第25話 バー・トロピカルへ

 夜になり正体が分からないよう変装した吉本太一は、松岡ジュリアが働くバー・トロピカルに足を運んだ。


「いらっしゃいませ」


 中に入ると、南国風の音楽とともに、褐色に焼けた若い女性が、すぐに太一の側に来た。


「おひとり様ですか?」


「はい」


「では、こちらへ」


 太一はバーカウンターの方へ案内され、席についた。


「こちらにメニューが書いてあります。お決まりになりましたら、周囲の者に声をおかけください」


「分かりました」


 とりあえず飲み物だけは先に頼んでおこうと思い、太一はメニュー表を開いた。


 だが、聞いたことのない名前のカクテルばかりで、何を頼んでいいか全く分からなかった。


 困った太一は、メニュー表に店で一番人気と書かれていたピニャコラーダを注文することにした。


「すいません」


 太一は向かいにいるバーテンダーに話しかけた。


「はい」


「ピニャコラーダを一つください」


「かしこまりました」


 バーテンダーは注文票に注文されたものをメモすると、早速、カクテルを作り始めた。


 シェイカーに3種類ほどの液体を混ぜてシェイクし、それをクラッシュアイスが入ったグラスに注いだ。


「お待たせいたしました。ピニャコラーダです」


 出てきたカクテルは、薄い黄色の飲み物だった。


 太一は早速、口をつけてみた。


 これはいい。


 甘いパイナップルの味がまろやかに口の中で広がった。


 太一は三口ほど一気にカクテルを体の中に流し込んだ。


 普段、あまりお酒を飲まない太一だったが、このお酒は大いに気に入った。


 しばし南国の風味に浸っていると、お客と楽しそうに会話する松岡ジュリアの声が耳に入って来た。


 おっと、いけない。


 遊びに来たんじゃなかった。


 当初の目的を思い出した太一は、店内の様子をゆっくりと観察し始めた。


 学校の教室ほどの広さがある店内には、ジュリアを含め、4人のホールスタッフがいた。


 客の多くは常連のようで、みな楽しそうに談笑していた。


 ジュリアはその中でも特に人気らしく、客から何度も声をかけられ、笑顔で言葉を返していた。


 数分後、入り口から明らかにカタギの雰囲気ではない男性が4人、店内に入ってきた。


 太一は時計に仕込んだカメラをその男たちの方へ向けた。


「ジュリアちゃん。また来たよ」


 花束を手にした少し背の低い小太りの男が口を開いた。


「いらっしゃいませ、松田さん」


 ジュリアが引きつった笑顔を浮かべながら答えた。


「これ、花束。受け取って」


「はい……。いつも、ありがとうございます」


「あれ、なんか元気がないな? 迷惑だったかい?」


「いえ。ただ、毎回お花を受け取るのも……」


「ひょっとして、お花よりバックとかの方が良かったかな?」


「いえ。その方が困ります」


 ジュリアはすぐに否定した。


「あっ、お席にご案内いたします。4名様でよろしいですか?」


「うん」


「どうぞ、こちらへ」


 ジュリアは松田との会話を切り上げ、彼らを奥の席に案内した。


 太一はカウンターにいるバーテンダーに話しかけた。


「すいません」


「はい」


「今来た背の低い人、どなたかご存知ですか?」


「あの人は、宗教団体の幹部さんです」


「えっ? そうなんですか?」


 太一は松田のことを全く知らない体で答えた。


「ええ。お名前を松田さんといい、確か、導きの……」


「導きの朝」


「そう、それです。そこの幹部の方です」


「なんで、ジュリアさんはあんなに言い寄られてるんですか?」


「初めて店を訪れた時、ジュリアさんに良くしてもらったことがきっかけで、火がついちゃったんですよ」


「そうだったんですか。大変そうですね、ジュリアさん」


「ええ。ですが、宗教団体の幹部なのでこちらが強気に出ればどんな仕返しをされるか分からないですし、お客としては毎回部下を連れて来てくれるので、経営の面では大変ありがたい存在でして」


「お店としても、扱いが難しいですね」


「はい。あっ、お客様。そろそろ飲み物が空きますが、おかわりはいかがですか?」


「ええ。では、同じものをもう一つお願いします」


「ピニャコラーダですね。少々、お待ちください」


 バーテンダーは再びカクテルを作り始めた。


 これで話の裏は取れた。


 あとは松田の迷惑行為を録画すれば終了だ。


「ジュリアちゃん。僕ともっとお話ししようよ」


 松田は積極的にジュリアに話しかけていた。


「すいません。他の人の所にも行かないといけないので」


 ジュリアは引きつった笑顔を浮かべながら答えた。


「えー。そんなこと言わずにさ」


 松田は全く怯む事なく、ジュリアに言葉を返した。


「お待たせいたしました、ピニャコラーダです」


 バーテンダーがカクテルのおかわりを太一の前に置いた。


「ありがとう」


 太一はカクテルに口をつけながら、松田の様子を録画し続けた。

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