異世界転生したと思ったら魔王でした~人違いである上に最弱なオレが異世界で生きるための生存戦略~

龍威ユウ

第1話

 現状を一言で表すならば、正しく最悪……これがもっともしっくりとこよう。



「はぁ……はぁ……くそ、これは本当にやばいな」



 そう愚痴を吐き零す彼――和泉雷志いずみらいしの顔色は、お世辞にも良好とは言い難い。

 実際彼の頬からは大量の冷や汗がじんわりと滲み、血色も失われてやや青みがかっている。

 その原因は、左腕より絶え間なく流れる鮮血が原因だった。

 モンスターによって負傷した。

 左腕に深く刻まれた傷跡は、見るからにとても痛々しい。



 1996年6月――世界は恐怖の大王によって終末を迎えた。

 突如として、どこからともなく現れた異形の怪物たち。

 彼らの前に現代兵器は成す術がなく、世界は次々とその平穏を蹂躙されていった。

 そして現在、雷志も例外にもれることなくモンスターによる襲撃を受けた。



「あいつら……避難所まで容赦なく襲うとか。本当に容赦の欠片さえもないな……」



 避難所は、もはや壊滅状態だろう。

 道中で、雷志は何人もの犠牲者の姿を目の当たりにしてきた。

 あれは、地獄そのものだ。これ以上に相応しい言葉はきっと存在しないだろう。

 助ける余裕などあるはずもなく。

 とにもかくにも、自分の身を護る。それだけで精いっぱいだった。

 どこをどう逃げたのかさえも、雷志はよく憶えていない。

 一刻でも早く、モンスターの視界に映らない場所に移動しなければ……!

 その一心だけでどうにか辿り着いた大きな洞穴にて、彼は唖然とする。



「これは……!」



 単なる洞窟は、どうやら高度な技術を誇る建造物を隠すためのものだったらしい。

 ここは、神殿かなにかだろうか?

 雷志は果たしてそれが何であるか知る由もない。

 ただ単純に外観の豪華さと規模から、一番近しいイメージを抱いただけにすぎない。

 いずれにせよ、ここも安全であるとは言えない。

 幸いなことに、モンスターと思わしき存在は周囲になく。

 逃げるのであれば今の内しかない、とそう判断した雷志は来た道を早急に戻ろうとした。



「なっ……!?」



 それは出入り口をふさぐように、雷志の前へと立ちふさがる。

 モンスターだ、より正確には左腕を負傷させた張本人でもある。

 どうやらあれからずっと追跡していたらしく、その執念深さにはさしもの雷志も感嘆の息をもらさざるを得ない。

 前門の虎後門の狼、とは正しく今のような状況のことを差すことわざだ。

 モンスターがけたたましく上げた咆哮は、不快感極まりない。

 さながらガラスを引っ掻いたような音は、しかし雷志に一つの宣告を発する。

 もう逃がさない、と――本当にモンスターがそう言っているかどうかはさておき。

 奥への撤退……すなわち、神殿への退却を余儀なくされた雷志は踵を急いで返した。

 こんなところで死んでたまるものか……!

 背後からドスドスと荒々しく、それでいて着実に迫りつつある死を否が応にも感じながらも必死に走り続ける。

 そうして神殿に入り、更に奥へとまっすぐと進んでいく。

 見かけとは裏腹に、内観の方はひどくこざっぱりとしている。

 そんな印象を憶えつつも、ひたすら奥へと進み続けた。

 程なくして振り返る――モンスターの姿は、どこにもない。



「なんとか、逃げ切ったか……」



 ホッと安堵の息をもらす。

 額に滲む汗を手の甲で拭い――不意に鼓膜に響くその音に雷志はハッとした。

 明かりがほとんどなく、前方には深淵の闇がどこまでも続いている。

 奥行きがどこまであるかさえもわからない。

 あるいは、ゴールなんてものが最初から存在していないかもしれない。

 しかし、闇の中になにかがいる・・・・・・

 しゅるしゅるという音は少なくとも、雷志が知識として保有するどの動物にも該当しない。

 付け加えて、耳にするだけで自然と心に得体の知れない感情がぐるぐると激しく渦巻く。

 これは、よく知っている――圧倒的なものを前にした際に抱いた、恐怖だ。

 ジッと闇を見据える雷志の前に、やがてそれはゆっくりと姿をわずかな光の下へと晒した。



「は……?」



 素っ頓狂な声をもらす雷志。

 5mは優にあろう巨体さを誇るモンスターからすれば、彼の存在はさぞ脆弱に映ったに違いあるまい。

 空腹も猛獣さえも今ではかわいく見えて仕方がない。

 それだけの主としての圧倒的戦力差が雷志に重く、ずしりと伸し掛かる。

 ここできっと、この恐ろしい怪物に殺されるだろう。

 せめてもの願いとして、できるのであれば痛みを感じる間もなく殺してほしい。



「――、冗談……!」



 雷志は踵をすぐに返すと、そのまま一気に走り出した。

 死ぬつもりなんてものは毛頭ない。

 例えこの先、無残に殺されるであろうとしても最後の一分一秒まで足掻く。

 死んでたまるものか。雷志は来た道をひたすらに戻る。

 当然ながら、モンスターがそれを許すはずもない。

 どかどかと地を踏み鳴らして、背後より迫る光景はなかなか圧巻といえよう。

 隠れられる場所があればともかく、内観はひどくシンプルであるがためにそのような場所がまるでない。

 となれば雷志が向かうべきは神殿の外以外になく。

 後少しで出口に着く――心の中にかすかに芽生えた希望さえも、モンスターは容赦なく蹂躙する。



「なっ……!」



 突如、出入り口に何かが直撃した。

 けたたましい轟音と共に大量の砂煙がわっと昇る。

 やがて、砂煙が晴れた時。雷志はその目を大きく丸くした。

 あろうことか、それは太く巨大な石柱であった。

 どこからそれを調達したかを、わざわざ確かめる必要もない。

 石柱ならば、この神殿の中であればいくらでもある。

 たかが一本ぐらい抜いたところでどうということはないらしい。

 それはさておき。

 モンスターによって唯一の出入り口が封鎖されてしまった。

 他に逃げ道となりそうなものは――ない。

 完全に袋のネズミであるこの危機的状況に、しかし雷志は冷静さを失わない。

 いついかなる時であろうと冷静さを失った者から死ぬ。

 それは長年の経験から重々理解している彼だからこそ、できた行動だった。



「――、イチかバチかだ!」



 雷志がその存在に気付いたのは、偶然だった。

 壁に人が一人分、なんとか通れそうな穴がぽっかりと空いている。

 恐らく外に通じているのだろう。

 あるいは、外ではなく殺風景とばかり思っていた神殿の一室か。

 いずれにせよ、モンスターと対峙して勝てる見込みが0である以上、雷志は賭けに出るしかない。



「どうとでもなれ!」



 雷志は穴の中へと身を投じた。

 結果――とりあえず、モンスターから逃れられた。

 それはまず、違いあるまい。もっともそれも一時にすぎないだろうが。



「なんだ、この部屋は……」



 部屋はおよそ6畳ほどと狭く、そして明かりもほとんどなくて薄暗い。

 携帯電話のライトで周囲を照らしてようやく、周囲の状況がわかる有様である。

 棚には以外にもきちんと陳列されていて――ただ毒々しい液体で満ちたフラスコはなんだろう。

 他にも床や壁には、目にしたことのない魔法陣らしきものがでかでかと描かれている。

 明らかにここは普通ではない――モンスターがいる時点で、普通ではないのだけれど。



「……とりあえず、ここにあるものは極力触れない方がよさそうだな」



 とは言え、気にならないと言えばそれは嘘になってしまうのも然り。

 毒々しい液体の中には、とても透き通って美しいものも少なからずあった。

 雷志はこれらが何か、一応知識としては保有していた。

 ゲームにも登場するポーションの類と大変よく似ている。

 飲んでみたら、回復したりするのだろうか?

 そう考えて、すぐにハッとした雷志は何度もかぶりをふった。

 モンスターがいる場所で発見した飲食物など、口にできるわけがない。

 食中毒程度ならばともかく、それ以上となるとさすがに笑い話にもなりはしない。

 こってりと自決できるのであれば、それは最終手段としてほしいところでもあるが……。



「――、っ! くそっ、どうあっても俺を逃がさないつもりか!」



 これは、一種の賭けである。雷志は棚にある薬をすべて手に取った。

 そして、一つずつ一気に中の液体を喉の奥へと流し込んでいく。

 モンスターが、今度は壁を破壊して捉えようとしている。

 もう、のんびりとしていられるだけの余裕はない。

 すべての薬を飲み干す――味は、意外にもなかなか悪くなかった。



「あ……」



 不意に襲う倦怠感と眠気に、雷志は抗う間もなくそのまま地に倒れる。

 力がまるで入らない。

 瞼が鉛のようにずしりと重く、もはや開放することさえも不可能となってしまった。

 意識がどんどん深淵の闇へと沈んでいくかのような、そんな心境。

 やっぱり毒の類だったのか……。そう思う雷志の顔は、ひどく穏やかなものだった。

 それこそ、心地良い眠りにつく純真無垢な幼子のようですらある。

 どの道殺されるのであれば、この結末は救いだ。

 もうすぐ、穏やかな死へと自分は誘われるだろう。

 そう思う傍らで雷志は、しかしこうも願った――次生まれる時は、もっと平穏に生きたい、と。

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