胡蝶の伝説

如月千怜【作者活動終了】

胡蝶の伝説

 バーボチカには三分以内にやらなければならないことがあった。


 朝早くから村人達に、お薬を配りに行くという仕事がある。準備に使える時間は、たった三分だけであった。


「行ってきまーす!!」





 ここは森の奥深くにあるゴブリンの村。バーボチカは村人それぞれの症状に合わせて調合したお薬を配っていく。

 だが、一人の老人のところに入ったときだった。


「……バーボチカ、ワシはもう薬はいらん」 


 彼は既に死期が近づいている、重病人であった。自分は助からないことを既に悟っているのか、彼はそう言ってバーボチカの薬を拒んだ。


「…………」


 元々、村人の中でも彼は偏屈な性格をしている老人として有名であった。バーボチカはそんな彼でもなんとか助けたいと思っていた。そのために現実的でない戦いをずっと続けていた。

 だがそれを、彼は拒んだ。


「……お辛くなった時は、またすぐ呼んでください」


 バーボチカは一言、そう言って去ろうとした。


「待ってくれ、バーボチカ。もう少しワシの話を聞いてくれ」


 一人で過ごすのが寂しいのか、彼は彼女を引き留めた。


「……なんですか?」

「今の薬とは、違う薬を作ってほしくなった。この本を読んでくれ」


 彼はぶっきらぼうに本を渡し、促した。それは蝶のことが書かれた本であった。


「この本には、蝶を呼び寄せる薬の調合法が書いてあるんじゃ。これをお前さんに作ってほしい」

「…………」

「死ぬ前に、ルナモルフォの大群を見たいのじゃ」


 ルナモルフォとは、この森にいる蝶の一種であった。この蝶は世にも珍しい夜行性の蝶であり、不思議な事にも月の光によって鱗粉を輝かせるという普通の蝶が持たない特徴を持つ。


「車いすくらいは用意してある。薬が出来たらそれをまいてワシをつれてきてくれ」

「……わかりました」




 それからバーボチカは、言いつけ通り薬を作り上げ、村のある一角に薬をまいた。


「…………」

「……おじいさん、これで本当に来るのですか?」

「慌てるな。もうじき来る。ほら、森の奥からチラリを光が見えたぞ」


――このおじいさんが言う通りであった。五分も経たない内に、それはやってきた。


「わああああ!!」


 その美しい景色に、依頼人の老人より先に歓声を上げてバーボチカは喜んだ。


「……ほら、言ったじゃろう?」


 その声と光を聞きつけ、村人達も大勢やってきた。

 これこそ、自然の神秘。過程自体は薬をまくという化学によるものだが、その青白く美しい輝きに、村中の人々が圧巻されていた。




 朝日がやってくると共に、薬の効き目が切れて蝶は森の奥へ帰っていった。


「……バーボチカ」


 バーボチカが、老人の容態を確認に向かった時だった。


「この間は『もう薬はいらん』と言ったが、また薬を用意してくれないか」

「…………」

「ワシは元々、画家じゃったんだよ。死ぬ前にあの蝶の群れを描いた絵を、死ぬまでに造りたい」


 それはこの偏屈な意地悪じいさんが、初めて発した肯定的なお願いだった。


「お前さんのおかげで死ぬ前にやりたいことができた。お願いできるか?」

「……はい、喜んで!!」




――それから数日後、この老人は眠るように亡くなったという。自らが描き上げた絵の前で。

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