初耳だぞ

 日葵ひまり愛子あいこさんが俺の家に来てからひと月が経った。俺たち四人が一緒に迎える初めてのゴールデンウィークだ。

 どこかに旅行に出かけるかという話も上がったが、人混みも旅費も割り増しな上にそもそも予約すらまともにとれないので却下となった。

 仕方なくと考えたわけでもなかろうが、祖母を訪ねることになった。

 祖母は横浜の伯母の家にいる。横浜と言っても北部で俺たちの家とそれほど離れていない。車で三十分くらいのところだ。

 俺たちは親父が運転する車で伯母宅へ出かけた。

 親父と愛子さんは入籍したとはいえ結婚式をあげていない。つまりこれは新しい家族の披露の日でもあった。

「ドキドキするね」日葵が俺の耳元に囁く。

 吐息がかかって、ある種の怖気おぞけが走った。何なんだ? この感覚。

 日葵の母――愛子さんはいつもと変わりがない。再婚相手の母親や姉と会うのがそれほど緊張もしないのだろう。

 してみると日葵の「ドキドキ」も嘘かもしれない。こいつは平気な顔をして嘘をつくからな。

「あらー仲が良いわね」助手席の愛子さんが俺たちを振り返った。にっこりと笑う顔に嘘は見当たらない。

「きょ、だからな」親父の言葉は注意指導に聞こえた。

 親父は俺と日葵が必要以上に仲が良くなることを望んでいない。いやむしろ忌避している。

 俺なら大丈夫だ。日葵は幼馴染み。くっつくなんてあり得ない。日葵は俺をからかって遊んでいるからな。そんなヤツに囚われないさ。


 車は祖母が住む伯母宅に着いた。

 いとこ二人は大学生で、それぞれ友人と旅行に出かけていて不在だった。俺たちを迎えたのは伯母夫婦と祖母の三人だった。

「いらっしゃい」伯母が微笑む。優しい顔をしているが俺には怖いイメージしかない。

「姉さん、元気にしているか?」

「あんたほどじゃないわ」

 親父につっけんどんに振る舞う姿がもう定着している。俺はそれを小さい頃から見てきた。

 多分、親父はどうしようもない程弟だったのだろう。全ては親父のせいだが、親父の息子である俺もまた不出来な息子と思われているかもな。

「あらーとっても可愛いわね」 伯母が日葵を見て目を丸くした。「お母さんに似て良かったわ」

 日葵の父親を知っているのか?

「初めまして。日葵です」日葵は淑女のように膝を少し落として礼をした。

 さまになりすぎだ。一瞬れたぞ。これだから日葵は怖い。日葵は女優なのだ。

「愛子と日葵ちゃんだ」親父の紹介は遅きに失した。親父はいつもタイミングを外すのだ。


 俺たちは八畳と六畳をぶち抜いた居間に通された。

 俺は久しぶりに座布団の上に座った。すぐ近くに祖母が座った。

「ばあちゃん、久しぶり」

「元気にしてたかね」穏やかだ。

 山田家の女は見た目穏やかで騙される。油断しているととんだ竹箆返しっぺがえしを喰らってしまう。

 愛子さんがばあちゃんの前に三つ指をついた。「お母様、ご無沙汰しております」

「本当に何年ぶりかしらね」

「十六年か十七年あまりかと」

「可愛い顔は変わってないわ」

 ん? ばあちゃんは愛子さんを知っているのか? 初耳だぞ。

「まさか今になってよりを戻す――とはね」伯母が呆れるように口を挟んだ。「再婚するって聞いておどろいたけれど、その相手が高校時代の元カノだったなんて」

 親父が頭を掻いている。

 なんだそれ? 初耳だぞ。

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