たかが三分、されど三分

藤瀬京祥

たった三分、されど三分

 わたしには三分以内にやらなければならないことがあった。

 それはなにかというと……いや、待て。

 その前に、まずはわたしが何者かを明かさねばならない。

 なにを隠そう、我が名はカップ麺!!


 カップ麺!!


 重要なことなので二度ほど言わせていただいたが、その理由は袋麺と一緒にされたくないからである。

 世間一般的にはどちらもインスタントラーメンと分類され、明確な定義はないとされている。

 どうもカップ麺仲間のあいだでも同じような考えもあるようだが、わたしは断固として認めない。

 袋麺は袋麺、カップ麺はカップ麺。

 断じて同じではない。


 同じではない!


 ここも重要なので二度ほど言わせていただいた。

 正直を言えば三回、いや四回言っても物足りないぐらいだが、とりあえずここは二度で我慢しておく。


 1985年にかの有名な安藤あんどう百福ももふく氏が開発したインスタントラーメンの発売が世界初とされているが、まぁこれは諸説ある。

 それこそ利権がらみなので難しい問題である。

 正直、難しすぎて我々カップ麺にはわからない。

 もちろん袋麺どもにもわからないはずだ。

 所詮は人間同士の問題である。

 うん、我々カップ麺には関係ない。

 ちなみにこの時に開発されたのは袋麺。

 ここからさらなる研究に研究を重ねて進化を遂げたのが我らカップ麺である。


 ………………


 まぁその、なんだ?

 我々カップ麺は袋麺に遅れをとったわけだが、断じて同じものではない。

 どうあってもここは譲れない一線。

 我々は袋麺より数段の進歩を遂げた格上の存在なのである。

 断じて同じものではない。


 ちなみに乾麺とインスタントラーメンも別物。

 その違いは製造方法とスープの有無らしい。


 ………………


 いや、ちょっと待て。

 ちょっと待ってくれ。

 これで乾麺とインスタントラーメンが別物と定義されるのなら、やはり袋麺と我々カップ麺は別物ではないか。

 なぜならば調理方法が違うからである。


 そう、調理方法が違うのである!


 ご存じのとおり鍋が必要な袋麺と違い、我々進化したカップ麺に調理器具は必要ない。

 湯さえあれば十分なのである。

 あっつあつの熱湯さえあれば十分。

 それ以上はなにも必要なく、我々も望まない。

 それこそ沸かしたての必要もない。

 ポットの湯でも十分である。


 ………………


 うん、十分だ。

 十分ではあるのだが、ポットの湯を使用する時は、出来たら再沸騰してもらえると嬉しい。

 これは出来上がりの味に大きな影響を与えるため、冷めた湯の使用は控えてもらいたい。

 たとえ猫舌であっても、である。

 我々としても、食してもらう以上はもっとも美味しい状態で提供したい。

 うん、これは袋麺であってもきっと同じ気持ちだと思う。

 調理方法の違いにより、袋麺の場合は湯を沸騰させてから鍋に入れて欲しいに違いない。


 熱湯!


 これは我々全インスタントラーメン共通の考えであり、これ以上に望むものはない。


 ………………


 いや、もう一つ望みがある。

 猫舌の方には少し冷まして召し上がっていただくとして、熱湯を使っていただく以外にも一つ望みがある。

 本心を言えば、猫舌であろうと出来たての熱熱を召し上がっていただきたいところだが、熱さで味がわからないなんてことになれば本末転倒。

 故にそこは妥協しようと思う。


 だか熱湯を使うことだけは忘れないでいただきたい。

 ここは絶対に譲れない。

 そして我々に三分の時間を与えること。

 同胞の中には五分というタイプもあるのだが、そこは是非ともメーカーが指定している時間を守ってもらいたい。

 ちなみにわたしは三分のタイプである。


 この三分のあいだに、我々はもっとも美味しく召し上がっていただける状態になる・・のである。

 いや、ならなければ・・・・・・ならないのである。

 そう、これこそが我々カップ麺至上の使命!

 我々が地上に誕生した理由である。


 さぁ人間たちよ、我々の蓋を開けるのだ。

 もちろん全部を開いてはいけない。

 蓋に書いてある線まで。

 一㎜や二㎜は気にする必要はない。

 もっと言えば蓋を取ってしまわなければいい。

 但し大幅にオーバーしてしまった場合は蒸気や熱を逃さないようにするため、蓋のようなものを用意して欲しい。


 そして湯を注ぐのである。

 もちろん熱湯を、だ。

 沸かしたばかりの熱湯を、これも決められた線まで注ぐのだ。

 濃いめの味を好みこの線より少し少なめに湯を注ぐ人間もいるそうだが、それは駄目だ。


 絶対に駄目だ!


 なぜならばこの線まで注いでこそ我々はベストな状態となるからである。

 この線こそがもっとも美味しく出来上がるよう設定されているのである。

 だから絶対にこの線まで注がなくてはならない。


 絶対にである!


 ここまで強く言えば大丈夫だと思うが、念のためにもう一度言っておく。

 絶対にこの線まで湯を注げ。


 いいな?


 そして三分待つのだ。

 やはり少し固めがいいからと三分を待たずに蓋を開ける人間がいると聞くが、これも駄目だ。

 理由はわかっているな?

 我々はこの三分を以て至上の使命を果たすからである。

 至上だぞ、至上!

 こればかりは一秒とて譲れぬのである。


 絶対にだ!


 人間にはたかだか三分だが、我らには至上の使命を果たすべく最も重要な三分である。

 どうあっても一秒とて譲ることは出来ない重要な時間なのだ。

 しかもこの三分のあいだに、稀に蓋が浮いてしまうことがあるので注意してもらいたい。

 あと、蓋をめくりすぎた場合もである。

 重石代わりに箸を蓋の上に乗せる人間もいると聞くが、この箸を転げ落とす勢いでめくれ上がることもあるので要注意である。

 もし転がり落ちた場合、もちろん箸は洗ってくれ。

 割り箸の場合、残念ではあるが新しいものを用意してもらいたい。

 清潔な箸を使って食す。

 これは我々食べ物に対する、最低限の礼儀と心得てもらいたい。

 腹痛など起こして、我々のせいにされてはたまったものではないからな。


 さて人間よ、約束の三分だ。

 至上の使命を果たした我らカップ麺を食すがよい。

 食し、腹を満たすがよい。

 その至福のために我らはこの世に生み出されたのだからな。

 残さず食すがいい。


 どうだ、旨いだろう?

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たかが三分、されど三分 藤瀬京祥 @syo-getu

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