は、勢いをつけて手すりの上に飛び乗った。


 そしてその上を軽やかに滑降し、最後は見事に着地した。


「来紀さん。完璧です」


 秋田が口を開いた。


「今の映像、見せてくれ」


「はい」


 秋田は録画した映像を来紀に見せた。


「うん。これなら、今よりも傾斜がきつくてもいけそうだな」


 来紀は大変満足した表情を浮かべ言った。

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