欲しいし幸せは、何ですか?

交刀 夕

第1話 それ以上、言ってはいけない刑事


 指定された待ち合わせ場所は、ホテルのカフェだった。


 先に到着した看護師の川上小夜(かわかみ さよ)は、注文した紅茶をすすりながら男が来るのを待った。


「すいません、川上小夜さんですか?」


 視線を向けると、そこにはプロフィール画面で見た通りの、彫りの深い顔立ちをした男が立っていた。体はしっかり引き締まっており、普段からきちんと節制していることがうかがえる。


「はい、そうです」


「初めまして。N県警で刑事をしております、喜代次亘(きよじ わたる)です」


「こちらこそ、初めまして。労災病院で看護師をしております、川上小夜です」


「お待たせして、すみません」


 喜代次は謝りながら、向かいの席に座った。


「いえ、私も来たばかりですから」


「いらっしゃいませ」


 ウェイターがメニュー表を手にこちらにやって来た。


「コーヒーを一つ、お願いします」


 喜代次はメニュー表を受け取らずにコーヒーを注文した。ウェイターはすぐに下がっていった。


「本日は来てくださり、ありがとうございます」


 小夜は丁寧に喜代次にお礼を言った。


「いえいえ、こちらこそ。やはりマッチングアプリだと、相手が本当に来てくれるかどうか不安ですよね」


「ええ。とても不安でした」


「えっ、今回初めて利用したんですか?」


「はい。周りから勧められて」


 小夜の口から自然と嘘の言葉が出た。マッチングアプリを始めて、小夜はすでに3人の男と会っていた。正確にいうと、遠目から男の姿を見て帰ったこともあるので、その数を入れれば喜代次で7人目だった。


「ということは、川上さんの同僚や友人にマッチングアプリで結婚した人がいるんですね」


「実はそうなんです。喜代次さんは、どういう経緯で登録したんですか?」


「私は将来のことを考えて出会いを増やさないといけないと思い、登録しました」


「分かります。職場にいい人がいなかったら、ネットで出会いを求めるしかないですよね?」


「ええ。おっしゃる通り」


 二人は互いに笑い合った。いい雰囲気だ。ここまでは合格。


「刑事さんって、お仕事はお忙しいんですか?」


「そうですね。事件が起きれば休みはないですね」


「休みの日は、何をしているのですか?」


「ボクシングをしています。体を動かすのが好きなんです」


「それならタバコは、吸われない?」


「はい」


「お酒は?」


「付き合い程度ですね」


「やっぱり、体の事を気遣っているんですね」


 よし。このハードルもクリアー。


「川上さんは、お休みの日は何をしているんですか?」


「私は友達と食事に行ったり、カフェでお茶をしたりします」


「何をよく召し上がるんですか?」


「イタリア料理です。姉がイタリア料理店でシェフをしておりまして、試作したものをいただいているうちに好きになりました」


「素敵な理由ですね」


「ありがとうございます。喜代次さんに、ご兄弟はいらっしゃるのですか?」


「2つ上の兄がいます」


 その時、喜代次の胸ポケットから、メールの着信を知らせる音が鳴った。


「失礼」


 喜代次は胸からスマートフォンを取り出し、メールを確認した。


「すいません。遺体が出たのでこれで失礼致します。予想した通りのサンプルが得られ、大変有意義な時間を過ごせました。ありがとうございます」


 喜代次はポケットから財布を取り出し、1000円札を2枚、机の上に置き立ち上がった。


「えっ?」


 サンプル? 小夜は喜代次の発言の意味が全く分からなかった。


「あっ、あの」


 立ち去ろうとする喜代次を、小夜は呼び止めた。


「はい?」


「サンプルってなんですか?」


「実は個人的にマッチングアプリを利用する女性の言動について調べていたんです。あなたは私の予想通り、男性をスペックで判断した後、DNA検査でもするかのように生活習慣や家族構成などを聞いてきました。これでまた一つ、自分の仮説に自信が持てました。ありがとうございます」


 喜代次は笑顔で答えた。


「コーヒーはご自由に飲んでください。それでは、失礼します」


 喜代次は体の向きを変え、入り口に向かって歩き出した。だが、二、三歩向かった所で足を止め、再び小夜の前にやって来た。


「一つ、お伝えすることを忘れていました。今みたいな質問は今後男性にしない方がいいですよ? 聞いているこっちはドン引きしていますから。それでは」


 喜代次は再び席から離れていった。


 小夜はそんな彼の後ろ姿を眺めながら、マッチングアプリはもう二度としないと心に誓った。

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