隠し味はペプシ

江戸川台ルーペ

海鮮かた焼きそば

 コレエダには三分以内にやらなければならないことがあった。バイトしている中華料理屋に、恒例の注文が入ったのだ。その注文はこのカヤマ町を仕切るやくざの事務所からで、何しろやっかいだった。どうやら親分が看板メニューの「かた焼きそば」をいたく気に入ったらしく、毎月末に決まってそいつを五皿、事務所に送り届ける注文が入るのだ。それを時間通りに送り届けることがコレエダにとって何よりも重要なミッションであった。中華料理屋はシェフのおじいとおばあしかいないし、配膳係のみーちゃんは自転車に乗れない女子高校生だし、必然として「コレエダ」がその事務所へ送り届ける出前係とならざるを得なかったのだ。


 今回で十五回目となる出前であるから、コレエダとしても慣れたものだったが、いささか事情が違ってきた。シェフがかた焼きそばを注文されたのを忘れていて、いかとエビを入れ忘れてしまったのだ。

 五つ並んだ美味しそうな湯気を立てる普通のかた焼きそば群を前に

「これはいけないねコレエダ君」

 とシェフが重々しく言った。

「いかとエビが入っていない海鮮かた焼きそばなど、ただのかた焼きそばだ」

「いや知ってるし」

 とコレエダは冷静に言った。

「普通のかた焼きそばにいかとエビを入れるから海鮮かた焼きそばになる訳で、それが入ってなければ単なるかた焼きそばでしかない。んな事は分かってる!」

「まあ、コレエダさんは物知りね」

 みーちゃんがおぼんで口を少し隠しながらクスクスと笑った。髪の毛を三角巾で隠して可愛い。好きだ、結婚してくれ。コレエダはみーちゃんをどうにかしたい気持ちでいっぱいになった。

「だって、やくざが海鮮かた焼きそばを食べたがるなんて、想像しないじゃない」

店長が言い訳がましく言うので、コレエダは

「いや、やくざだって海鮮かた焼きそばが食べたい時もあるでしょう。海鮮の前に全ての職業は平等であるはずだし、そうあるべきです」

と言い返した。それから自分が何を言っているのか少し混乱したせいで、妙な沈黙が一瞬だけ広がった。

「とにかく、今すぐいかとタコを足して作り直してください。ジャスト・ナウ」

「まあ、コレエダさんって、英語も得意なんですね」

 好きだ、本当にこの女子高校生をどうにかしてやれないものか、とコレエダはみーちゃんを抱きしめたい衝動に駆られたが、シェフのガラガラ声で我に返った。

「タコなんか入れてない。あと、かた焼きそばと海鮮かた焼きそばではいかとエビを入れただけの違いじゃなくて、厳密に言えば出汁に隠し味でコーラを少々入れていたりする。そんじょそこらの店と一緒にしないで欲しいな」

「コーラ? マジで言ってんのかおっさん」

「あたしもコーラ好きですぅ」

「僕もコーラが大好きですッ!」

 コレエダは0コンマ2秒でコーラを出汁に入れているシェフの事を忘れた。


「どうでしょうシェフ、ここらでいっちょ時間もギリですし、最速で5人前、海鮮かた焼きそばを作ってくれませんか。お届け先はやくざの事務所ですよ。もう一年以上この配達をしてますが、今まで配達が遅らせた事なんかないんです。僕が責任をもって出前を届けてるんですから。自転車に乗って、えっちらおっちら、細心の注意を払ってやくざの事務所に届けて来たんです。今回それがフイになっちまうなんて、耐えられない。僕は今まで、何も成し遂げて来ませんでした。小学校の夏休みの宿題なんて提出した事もありません。高校生のバイトは十五分でやめました。ついでに、ラッキーで滑り込めた大学もやめました。でも、このバイトだけは、なぜか続けることができたんです」

 コレエダはみーちゃんの可愛らしい立ち姿に目をやった。みーちゃんは、擬音で言えば「キュルルン」「もっちり」「ストーン」「サヤサヤ~」であろうか。みーちゃんは若干路上に打ち捨てられた食べかけのコンビニ弁当を眺める目つきでコレエダを見ていたが、それもまた一つのストーリーの始まりとしてオールオッケーだとコレエダは思った。素敵なエピソードをありがとう。ああ、それにしてもみーちゃんをなんとかどうにかできないものか、とコレエダは思った。

「だから今すぐ、イカとエビとタコとコーラを入れて作り直してください! 僕にはいま、これしかないんです!」

「感動した!」

 シェフのおじいが拳で涙を拭いながら大きな声を出した。

「今すぐ作り直す! 少し時間をくれ!」

「お願いします!」

「あ!!」

 シェフが間髪入れずにまた大きな声を上げた。

「コーラを切らしてしまっていた……」

「表の自販機で買ってきますよ。1リットルとか使わないでしょう?」

 コレエダが辛抱強く答えた。

「コカ・コーラじゃだめなんだペプシじゃないと」

 シェフがうな垂れた声で言うので、コレエダは無言で最寄りのコンビニ・スリーエフまでダッシュした。みーちゃんが後ろから「あたしのもお願いしますぅ」と声を掛けて来たので、結婚してください、と強くコレエダは思った。


「残り3分」

 みーちゃんが青い缶のペプシを飲みつつiPhoneSEの時計を見つめ、緊張の面持ちで呟いた。

「エンジンスタート」

 コレエダが低い声で言うと、自転車の鍵を外した。

「カタパルトオープン」

 シェフがシャッターをガラガラと持ち上げた。

「通常15分ほと掛かる目的地まで、短縮経路を使用して海鮮かた焼きそばを五皿届けます。ヘッドマウントディスプレイオン」

 みーちゃんが極めて事務的な声で概要を述べた。

「ラジャー、ヘッドマウントディスプレイ、オン」

 コレエダが中学生の頃から愛用しているヘルメットを着用した。自転車の後部座席の出前機には既にすべてセットされている。どんなカーブの遠心力にも奇跡のバランスを保つこの出前機はコレエダが全幅の信頼を寄せていた。

「届けて見せる、必ず」

 コレエダは自転車にまたがり、みーちゃんを振り返ると親指を突き立てた。

「行ってくる!」

「行ってらっしゃい!」

 その声があまりにも愛おしすぎて、コレエダは今回もし仮に生きて帰る事ができたら、みーちゃんと結婚しようと思った。


 自転車の状態は万全だった。

 立ち漕ぎすると、滑らかに車体が前へと進む。かつてない状態に仕上がった自転車であった。メカニック兼皿洗いのおばあがいい仕事をしているのだ。

「やってやる、やってやるぜ」

 自転車はさらに速度を上げた。十字路を右折する際に、工事中のコーンを跳ね上げ、車体は美しい急カーブを描いた。そのまま勢いをつけて広めのドブをジャンプで飛び越えると、下り傾斜の道なき道をガンガン進んでゆき、やがて見えてきた家と家の隙間にあるコンクリートの階段を飛び越え、勢い余って突き当りに衝突する寸前で後輪から煙を立てながらスライド。壁を蹴飛ばして勢いをつけたまま、高台から民家の屋根に飛び移り、屋根から屋根へ、看板を引き倒し、少し降りたブロック塀の上を曲芸走行し、猫に嫌な顔をされ、メイクラブしているアベックの窓の外をかっ飛ばし、決して緩めることなく自転車を漕ぎまくった。街をゆく人々は次々に携帯を向けて異様な挙動をする自転車(どうやら出前中らしい)の写真を撮った。


 到着した。

 コンクリート壁、と言うにはあまりにも高すぎる不愛想なコンクリート壁に質素な玄関が一つ。呼び鈴のボタンと監視カメラが高いところに数台、こちらを見据えている。息を切らしながら呼び鈴を押す。ちょうどピッタリ、ジャストをコレエダのappleウオッチは示していた。しかし、中から返事がない。もう一度押す。やはりない。こんなのは初めてだ。こんなに飛ばして来てやったのに、あんまりではないか。


 コレエダはそっと玄関のドアノブを回した。折角時間通りに持ってきたのに、冷めてしまっては勿体ない。「ちわーっす」などと、あまりにも出前の人過ぎる、とコレエダは自分で苦笑いしつつ、そっと中を窺った。そこには血だまりの中でうつ伏せに倒れている男がいた。右手には日本刀、頭はパンチパーマ、しましまのスーツ、脱げた靴。コレエダは「やべえ」と思った。っていうか、思わず口に出してしまっていた。


「やべえよ、これやべえじゃん」

 中に入っていくと、血の匂いが強くなっていった。長く、妙に曲がりくねったコンクリートの通路には血がべったりと、芸術作品のように壁に床にのたうっており、時折動かなくなった人間がそこかしこに倒れていた。そして突き当りのドアを開ければそこは組長室であった。


「失礼しまーす」

 コレエダは周囲を窺いながら少しだけ上等な重たいドアをゆっくりと開けた。ムッと血の匂いが立ち込め、足の踏み場のないほど大勢の男たちが床に横たわり、恐らく死んでいた。最奥の組長の机には、いつもの組長が座っており、頭からつま先まで滴る真っ赤な血で、達磨みたいだな、とコレエダは思った。

「お待たせしました、海鮮かた焼きそば五人前です!」

 コレエダは机の上に突っ伏している男たちを遠慮しつつ丁寧にどかすと、血の海というしかない机の上に取り外してそのまま持ってきた出前機を載せ、一つずつ大切そうに海鮮かた焼きそばを出した。

「熱々ですよ、気を付けてお召し上がりください」

 組長はうつ向いたまま、ガハッと血を吐いた。

「うおう、生きている」とコレエダは思ったし、思わず声を出してしまった。

「どうでしょう、お代は用意してありま……せんよね。大丈夫です、今回の事は早かれ遅かれニュースになると思うんで、そうしたらシェフのおじいにも言い訳が立ちます。こう見えて僕は結構信頼されてるんで、ニュースになろうがなかろうが信じてもらえるとは思いますが。大変でしたねこの度は。ご愁傷様です……ってまだ死んで無いか」

 ハハ、とコレエダは少し笑ったが、笑っている場合ではないと思ったし、「笑っている場合じゃねえや」と実際に声を出して言った。

「どうですか、何か、警察的なもの? に電話しますか?」

 組長は黙って首を振った。

「そうですよね、警察に電話する暴力団なんて聞いたことないや。救急車もいらないでしょうね、きっと。……ですよね、あなたがたはそういう感じだと思います。街の中の隠れた存在、普通に生活していては見えないけど、絶対に僕たちと無関係ではない存在なのだと思います。どんなに美味しい料理でも、その裏には隠し味があるってなもんで。あ!」

 コレエダは海鮮かた焼きそばのビニールを破って、組長の前に置いた。

「この海鮮かた焼きそばね、凄いんですよ。隠し味がね、度肝を抜く意外さなんです。ちょっと食べてみませんか?」

 組長はまさに虫の息、息も絶え絶えの様子であった。低く唸り声を上げ、それがコレエダの言葉に対してのリアクションなのか、単に耐えきれない身体的苦痛による発声であるのかは分からなかった。

「どうです? 一口食べてみませんか?」

 蓮華と割りばしを出前機の奥から取り出して組長の前に置いてやった。組長は苦々しい目をコレエダに向け、引き続き低く呻いた。

「あーんですか? 別料金……と言いたいところですが、今回は特別です。きっと最後の一口になるでしょうからね、無精コレエダ君が最後の晩餐、海鮮かた焼きそばを供させていただきたいと思います。あ、汁だけで大丈夫ですよね? 食べても喉の穴から出ちゃいそうですし」

 とコレエダは言ったあと、余計な事を言ってしまったと後悔した。今回は口に出すのを我慢した。

 蓮華で一口ぶんスープを掬うと、コレエダは何とか上を向いた文字通り血だるまの組長の口に、ゆっくりとスープを注いでやった。ごふ、ごふ、と何度か噴出したが、何とか一口飲むことができたようだった。

「どうですか、何が隠し味か分かりますか」

 ぜいぜい、と組長が喘いだ。きっと変なところにスープが入ってしまったのだ。そして静かになった。さっきまでの騒がしさが嘘のように静まり返った。


 コレエダは割りばしをパチンとキレイに割ると、海鮮かた焼きそばを一口大きく食べて、皿から直接スープを口に含んで、もぐもぐと咀嚼した。遠くにペプシコーラの味がしたような気がしたが、あまりよく分からなかったので、もう一口だけスープを飲んだ。そのもっと遠くから、サイレンの音が響いてきて、コレエダは、一体どうやったらみーちゃんとキスが出来るのだろうなぁ、などと考えながら、もう一口麺を大きく頬張り、思いついたように自分のiPhoneを尻ポケットからとりだすとモグモグしながらどこかに電話を掛け、やがて相手が出ると、「結婚してください」とプロポーズした。周囲は血だまりであった。


(終わり)















 







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隠し味はペプシ 江戸川台ルーペ @cosmo0912

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