第26話 【音梨夕愬】余命半年 その伍
モノクロのてるてる坊主それが俺の走馬灯なのかと思った途端に、
俺はまた白衣の天使たちに囲まれていた。
今度は親父も母親も揃って見守っていた。
「夕愬!何を考えてるんだ!お前は!」と珍しいほど怒っている親父と、
「もう何も心配しなくていいのよ」と涙を流すいつも通りの母親に医者は別の病院への転院を勧めていたが、世間体が一番大事な両親は目覚めた俺を家に帰した。
変わらない日々が少しずつ変わっていた。
いつの間にか世の中は携帯電話が当たり前に普及し、ラグチュー仲間も携帯電話の番号を教えてくるようになった。
姪はと言うと、姉が姪の友人の親に対して罵る電話をしたとかで拗ねて一人家出してきては、力ずくで迎えに来た姉が日々姪に対して振るう暴力が明るみに出て母親が二人を引き離すため、姪がまたこの家に居るようになった。
高校生にもなった姪はさすがに風呂も自分で入るし、寝る時も仏壇の前に布団を敷かれて寝ている。
朝学校へ行く時に、ふと見送ろうと俺は部屋の窓から姪の姿を見るが、少し目線をずらせば隣の姉の家の窓には白雪姫に出てきそうな魔女の様な顔で娘を睨みつける姉の顔が見えた。
その頃は姉の家には犬や猫が沢山居た。
この家にも今度は外犬だが中型犬がいた。
姉と姪の関係性はこの家に初めて来た時からきっと変わらないのだろうと思っていた。
姪は姉を母として愛しながら距離を取り、姉は姪を前の夫の娘として毛嫌いしながらも従順なペットのように育てようとした。
小さいうちは知識が足りないと親は絶対的存在だから従う他ない。
それは俺もよく知っている。
ある程度成長した姪は姉の言葉に間違っていると言う事が出来るようになった。
言葉で敵わなくなった姉の取る行動はイライラの募ったただの暴力しかなくなった。
姪はその暴力暴言が他人に向かった事をとても怒っているようだった。
「ママが友達のお母さんに電話ででも謝るまで帰らない」となかなか頑固だ。
俺にしてやれることなんかあるのかな?とふと考えたりもしたが、再び病院から帰ってから俺がやっている事と言えば、
姪が出かけた後、パチンコやに行って一日中パチンコを打っているだけだった。
勝った時には姪を呼んでお小遣いをあげていた。
それしか俺に出来る事なんかないんだ。
金の出どころはもちろん親からだ。
母親は俺に長生きしてほしいからと3年に一回生存給付金というものが貰える生命保険に加入させた。
生きているだけで得なんだと言いたかったのだろう。
死亡時うん千万円が親父に戻る保険。
親父が払って親父に戻るだけの俺の死の値段は0円て事か。
パチンコの勝ち分の他にも生存給付金も姪にお小遣いとして渡していた。
俺が生きている事が姪に少しでも得になるようにと。
不思議ともう一人の姪はこの家にはほとんど来ない。
おじいちゃん子でも、おばあちゃん子でもなく、外で友達と遊ぶわけでもなく、何となく昔の俺に少し似ている。
朝は魔女の様な姉から姪を守るために、庭まで出て姪に
「いってらっしゃい!」と大声で言うようにしている。
姪もあまりの声の大きさにびっくりしながらも手を振っていってきます!と言ってくれる。
もう一人の姪は声をかけても走って逃げるように登校してしまう。
家出から数か月、姉は姪に直接連絡して携帯電話を買ってあげるから帰って来なさいという交渉をした。
意外なことに姪はそれですんなりと帰った。
携帯電話買ってやればよかったな。あ、俺無職か。
携帯電話を買ってもらった姪は俺にも携帯番号を教えてくれて、とても嬉しそうだった。
俺も携帯電話で時々姪に連絡するようになった。
「パチンコで勝ったからお小遣い取りにおいで」と。
家に帰ってから姉の暴力はおさまったらしい。
それどころか姉は暴力を振るった記憶を消してしまったらしい。
ただ、おさまったのは暴力だけ。
暴言は相変わらず挨拶のように日々投げかけられているようだが、姪はそれに反論する術は既に身に着けている。
言葉の大喧嘩は長ければ6時間にも及ぶらしい。
結果姪が勝つことが増え、姉はこの家に時々来ては、文句を垂らした。
「あの子は大嫌いなあの人にどんどん似てくる我儘ばっかりで嫌になる」と。
母親はなんだかんだと娘の肩を持つ。
昔冷たくしたことを母親なりに気にしているのだろう。
親父はというと定年退職後も小学校の用務員の仕事なんかをしていてあまり介入しないが孫が一番な人だ。
誰も俺にもう仕事をしろだなんて言わないし、俺も仕事をしないでパチンコしかしていない。
時々ラグチュー時代の仲間から電話が掛かってくるが出るのが怖いから留守電にしている。
それでも、誰かと知り合いたい。
誰かにこの家から俺を出してほしい。
そんな時、知らない番号から電話が掛かってきた。
とりあえず出るだけ出てみるかと、通話ボタンを押した。
「もしもし?」と女の人の声だ。
「もしもし?どなたでしょう?」と答えると、女の人は慌てていた。
「あ、ごめんなさい番号間違えちゃったみたいです。すみません」と言っていた。
「いえいえ、そんなこともありますよね。では」と言って俺は切った。
知らない女の人とはいえ家族でも親戚でもない女の人と電話で話すなんてドキドキして俺の心臓は止まりそうだった。
不思議なことに、その後その女の人はまた俺に電話をしてきた。
「先日は間違い電話ごめんなさい。あなたの声があまりにも頭に残ってまた聞きたくなっちゃってかけてしまいました」と。
人生で初めての恋なんじゃないかと思うほどにドキドキドキドキと胸が高まっていった。
「そんなこと言って貰ったらドキドキしちゃいますよ」と意外とさらっと思ったことが言えた。
電話だからか、相手も俺の姿を知らない、家柄だって知らないだろう。
そんな始まりから俺はその人とよく電話で話すようになった。
彼女の名前は三石月数美さんと言うらしい。
会うこともなく、ただ数美さんの日頃の話を聞いていた俺は数美さんの声と話し方だけでとっくに好きになってしまっていた。
姪はいつの間にか高校も卒業して専門学校に通っていた。
なんだかんだと当時流行りのプチ家出も多くあまり家にも帰っていないようだった。
この何十年と姪だけが心の救いだった俺に歳も俺とあまり変わらない未婚の女性がなんと、失恋して間もない状態で俺と毎日のように連絡を取っている。
これは運命の出会いというやつなのか?
姪に連絡してダイエット宣言をして、俺は毎日飲んでいたコーラもお菓子もやめてジョギングを始めた。
数美さんに会いたくてダイエットを始めたことも電話で話したら、
「嬉しいけど、私太っちょさんでも夕愬さんのこと嫌いにならないから無理しないでくださいね」と言われ、有頂天で少しだけ痩せた。
コーラをやめただけで痩せたようなものだな。
「お兄ちゃん超やせたじゃん」と姪も褒めてくれた。
少し自信がついたところで、数美さんに会いませんか?と連絡をした。
「私も会いたいです。会いに来てくれますか?」と言われた俺は、
「今すぐ行きます」と隣の県まで車を夜道飛ばして向かった。
待ち合わせのファミリーレストランの駐車場に現れたのは40近いとは思えないほど美人でスタイルのいい女性だった。
「夕愬さん?くまさんみたいでなんか安心する」そう言って俺を見るなり抱きしめてくれた。
「数美さんなんて綺麗な人なんだ。会いたかったです」そう抱きしめ返した30代後半がその後することなんて相場が決まっているだろう。
だが俺は経験値がない。
数美さんに素直にそれを伝えると、気にしないでいいと数美さんの部屋にお邪魔することになった。
こじんまりとしたアパートだけど部屋の中は整理整頓されていて、俺のために作ってくれたホワイトシチューの香りがした。
ホワイトシチューとワインで乾杯をして、ほろ酔いになった数美さんは大胆にボディタッチをしてくるもんだから、俺の股間はパンパンになってしまって立ち上がることも恥ずかしくてできない。
俺にこんな日が来るなんて思ってもいなかった。
生まれて初めて心から思った
「生きていて良かった」
経験値のない俺は何もできないまま、数美さんに手を引かれベッドに移動して、数美さんの手や口が俺を愛してくれて、何度濁った汁を吹き掛けてしまったか分からない。
昔一人でクラスの女子たちを思い出して出した時とは気持ちよさが全く違う。
「夕愬さん、私も気持ちよくなりたいです。触れてくれませんか?」とトロンとした目で言われ、
おもむろに、彼女の胸を鷲掴みしてしゃぶりついた。
「あ、」と言う漏れ聞こえた声に更に興奮して触れたことのない場所に指を滑らせると声以上に濡れ溢れていてヌルンと指が入ってしまった。
彼女の反応の良さに俺は避妊具すら忘れてそのまま繋がりたくなった。
「いいですか?」と聞くと、息遣いの荒くなった数美さんはただ頷き、手で場所を教えるように俺を受け入れてくれた。
その夜は何度彼女を抱いたのだろう。
翌朝、いや、昼だな気づけば二人とも一糸まとわず抱き合って眠っていた。
目覚めた俺は数美さんにキスをして優しく胸を触り、それに気がついた彼女は耳元で囁いた。
「もう一度……」
お酒が抜けても愛し合いこの人となら俺は幸せになれる。
そう思って、数美さんに結婚前提で一緒に暮らしましょうと告白した。
「嬉しいです。仕事の関係もあるからここで良ければ来てくれたら私幸せです」と人生初の彼女といきなり同棲が決まった。
すぐさま家に帰って彼女を紹介したかったけど、それは少し待ってほしいと言われたので親には彼女が出来たから彼女と一緒に住むとだけ伝えると。
寝具一式と通帳と印鑑を渡された。
彼女との同棲生活が始まった。
俺こんなに幸せでいいのか?ってくらい彼女は料理も上手で床上手で美人で優しい。
毎日彼女を抱いて幸せを嚙みしめていた。
生活費は親がくれた預金から出していた。
家事は全部彼女任せだった。
3か月が過ぎた頃、毎日のように言っていたはずの愛の言葉をどちらも言わなくなった。
夜も誘っても断られるようにもなった。
大好きなのに、大好きだと言葉に出すことがなぜかできなくなった。
そして、言われた。
「私はあんたのお母さんじゃないのよ!出て行ってよ」と。
言われてしまったので、荷物をまとめて実家に帰った。
この初老近い俺はまだ、俺が幸せになることだけを考えて相手を幸せにしてあげようと考えることが出来なかったんだな。
実家に帰ると親父も母親も変わらず前と同じ日常だった。
姪はプチ家出を繰り返しながら学校に行ったり遊んだりしていた。
でも、あの間違い電話から始まって終わってしまった初恋は俺にとっては幸せでしかなかった。
嫌われてしまったのなら、深追いは厳禁。
今まで通りの日々が再開しただけだ。
てるてる坊主・てる坊主 かねおりん @KANEORI
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