夜の帳、暁の火

@ravenwood_09

夜の帳、暁の火

 夜が来る。~砂狼の民がすべてを破壊するバッファローの群れの暴走を例えた言葉~


 夜が来る、なるほどわかる表現だと紅い翼のテュルクは遥か眼下の実物を見て理解した。

 雲一つない蒼穹の元、夜、と例えるのがふさわしい暴威の群れだ。

 地平線まで届くほどの野牛の群れが、一心不乱に世界の果てを目指している。

 彼らの体表は夜闇のビロードのように黒く、陽光を反射する瞳は夜空に輝く星のごとくである。


 その様は確かに世界が夜の帳に包まれるように抗いがたい節理のように感じられ、事実としてあの暴威の訪れを阻んだのはたった一度だけ、雨竜がその進路にいた時だけのことだ。それだけでこの砂海に生きる民にかの竜が守護者として祀られているといえば、どれだけの災厄かうかがい知れる。テュルクはガス交じりに嘆息した。かの世界の災厄に数えられる雨竜と比べたら、自身は有り体にいってありきたりな火竜に過ぎず、彼女に並んでやる、などと意気込めるほどに世間知らずでもない。


 事実として、その他の身の程知らずの竜や魔人や英雄気取りがどれだけ粉砕されこの砂の一辺として混ぜ合わされたかは枚挙にいとまがない。かつては砂海の覇者として知られた砂竜さえ、屍となって都の礎になるのが関の山だったのだ。屍を都市にされてなお踏みにじられるとは、他人事ながら同情を感じえなかった。


「殿下、間もなく交戦予測地点に到達します」


 そう告げたのはもちろんテュルクではなく、テュルクが告げられたのでもない。

 彼を擁する飛空艇の船員が、彼の相棒に告げたのだ。

 テュルクはその広い視野の端で相棒の姿を捉えていた。全身を荘厳にして軽量化が徹底された独特の全身鎧に身を包み、まるで物珍しい自然現象でも観光するかのような気安さで野牛の暴走を見下ろしている。


「本当に行くのか」

「征く」

「砂狼の民はもうとっくに連中の都から避難している、野牛共がさればいずれ都も再建されるだろう。帝国の権益が損なわれるといったところで、一時的な話だ。貴様が命を懸ける価値が本当にあるのか?」


 テュルクの言葉は、改めて相棒の意思を問いただす意図はない。

 彼の相棒の回答は常に決まっていて、これは出撃前の一種の儀式のようなものだ。彼と相棒の間だけで行われる、出撃前の儀礼。


「故郷はさ」

「あん?」

「壊れないにこしたことはないだろ」


 万事この調子だ。竜である自分より遥かに脆くて儚い命の癖に、いつだって彼の相棒はそれで救われる者がいるなら迷わず命を張る。皇位継承権ですら、末席だからいなくなっても誰も困らないだろうとさえいったことがある。正真正銘のバカだ。要するにテュルクは相棒のバカさ加減を毎回確認しているのだ。


「俺はいいが、少しは貴様に振り回される奴らを慮ってやれ」

「そうなのか?ダルトン」

「滅相もございません!我ら第十三竜騎兵隊は、地の果て地獄の底でも殿下にお力添えする覚悟であります!」


 全く持ってバカばかりだ。しかし、テュルクが面と向かってそれを言ったことはない。何故なら竜種の癖に、このバカの集団を見捨てたことがない自分が一番のバカだと痛感していたからである。


「はは、そこまでついてこなくてもいいさ。地獄への道連れはこのテュルクだけで」

「俺は付き合わされるのか……」

「そう契約したろ?」

「したさ、したとも」


 ここまで無茶に延々付き合わされるとは、当時のテュルクも全然予想していなかったのだった。


 そんな出撃前の日常を再演する合間にも、ぐんぐんと地を覆いつくす夜の訪れとの距離は詰まっていく。

 実際この竜騎兵運用のための飛空艇は大した性能だった。おかげで万全の状態で強敵に当たれる。

 そして距離が近づいたことで、地平線まで埋め尽くす夜の帳、小高く盛り上がった箇所まで正確に見えてきた。


 その巨体は、まるで王城さながらであり多数の野牛が数によって暴威をなしているとすれば、その個体は単独でもって爆走する移動要塞そのものと言えるだろう。群れの主だ。ダルトンと呼ばれた隊員が重々しく告げる。


「殿下、やはり学者による事前の推定通り、交戦開始から阻止到達限界点までおよそ三分ほどの猶予しかございません」

「それだけあれば充分だ、いってくる」

「ご武運を」

「ああ、料理長にはバッファローのステーキをオーダーよろしく!」


 まるで朝の散歩にでも行ってくるような気安さで、相棒はテュルクの背につけられた鞍にまたがると、格納庫の天井から降りてきた異形の騎兵槍をつかみ取った。その槍は槍、というよりも、巨大な金属製の杭と呼ぶのにふさわしい代物だ。彼らは過去にも多くの脅威をこの槍で打ち取ってきた。


「いくぞ」


 相棒の言葉と共に、飛空艇下部に位置する格納庫の前方が展開する。

 青空、砂海、そしてその合間を浸食する夜の群れが二人の視界を支配した。乾いた砂の香りがテュルクの鼻腔を占拠する。そのまま、撃ち出される砲弾よりも早く火竜は飛び立った。


 先ほどの飛空艇とは比べ物にならない速度で、主の姿が小石から岩に、そして貴族のお屋敷ほどのサイズへと視認されていく。向こうからもこちらの存在は見えているはずだが、何ら意に介する様子はない。ちっぽけな火竜など羽虫も同然というわけだ。


 二人は主が眼前に迫ってなお、言葉を交わさない。

 やるべきことは定まっていた。暗殺の矢めいて、一直線に急襲する。

 いまや群れの主は王城のそれよりも大きくそびえ立ってすべてを破壊する暴威を先導している。

 当然、真正面からぶつかれば負けるのはテュルクの方だ。あまりにも質量が違いすぎる。

 馬車にぶつかった燕が吹き飛ぶのに等しい。


 テュルクは野牛の主の鼻先をかすめるように飛び去ると、そのまま円を描くように宙返りすれば円の頂点で反転し、相棒の乗る背を大地へと向けた。至極自然に、彼の相棒は群れの主に向かって自然落下を始める。


 凡人からすれば自殺行為としか思えない所業ではあるが、相棒はまるで気にせず湖面への飛び込みめいて身をひるがえし、槍を突き出した。目指す先は野牛の主、その頭部頂点。その間テュルクもまた次の展開に備えて滑空する。


 人一人の重さを背負って飛来した騎兵槍。それはあたかも振り来る落石めいて落下し、まっすぐに怪物の脳天に直撃した。直撃したのだが。


「!?」


 次の瞬間、テュルクは相棒が天高く跳ね飛ばされているのを目撃した。この期に及んで槍は掴んだままなのだから大した根性だろう。そしてこの程度の逆境など彼らにとって日常茶飯事に過ぎない。高々と空中旅行する相棒を、テュルクは螺旋を描くようにくらいついては落下直前に前足で捉える。


「ダメだったな、あきらめるか?」

「……いや、当たった瞬間、切っ先が食い込んだのは感じた。跳ね飛ばされたのは野郎もそれを感じたからだ」

「だったらどうする」

「私をあいつに向かって投げつけろ、テュルク」

「貴様はつくづくバカだな、ええっ!?」


 罵倒の言葉と共に、テュルクは再び天高く舞っては疾走する夜の帳へと追いすがる。

 相棒がテュルクに言うには、自然落下では威力が足りない。だが竜の飛行速度を持って撃ち出されれば、槍は届くという。その無謀な提案に心底呆れたが、テュルクにとっては今更ではあった。


 速度では流石に竜が勝る。あっさりと追い抜いたのち、火竜はその身を再び翻して空高く宙返りすれば、流星に勝る速度を持って落下の後、前腕に掴んだ騎手を星めいて撃ち出した。銀の甲冑が、蒼天に軌跡を描く。銀の軌道を。


「う、おおおおおおおぉぉぉぉおおおおお!!!!!!」


 銀の流星は、過たず今度こそ恐るべき怪物の脳天へと直撃した。巨大な槍は深々と半ばまで夜闇を貫き埋もれこむ。次の瞬間、大地を揺れよとばかりの咆哮が世界すべてを揺るがした。だがまだ息絶えてはいない。


 しかして、この程度で終わりではないのは竜騎兵もまた同じであった。

 テュルクは三度身をひるがえすと、ある一点を目指す。狙うは突き立った騎兵槍、その石突だ。

 頭を貫かれ悶絶し身をよじる怪物、その荒れ狂う頭部を正確に捉えれば、テュルクは猛然と槍へとくらいついた。同時に、相棒もまた超人的な跳躍でもって火竜の鞍へと飛び乗る。


「やれ!テュルク!」

「言われずとも!」


 あたかも巨大な火打ち石の打擲音が鳴ったかと思えば、怪物の絶叫に勝るとも劣らないとてつもない轟音が野牛の主、その頭部の中で鳴り響いた。怪物の両目は水風船のかくやの勢いで飛び出て、鼻からは黒い噴煙がもくもくとあがったかと思えば、恐るべき怪物は断末魔さえ上げることなく横転し、大地へとその身を投げ出した。無数の野牛がその事態に反応できず、生きたまま敷き絨毯へと生まれ変わる。


 火竜槍。


 それは人類の現在持てる技術を注ぎ込んだ火竜の吐息を収束、増幅する最新の兵器であり、そして火竜の協力によって完成する人だけでも竜だけでもなしえぬ脅威。

 これこそがこれまで数々の暴威を破壊してきた二人の切り札であり、帝国に竜騎兵ありと謳われる由縁であった。


 暴走を先導する主の喪失により、あれほど一糸乱れず行軍していた野牛は千地に乱れ、拡散していく。

 夜は暁の砲火に引き裂かれ、数刻もたたないうちに無害な烏合の衆へと還っていった。

 テュルク達は、今や物言わぬ丘となった野牛に降り立つと、彼の相棒が一人勝鬨をあげた。

 群れの進路であった、砂狼群の都はもはや目と鼻の先、地平線のすぐ手前まで見えるところまで迫っていた。竜にとっては、ほんのすぐそこだ。


 その時、彼の相棒は今までつけていた兜を外すと、そのうちにとどめていたものが空へとあふれ出した。

 それは長くつややかな錦糸の髪であり、テュルクがこの世のいかなる財宝よりも一等美しいと信じているものだった。


 ーーーーー


「これが、英雄姫ローザリンデが歴史書に記された最初の出来事だ」

「俺を呼び出しておいてするのがアイツの話ってどういう了見だ、一体」


 テュルクは今、旧友の招待に応じてある竜の住処を訪れていた。

 そこは四方の隙あらば大小さまざまな書物に埋め尽くされた書庫だが、サイズは決して人間のそれではない。巨人でも手に余るほどの代物で、それも当然のことであった。この書庫の主はテュルクの眼の前、円卓をはさんで鎮座する黒曜石めいた鱗を持つ黒竜である。


「彼女の伝承はどれもこれも、正確性に欠けるおとぎ話や作り話、伝聞に噂話ばかりで客観的な資料がとても少ないんだ。もうかれこれ長いこと資料を集めているけど、小説が8割、ゴシップが1割という有様だよ」

「だから、俺か」

「その通り。もう彼女は人々の間で伝説になって久しいが、我々にとっては忘れるほど大昔、ではないだろう?」


 これだ。テュルクは薄々、この変人……ならぬ変竜からの呼び出しの理由を察していた。

 竜は知と書の集積を軽んじるのが一般的だが、この黒い竜だけはそれを人間以上に尊んでいる変わり者であった。悪竜ではないが、とても面倒な友人ではある。


「いやだね」

「どうしてだい?」

「お前に教えたら、歴史になるだろうが、アホめ。お前みたいな奴を人間の言葉で『学者バカ』っていうらしいな」

「それが誉め言葉ではないことくらいは知っているとも。でも、どうしても?」

「フン、アイツの事をしっかりとどめておかなかった連中だ、おとぎ話で十分だろう」


 それを聞いた黒竜は翼をすくめ、人間でいうところの肩をすくめる動作をして見せた。


「かの『紅帝』テュルクにそうおっしゃられたら、すごすご引き下がる他ないね」

「思ってもない世辞を言うんじゃない。竜の威光なんぞに塵ほどの関心もないくせに」

「よくご存じで」

「まあ、貴様の出した茶と菓子は悪くなかったな。また呼ぶ気があるならその時も用意しておけ」

「仰せのままに、『紅帝』様」


 まったくもって口の減らない相手だ。だが、テュルクに向かって物おじしない物言いをする相手も、今や人竜分け隔てなく少なくなった。テュルクは、いわば勝手口に当たる大きく空いた吹き抜けから身を躍らせ、宙へと飛び上がる。そのまま、かつてと比較にならない速度で飛び立った。


 彼が背負う青空だけが、かつての時と変わらぬ色をたたえていた。

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