3 ベティーの決断
男の腕や足は太く、筋肉質の立派な体格だった。そのためか、足や腕、肋骨にひびが入り、凍傷を負っても命は助かったのだろう。
なんとか意識が戻ってくると、男は体中に痛みがあるため顔をゆがめながらも
「助けてもらい、感謝する」
礼を言うと、起き上がろうとするが、横にいるベティーが
「無理しないで今は休んで」
寝るように促すが、男は
「いや……そうもいかない……」
息も辛そうだが、急いで何か伝えたいことがあるらしく、とぎれとぎれに事情を話した。
男は山脈を越えたウスルムという小さな村から来たという。
その村でも黄斑病が蔓延し、すでに数人が亡くなっている。村は北の街に助けを求めようとしたが、隣接の町は感染を恐れてロックアウトし、吊り橋まで壊され孤立状態になり、このままでは全滅する状況だった。
そこで、薬を調達するため、村で一番屈強なこの男が山脈を決死の覚悟で越えてきたらしい。
◇
話を聞いた村長や村人達が、男のことで話し合いをしている。
ベティーも後ろで聞いていた。
「来たのはいいが、薬をどうやって持って帰るつもりだ」
「歩いて戻ると言っているが、あの体では到底無理だ。そもそも、夏でも雪の残る険しい山脈だ、まだ冬と言ってもいい時期に越えられない。座して死を待つより、一か八かで来たのだろう」
「しかし、どうする……」
この先の話になると、村人は閉口する。
「………悪いが、どうしようもない」
話は行き詰まる。
後ろで聞いていたベティーもうつむいて、何か考えているようだ。
様子を察したミーが足元で
『まさか、いくつもりじゃ……』
このまま穏やかに旅を続けたいミーだが、ベティーは顔をあげ
「私が行きます! 」
村人は一斉に振り向いてベティーを見たあと、村長が一歩前に出て
「馬鹿言うな! 」
怒るような口調の村長に、ベティーは
「置き薬や結界の補強も終わって、そろそろ旅立とうと思っていたところですから」
「そんな問題ではない。山頂には強烈な風が年中吹いている。こちらからは向かい風で氷点下の寒さだ。しかも、箒で越えるなんて無理だ」
「そうですが、頑張ればなんとかなる……かもしれません。もう、ほかに手はないでしょ。このままではウスルムの村の人は全滅します」
泣きそうな声のベティーに、村長は穏やかな表情になり
「気持ちはわかるが、ベティーはこんな辺境の村に来てくれる唯一の魔法使いだ。結界の維持や、貴重な置き薬を作ってくれて皆な感謝している。そんなベティーに、危ないことをさせたくないのじゃ」
村長の言う通り、ベティーの魔法は戦闘系以外は普通の渡り魔女程度で、箒の飛行能力は子馬程度だ。
ちなみに、ベティーは村人に戦闘系の魔法をみせたことはなく、その必要もなかった。このため、村人はベティーが普通の渡り魔女と思っている。
今ウスルムの村を助けに行ける可能性は、箒で飛べるベティーしかいないのも事実だが、村長は引き止めようと
「聞いたこともない村だ。広大で険しい山間の小さな村を探すのは無理だ。間違いなく遭難してしまう」
「おじさんを道案内で連れて行きます。それに、帰りを待っている人がいるのでしょ」
そう言って男の方を向くと、男は小さくうなずいた。
聞くと、妻と三人の子供がいるらしい。
できれば男を置いて荷物を軽くし、ベティーだけで行くべきだが、村への案内が必要で、重くなるが連れて行くしかない。
村人達は、唯一村に来てくれる魔女のベティーに危ないことはさせたくないので反対するが、ベティーの意思は固く、危なくなったら迷わず戻る約束で、やむなく同意した。
話を聞いていたウスルム村の男は、村人やベティーに向かい深々と頭をさげた。
◇
部屋に戻って支度をするベティーにミーが
『本当に行くのかい』
「ミーは無理することないよ」
『今更だし。僕も行くよ』
できればミーは留まるべきだが、心細いこともあり、いけないと思いつつも、強く拒否できなかった。
こうして何も答えないベティーを察し、ミーは話題をかえ。
『ベティーって、ここでは皆なに感謝されているね。前の街に来た王宮騎士なんて、クソミソに言ってたのに』
「大きな町には優秀な魔女が大勢いるからね。私は落ちこぼれだし」
少し投げやりなベティーに
『でも、戦闘系の魔法はすごいじゃない』
「そんなの何になるの、私は武器じゃない。他の魔女は、医療、調理、人探し、占いとか、役に立つ特別な魔法が使えるけど、私は魔女なら誰でもできる、簡単な薬の調合と結界の補強くらいしかできない」
励ましたつもりが泣きそうなベティーに、ミーは言葉を間違えたと自省した。
神獣を一撃で倒す魔法を使えるベティーが、辺境で渡り魔女をしている理由のひとつかもしれないと感じ
「ごめん、そんなつもりじゃ。でも、薬や結界の維持も大切なことだよ」
「薬の調合だって、他の魔女はもっと良い薬をつくれる。黄斑病の薬だって、南の魔女は簡単につくれるけど、私は時間がかかるし……」
話の流れでネガティブモードに陥るベティーに
『今の僕だって愛玩動物だし、なくても問題にならないカレーの
励まそうと気をつかってくれるミーに、自分が愚痴を言っているのに気付いたベティーは
「そうだね。私にとって福神漬はとっても大事だし。でも、口の減らない猫だね、人間の生まれ変わりじゃないの」
『人間なんかと一緒にするなよ。今の、僕が最良なんだよ』
憤慨するミーに、ベティーは笑顔になってうなずいた。
◇カルディア山脈
翌早朝
身を切るような寒さのなか、宿舎を出て旅立ちの準備をする。
向かう山脈の空が次第に明るくなるが、わずかに星が
『天気悪いね。ここら見ても雲の流れが早いよ。ほかの日にすれば』
出発に消極的なミーが、ベティーの足元をうろつきながら鳴く
「今はこれでもマシらしいよ。急がないといけないし。なんとしても、一日で越えたい」
『そうだよねーー』
ベティーは分厚い防寒着を着こみ、ウスルムの男にも防寒着を着せて担架に乗せ、箒に紐で吊るようにしている。さらに薬草の袋も下げると、かなりの荷物の量だった。
『こんなに荷物を積んで、飛べるの』
「大丈夫と思うけど……」
頼りない返事のベティーは、自身の荷物は最小限にした。
普段はリュックと、鞄二つ程度に旅の食料や衣類、若干の交易品を持っていくが、交易品はなく、衣類や食料も半分程度にした。
出発の時間がくると、準備を手伝ってくれた村長達が見送りに来てくれた。
出発直前に役場のおばさんがベティーに、寒いからとカイロを渡しながら
「気を付けるんだよ。危なくなったらすぐに村に戻っておいで」そして耳元で
「いいかい、本当に危なくなったら、男のことは捨てて戻ってくるんだ。自分の命を最優先にするんだよ、共倒れなんて最低だからね」
役場のおばさんの話はもっともで、ベティーは苦笑いしあと
「はい……」
とりあえずの返事をして、箒にまたがる。
少し浮き上がり、さらに担架も地面から離れると、箒が大きくしなり、よろけながら、なんとか浮かんでいる。
すると下の担架に乗せられている男が
「お嬢さん、もし危なくなったら。構わず俺を置いて戻れ」
「おじさんまで、ばかなこと言わないで」
ベティーはきつい口調で答えると、ふらつきながら上昇し、山脈に向ってゆっくりと進み出す。
こうして、ヨタヨタと飛び去るベティーを、村人は心配そうに見送った。
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