京都丸太町☆陰陽探偵局
からした火南
世界滅亡まであと三分
陰陽師探偵には三分以内にやらなければならないことがあった。
人類を滅亡から救うこと……。
そう、人類の存亡はまさに、彼らの双肩にかかっている。
探偵は走る、廃墟となったビルの中を。
探偵は駆け上がる、六〇階まで延々と続く非常階段を。
廃墟に在っては当然エレベーターなど動くはずもなく、自らの脚で目的地へたどり着くしかない。しかし丙馬が走り続けているのには、もうひとつの理由があった。
「ま、待って。待ってよ、丙馬」
息も絶え絶えに後を追うのも、やはり探偵。丙馬の
「待ってられっかよ! 鍛え方、足りてないんじゃねぇの?」
逼迫した状況を楽しむかのように、彼女に向かって叫ぶ。
「爆弾の場所、わかったの?」
「あん? まだ判んねぇよ!」
「まだって、もう、三分もないんだよ!」
辛坊の呆れ声を背に、丙馬参陣は更に速度を上げていく。
「大丈夫だって。そんだけありゃ、余裕っしょ!」
「解除する時間も要るんだよ? 解ってるの!?」
「解ってるって! 任せときな!!」
すべての情報を頭に叩き込み、全力で走る。そう、とにかく走り続けるのだ。猪突猛進の韋駄天走り。一心不乱に走り続けた果てに、突如として降臨する
設置されているのならば、屋上ではないかという予感はある。建物の破壊ではなく、ウイルスの散布を目的とした爆弾だ。ウイルス入りの容器を破壊し、風に乗せてばら撒くことが目的なのだ。屋上に設置されている可能性が最も高いだろう。
しかし確証はない。実行犯は捕縛したが、逃走中に負傷し意識不明の重体だ。情報が少なく、何よりも時間がない。手持ちの情報を元に同僚の
丙馬の両脚の筋肉は、とっくに悲鳴を上げている。飛ぶように階段を駆け上がリ続けているのだ。
限界を目前にして、ようやく訪れるランナーズハイ。先程までの苦痛が嘘のようにかき消え、多幸感に包まれる。
「そろそろだな……」
つぶやいた次の瞬間、丙馬の頭へビジョンが降り立つ。脳に焼き付くような強烈な閃き。一瞬にして総てを理解する。
そして舌打ちをひとつ。
眼前に迫った屋上への扉の前で踵を返し、踊り場へ向かって飛び下りる。
「行き過ぎちまったぜ!」
そう言うと、下の階に向かい滑るように階段を駆け下りる。
五七階ですれ違った辛坊が、丙馬に叫ぶ。
「判ったの? 爆弾の場所!」
「五二階だ! 早くしろ!!」
言い捨てて丙馬は、辛坊を置き去りに階段を駆け下りる。
「もう! せっかく上ったのに!!」
理不尽に打ちひしがれている暇はない。爆発まであと二分、慌てて辛坊も階段を駆け下りる。
式神を放って爆弾探しを助けようかとも思ったが、かえって邪魔になると考え思い留まった。おそらく丙馬には、もう視えている。
五二階へたどり着いた辛坊は廊下を走り、廃墟となったオフィスに丙馬を探す。
「丙馬、どこ!?」
「こっちだ!」
ひときわ広いオフィスフロアの窓際に、丙馬が立っていた。フロアの窓ガラスは総て割られ、強い風が吹き抜けている。これならばオフィスのどこでウイルスを撒こうが、十分に拡散していくことだろう。
「こいつだな」
窓枠にテープで固定された金属製の箱を指してつぶやく。そして乱暴に引き剥がし、丙馬は手近なデスクの上に転がした。
「バカ! 爆発したらどうすんのよ!」
「頑丈なんだろ? こういうのって」
設置までに意図せず作動してしまっては意味を成さない。丙馬の言う通り、頑丈にはできているはずだ。だが、全ての爆弾がそうだとは限らない。ましてやウイルスなどという、厄介な代物を搭載しているのだから、慎重に扱ったほうが良いのは当然のことだ。
「じゃ、後は頼んだぜ。相棒」
「言われなくても解ってるわよ」
爆弾に向かうった辛坊が、七つ道具をデスクに広げて腕時計を見やる。
「残り六〇秒。充分ね」
目を閉じて、荒れた息を整える。
「無念無想」
息を吐きつぶやいた瞬間、周囲の空気が張り詰める。相棒の
構造を完全に理解した辛坊が、驚くべき早さで爆弾の解体を始める。
あっと言う間にむき出しになる爆弾の心臓部。残り時間を示す赤いデジタル表示が、爆発まで三〇秒であることを示していた。そして基盤からは、赤い被覆のワイヤーと青い被覆のワイヤーがこれみよがしに引き出されている。
「いまどきワイヤージレンマだなんて、古風なことね」
赤を切るか、青を切るかの二者択一。正解のワイヤーを切ればタイマーは停止し、誤ったワイヤーを切れば即座に爆発する。しかし無念無想により、辛坊はどちらのワイヤーを切るべきか知っている。
ニッパーの刃を青のワイヤーに向けた瞬間、丙馬が叫ぶ。
「待て! 赤だ」
「どうしてよ! どう考えても青でしょ」
「罠だよ。俺の閃きがそう囁くんだ。それに赤は、俺のラッキーカラーだ」
無為無念で掌握した構造を、何度確認してみても青を切ることが正解だ。
しかし議論している時間などない。タイマーの残り時間は、あと二〇秒に迫っていた。
「信じて良いのね、丙馬」
「もちろんだ」
議論の余裕がない状況では、丙馬の判断に従うのが二人のルールだ。
ニッパーの刃を赤のワイヤーに当てる。
「八十億の命がかかってるんだよ?」
「数なんて関係ねぇ。俺は自分の閃きを信じるぜ!」
タイマーが、残り一〇秒を示す。
「わかった。赤を切る」
覚悟を決めニッパーに力を込めようとしたその瞬間、突如としてフロアに女性の声が響き渡った。
「どちらも罠じゃ! 阿呆どもが!!」
声に続いて窓から飛び込んできた影は、体長三メートルはあろうかという巨大な鳥であった。
「式神! 朱雀か!?」
丙馬が声を上げた瞬間、朱雀の背から幼女が飛び降りて叫ぶ。
「
幼女の叫びに即座に応え、辛坊が刀印を結ぶ。
「青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台、玉女」
宙に籠目を描いて九字を切り、爆弾を中心に一メートルの直方体で空間を隔絶する。爆弾が小さな爆発音を響かせたのは、結界の完成とほぼ同時であった。
爆発は防ぐことができなかったが、ウイルスは結界の中に閉じ込めることができた。問題は、ここからどう処理するのかである。
「こんな緻密な結界、長くは保たないよ!」
辛坊の悲痛な叫びが響く。ウイルスほど小さな生物を、ひとつも逃さずに遮断し続けなければならないのだ。術者の消耗が激しいことは想像に容易い。
「解っておる。参陣、焼き尽くせ」
「え、俺の力じゃ、そんな火力……」
「えぇい! 何のために
言い捨てると幼女は乗ってきた式神を呼び戻し、指で結界を指し示す。
「捌希、結界内に式神だけ通せ」
「えぇ!? そんな難しいこと……」
辛坊の答えを待たず、鴉ほどの大きさに縮んだ式神が、炎を上げながら結界に向かって飛び立っていた。
「ど、どうなっても知らないからね!!」
半ば捨て鉢になりながら、辛坊が即座に術式を調整する。
すんなりと内部に入った式神は、結界の中心で炎を上げ続けていた。
「やれば出来るではないか。ほれ参陣、火種を
「わーったよ。やりゃ良いんだろ。任せとけ!」
刀印を結び、宙に五芒を切る。
結界に向けて刀印を指し向けると、式神の炎が大きく燃え上がる。丙馬が気を込める程に炎の勢いは増し続け、今や結界を破ってしまいそうな勢いで
「ちと火が弱いの。どれ、
懐から取り出した和紙の
「ムリムリムリムリ! この炎を抑えながら式神を通すとか、絶対にムリ!!」
辛坊の悲鳴を他所に、先程と同様に式神が放たれる。結界に行く手を阻まれた式神だったが、境界に
火勢は一気に上がり、渦巻く紅蓮の炎はその色を青白く変えようとしていた。
「マジ無理。もう限界……」
辛坊がへたり込むと同時に、結界が消えた。荒れ狂っていた青い業火も、やがて宙に吸われるようにして消えていった。
「大丈夫……なのか?」
ウイルスを焼き尽くすことができたのかどうか、丙馬は心配になり声を上げる。
「そんなもの、最初の炎でとっくに焼き尽くしておるわ」
「だって姐御、さっき火が弱いって……」
「派手な方が楽しかろう? 護摩焚きのようなものじゃ」
「ったく、キャンプファイヤーじゃあるまいし」
丙馬が呆れた声を上げる。
「ま、待って。私の苦労って一体……」
肩で息をしていた辛坊が倒れ込む。階段を駆け上がり、面倒な結界を維持し、挙げ句に無駄な苦労だったと知ったのだ。気力が尽きるのも無理はない。
「ところで、なんで姐御が居るんだ?」
「お主らだけでは心配だったらの。案の定、間一髪じゃったわ」
「へいへい。それは申し訳のないことで……」
丙馬が唇を尖らせる。
「解っとるのか。人類が滅亡するところじゃったんだぞ。だいたいお主らは、
「わーったわーった。でも、結果オーライだろ?」
「まったく。相変わらず可愛げがないのぉ……」
幼女が肩を竦める。
「副長、お腹すきました~。何か食べさせてください~」
倒れ込んだまま辛坊が、力なく声を上げる。
「情けない声を出すな。参陣、立たせてやれ」
「……ったく、しゃーねーな」
丙馬の腕に掴まり立ち上がった辛坊の目に、西に傾き始めた陽の光が染みる。眩しさに目を細めながら、眼下の街を見下ろした。
「護ったんですよね。私たちが……」
「そうじゃな。お主らにしては、よくやった方じゃ」
辛坊の横に立ち、幼女も街を見下ろす。
「んなこたーいいから、メシ行こうぜ! メシ!!」
そう言って丙馬は、非常階段に向かって歩き出した。
「しょうのない奴じゃ……」
懐から形代を取り出すと白虎を降ろし、幼女はその背に乗った。
「あ、ずるいです! 私も乗せてください!」
「自分で降ろせば良かろう」
「十二天将なんて降ろせるの、副長か局長くらいでしょ……」
白虎の背に乗り階段へと歩き出した幼女の背中を、慌てて辛坊が追いかける。
「姐御、焼き肉行こうぜ!」
「良いのぉ。肉は好きじゃぞ」
「あれだけ走って、よく肉なんて食べる気になるわね……」
「走った分、補給しないとな!」
滅亡を免れた世界に、賑やかな笑い声が響き渡っていった。
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